9月21日(土)
昨日いかなごを起こす時にハーフパンツを破壊したので(元々破れかけだったが)、型を取って新しいハーフパンツ作った。
京響の公演に行った。
・ドボ8って構成小さいのね。
・楽器の位置がいつもと左右逆で、ホルンが良く聞こえた。あんなにずっと鳴ってたとは。
・せっかく出てきたチューバは出番が少なかった。
・4楽章ソロの後の、トランペットの終わった終わった、って感じが面白かった。
・次のハンガリー舞曲も含めて、ティンパニ仕事し過ぎ。
・推しは今日もいなかった。何かあったんだろうなあ(悲)。
・指揮者の人、運動能力高そう。
・やっぱ私ドヴォルザーク好きなんだわ。
9月22日(日)
医クラの皆さん、麻酔科医について語りまくっているが、もちろん私も麻酔科医が一番恐い。どこにスイッチがあるか分からない人ばかり、という印象。だから、にこやかでも恐い。なんなら自分が帝切される時でさえ恐かった。
インタビュー見てると、ポガチャルって真摯でほんといい子やなあ、と思うが、やっていることは落ち着きがなくて凶悪。ヴィンゲゴーは逆で、インタビューでは鼻で笑ったり、強気の発言が多く、インタビュー中も気散りまくってるが、それ以外の時は動きが少ない。
9月23日(月)
スタート前に何か落ちてるのも、6秒差で手挙げるのも、表彰台も凄かった。てか、2位3位がでか過ぎ。
急に涼しくなられると、なんかもう寒い気がしてきた。
スコルニアコフが、10才のイリアが最初の2Lzを跳ぶ時に気失いそうになった、という話、共感しかないわ。徐々に慣れて、今は付き添いもできるロマン、凄い。
9月24日(火)
ピルキングトン『裸足の1500マイル』を読み終わった。1930年代に、アボリジニと白人のハーフの子を、孤児院に入れて教育しようとしたが、劣悪な環境だったので(元々イギリスだし…)逃げ出した14才、10才、8才の女の子3人が、2400km踏破して母親の元に戻った、という話が後半で、前半はアボリジニの生活について。武器の威力、食料の便利レベルが違い過ぎて、やってきたイギリス人入植者に取り込まれるアボリジニの様子が描かれる。アボリジニは黒人に近い外見なのね。
著者は14才の女の子の娘。子供達が逃げ出した後、あちこちに通達が廻って探されているが、そこそこ助けてくれる人もいる上に、自分達でも狩りができて生活力も高いので成功したよう。最後に、14才の子は、9年後にもう一度脱走し、著者の妹は3才の時に奪われて二度と親と再会できなかった、とさらっと書いてあって、闇が深い。
9月25日(水)
毎日、疲れ切っている(主に三連休のせい)。
コロクイックという牛の初乳管理機器の会社(えらい二ッチな分野)のマーケティングマネージャーとして仕事をしていたとある女性が、自社が出資しているコンチネンタルサイクリングチームの選手と出会いました。
その選手は、プロ選手並の実力があると言われながら、レースで勝てそうになるとメンタルやられてボロ負けする、諦め癖、怠け癖がある21歳男子でした。
彼女は、プロ選手になりたいなら、ちゃんとやることやれ、泣いても意味ないだろ逃げんなこら、と彼を追い詰めました。
4年後、その選手はツールで優勝しました。各種記事を総合すると、まごうかたなくこういうことなんだが、おとぎ話か何かかな。
9月26日(木)
大角『言語学者のニューカレドニア』を読み終わった。ニューカレドニアで少人数しか喋っていない絶滅しそうな言語を研究した著者のエッセイ。著者は島の内部の現住民の集落に住み込んで研究するが(隣同士でも言語が全然違ったりするらしい)、犬も猫も子供もみんな殴られ蹴られ、女性の立場は低く、部族間の地位は決まっており、長老が話している時はみんな下を向いて聞いていないように装うのが礼儀。とにかく水回りが不潔で、衛生観念に乏しく、シャワーやトイレを取り付けても、メンテナンスができず、すぐに壊れる(よく聞く話)。現住民に返還された農場が管理されず、牛が野生化って凄いな。もちろん原住民でも行政で出世する人はいるが、親族が群がって富の分配を求めるので、不公正になりがち(田舎あるある)。フランス系入植者の農園が豊かで、海の幸で作られた料理の描写がマジ美味しそうなのとの対比が凄い。
9月27日(金)
キガリ見たことないから、来年超楽しみ。
U-23の男子ロード、最後にゴリラみたいな選手が爆走してて、凄く強そう、と思ったら、195cm20歳ドイツ人だって。ヴィスマ入りするんだ。
石破がいいか悪いかはさっぱり分からないが、高市じゃなくて良かった。
石破首相になってこの世の終わりだ、と言っている人がいるが、私がこの世の終わりだ、と思ったのは、911で飛行機突っ込んだのをテレビで見た時かなあ。ちなみにいかなごは、両親に盗みを疑われた時らしい(当時小1、未だに真相不明)。
9月28日(土)
昨日自転車の世界選手権で亡くなったジュニアのスイスの女子選手、若い頃のサラちゃんに似てる…。死亡率高過ぎるやろ。ゴールに帰って来ないから捜索して発見、ってそんなあんまりな。やっぱり無線ないと危険なのでは。
田野・小野寺『〈悪の凡庸さ〉を問い直す』を読み終わった。アーレントが『エルサレムのアイヒマン』の副題に用いた「悪の凡庸さ」という言葉と、その使われようについてまとめた本。アーレント研究者達、シュタングネト『エルサレム<以前>のアイヒマン』の翻訳者、そしてナチズム研究者の主張と対談で構成されている。
日本アーレント研究会第19回研究大会、当時たまたま私も聞いていて、アーレント(思想)研究者達とナチズム(歴史)研究者田野先生との噛み合わなさ、乖離の凄さに驚き、田野先生の「アイヒマンが凡庸な役人という見方はホロコースト研究界隈ではとっくの昔に否定されている」「『悪の凡庸さ』の概念は曖昧」の発言を聞いて、非常にスッキリしたことを日記に書いていたが、あれは私のような門外漢だけでなく、演者にも衝撃で、その結果この本が生まれた模様。
アーレント研究者達は、「悪の凡庸さ」が「歯車理論」と誤解されているが、アーレント自身も繰り返し否定していること、アイヒマン裁判の翌年に行われたミルグラム実験がアイヒマン実験と称されるようになったことが、誤解された一因であることを述べ、アーレントは「悪の凡庸さ」は理論や教義のようなものではなく、単なる形容の言葉と言っている、「凡庸」は「ありふれていること」と同一ではないと語っている、アイヒマンを「思考欠如」と表現したのは、何も考えずに任務を遂行したという意味ではなく、決まり文句を多用し、批判的に考える姿勢がなく、「誰か他の人の立場に立って考える能力」が欠けているという意味である、アーレントはアイヒマンの行為の動機や、アイヒマン本人があまりに浅薄であることにショックを受けており、「凡庸さ」とはその「浅薄さ」であると理解すべきではないか、「悪の浅薄さ」と言った方が誤解が少なかったかもしれないが、凡庸さと言ったからこそ、このフレーズが人口に膾炙し、賛否両論を引き起こした(つまり炎上商法か)と述べているが、正直『エルサレムのアイヒマン』に「悪の凡庸さについての報告」というサブタイトルをつけながら、「悪の凡庸さ」の意味を何も説明していないアーレントが悪くない?研究者にこれほど色々推測させるのが、良い哲学者というものなのだろうか。
ヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』の序章を査読して「焦げた豚以下」と評したというアーレントに、そもそも好感が持てないこともあるが(それに不倫してたし)、「悪の凡庸さ」が「一人ひとりは凡庸な人間だから悪くない」的な意味合いで使われ、「歴史修正主義に養分を与える可能性がある」のも常々どうかと思っているし、「60年経って、『本当はそういう意味で言ったんじゃない』という注釈をつけないと理解できない言葉はやめては?」という小野寺氏の発言に頷きしかない。
9月29日(日)
もぐ、またでかくなってる。バランスが不自然なので、背伸びしてるのかと思ったらしてなかった。
ポガチャル、第三子次男なんだ。物凄く納得感のある生まれ順。
関係ないが、同僚達の間では、第二子までは親が(中学or小学)受験に必死になるが、第三子以降は疲れ切ってどうでも良くなる(公立に通っていたり、エスカレーターで進学したり)というのは、あるある。
9月30日(月)
サザエ、グロい。
いかなご「私が答えた『好きな生物用語』は?」
私「『絶滅』」
いかなご「それはお母様が好きな用語でしょ」
私「じゃあ何だったの?」
いかなご「『伴性遺伝』」
私「ママが好きな用語は『森林限界』」
ポガチャルが出て行った後の、後ろがどうしようもなさ過ぎてつまらなかった。飛び出して独走されるの、確定で分かってるんだから、もうちょっとどうにかできなかったのか。ポガチャル自身は嬉しそうで良かったが、意外にアルカンシェル似合わない。
マイケル・ウッズスタイルで補給食渡されたら、ヴィンゲゴーは食べられるのか、と言ってる人がいて面白かった。止まるしかないね。