以下には、第39回日本SF大会 Zero-CON に参加した感想が書いてありますが、基本的にはいつも通りの日記であることをご了承下さい。

8月5日(土)

 ムーンライトながらは、金を余分に取るだけあって快適なのでわりと眠れた(3時間半くらい)。東京駅に5時前に着き、岡田さんの先導のもとに、新宿に行って開いてる店を探してうろうろ。マクドに入って時間をつぶし、7時前に会場へ向かう。
 会場の最寄駅で牧眞司さんご夫妻を目撃し、ついていけばいいんだ、とインプリンティングされた雛のようにぞろぞろと牧さんご夫妻を追いかけて行ったのは秘密だ。

 受付を終え、倉庫風体育館風のホールに入る。オープニングまで、知合いの人々を見つけてご挨拶。林さんは、確かに痛そうなご様子だった。U度熱傷のとこもありそうな感じ。のださんがお茶大SF研の1回生を連れてきている、という噂を聞いて、ご挨拶(有体に言うと見物)に行く。誰しも同じことを考えるようで、周りには入れかわり立ちかわり人が集まって来ていて、言うセリフも大体似てたり(笑)。1回生に会ったしおしおはかなりハッスルしていた。

 オープニングは地味だった。みらい子さんとかいでさんとか、スタッフが4人(男女2人ずつできちんとパート分け)出てきて、参加者に起立を求めて、オープニングソングを歌ったのは素晴らしかった(「明日を捨てて」と連呼する歌詞とか)が、他はちょっと今いち。企画数の多さを自慢したいのはわかったが、ただひたすら人間が企画名を読み上げたり、司会者が間をもたせるようなおしゃべりを長々としていたり。そういうスタンスではあるんだろうけど、単に中身のないオープニングになっていた気がする。
 あ、そういやプロポーズしてた人がいたが、その後どうなったんだろう。暗黒星雲賞獲ったのだろうか。

 オープニングが終ると、メイン会場に移動。まずディーラーズに行って、難波弘之LIVEの整理券をゲット。51番だった。
 それからSF少女シリーズの新作を買う。今年の時刊新聞にはSF少女の連載はなかった。大変そうだけど、またやって欲しいな。

 最初の企画は、どこに行くか決めていなかった。森さん(1年上の先輩)と野田さんが行くというので、軽い気持ちで「びっくり科学実験室」を覗くと、森さんに手招きされてデジカメ渡されて写真を撮るように言いつけられてしまった。しまった。やはり悪だ。しかし、京大SF研は体育会系サークルなので(嘘)先輩の言うことには逆らえないのであった。
 企画は、かの有名な青山さんが主催されていた。青山さんが昔物理の教師であられたとは。
 液体窒素を使った実験をするのが主たるイベントらしく、どこからかタンクに入れた液体窒素が持ち込まれた。私は科学実験を見るのはあまり好きではないし、液体窒素は珍しくないので、正直そんなに面白いのかなあ、と不思議に思っていたのだが、観衆にはかなり受けていて(特に子供に)、私も温度計を液体窒素に入れ−190℃近くまで下がったのを見たときはちょっと感動した。
 ただ、昨日から液体窒素を取りに行っていたとか、遠くから運んできたということで、窒素がとても減っていて、いろいろな実験ができるほど量がなく、企画はわりとすぐに終了した。でも会場まで運んでこなきゃならないんだから、減るのはいたしかたないよなあ。

 終了後、片付けスタッフの中に、当日スタッフをされていた湯川さんがいて、かねてから約束していた、たれぱんだ洗濯日和りのぬいぐるみをいただいた。靴下に入ったたれぱんだで、洗濯日和りの3種類の中ではあまりそそられなかった種類なのだが、実際に見てみるとかなり可愛い。うれしなので、以後ずっと手提げ袋の中に見えるように入れて歩き回る。
 湯川さんとは会えないのではないかと不安に思っていたのだが、第一企画であっさり遭遇。たれぱんだの代わりと言っては何だが、百鬼夜行シリーズを1つお渡しする。牛鬼の通常彩色版だった。かさばるのでどうかとは思ったのだが、わりと気に入っていただけたようでよかった。
 さて、企画終了後、何となくたむろしていたここで、京フェスの企画に関する重大事項が決まったのは秘密だ。

 ぶらぶらしていたら、志村さん(とても上の先輩)に捕獲され、その場にいた人達とお昼を食べにいくことになる。大会でお昼を食べるとは。なんか余裕な感じ。
 食べながら、林さんから、家の近所でさいとうよしこさんやら堺三保さんやらとよく遭遇するという話など聞く。すごいところじゃ。

 その後は「ライブ版SFスキャナー」へ。山岸真、内田昌之、中原尚哉、古沢嘉通、中村融、嶋田洋一、の豪華メンバーがずらっと横一列に並んでいる。
 内田昌之さんが、ソウヤーはマニアや評論家には受けが悪いが、頑張って買おう、と言われていた。わ、私はマニアだったのか…。でも、ただ面白いだけ、後には残らないソウヤーをさほど愛することができないのは、別に変なことではないと思うのだが。このような普通の(SFを普段読まない人でも読む)SFがもっと売れるべきだという理論はわかるにしても。
 中原尚哉さんを目撃したのは初めてだった。考えながらぼそぼそと黒板に解説を書いて説明される姿は、全然思っていたのとイメージが違った。
 古沢さんの紹介(ここでその場で言っておられた事がそのまま読めます)はマクドナルド『Scissors Cut Paper Wrap Stone』。日本が舞台で(という時点であやしさ期待度急上昇)話自体が非常にきていて(主人公の手には洗脳フラクタル図形が刺青されてるらしい)さらにナゾのサイボーグ(?)が描かれている日本風の表紙のコピーが観客に廻されたりした。
 中村融さんは、あの河出文庫のアンソロジーの話をされていたが、なんかそれより別のことでちょっと驚いてしまった。

 その次は石川喬司見たさに「SFの20世紀 3.初期の日本SF作家」へ。私は石川喬司のSF紹介本を読んで、この本も読みたいあの本も読みたいとリストを作って育った(かなり無知な私は、それらの本の多くが絶版だということを幸いにも知らなかった)のだ。こんな人だったのか。
 他のすべてのパネルでも言えることだが、ここでもパネラーが豪華絢爛で、小松左京氏やら森優氏やら豊田有恒氏やらがずらずら。小松左京氏は以前目撃したときと比べ、お元気そうだった(ちなみにこの件に関する林さんのコメントは非常に邪悪であった)。
 森優氏は歳の関係を述べていて、星新一、矢野徹が昭和元年、福島正実が昭和4年、石川喬司が5年、小松左京が6年、森優が11年、豊田有恒が13年なのだそうだ。いや調べればすぐわかることなんだろうけど、その場で言われると迫力があるな。
 そして、なんとSF作家クラブ創立をめぐっての会議のテープが公開され、福島正実の生声を聞いてしまった。こ、これが福島正実かあ(ごく普通の男の人の声だったが)。すごいぞおおお。亡くなっているからにはもう絶対目撃することのできない幻の有名人の声を聞いてしまったぞお。

 で、ここをしばしば抜け出して私が行っていたのは、「作家とファンのリビングルーム」。伊藤典夫さんにサインをもらった!!日本SFをほとんど読まない私にとって、大会で欲しいサインと言えばこれ。「書くことないよお」と怒っておられましたが、「いま訳しているのはRobert Reedです」とお言葉も入ったサインを書いてもらった。いいだろ、うらやましいだろ、と色々な人に見せたが、反応は今一つ。うらやましくないの?可哀相ね。
 サインをもらったり、一緒に写真を撮ってもらったりして嬉しく思える人がいるというのは、人生における勝利だと私は思っている。そうやって喜ぶことができない、というのは人生の楽しみを一つ失っているのだと思うし、だから、例えば新井素子のサインをもらったとしても全然嬉しくなかったりする私は、今まで結構悲しかったのだ。
 でも今回は、サインをもらったり、写真を撮ってもらったり、格好いい人をたくさん見たりしたので、かなり幸せ。
 ちなみに、これに味をしめて、運がよければマガジン編集長(塩)さんのサインをもらおうとたくらんだのは秘密だ。

 その後は、廊下でDASACON系の方達がたむろっていたので、一緒にゴロゴロしたりする。すごーい。大会に来て企画に行かずに知合いとだべってるなんて、本当にゴロだな。うーん。
 ヒラノさんに、出身地を教えていただいたり、お土産のたこやきマドレーヌをいただいたりする。ここで田中香織さんのヒラノさん、私、しおしおに対する素晴らしい発言を聞くことができたが、あまりに恐ろしいので秘密だ(笑)。さすがトリプルクラウンだけあって、タイミング良すぎ。
 ちなみに、田中香織さん、関西人が関東人を嫌いというのは、個人的にはうなずけるところがあったりします。くずした関東弁のイントネーションというのは、少なくとも私の周囲の関西人のあいだでは、かなりの生理的嫌悪感をもって迎えられるので。勿論、それが原因なのかどうかは知らないので、関係ないのかもしれませんが。私は両親が関東弁に近い言葉でしゃべるので、実家とか関西人ではない人の間では関東弁チックな言葉を使いますが、しゃべっているときは何も感じないのに、そのときの自分の言葉を後で聞くと気持ち悪さにぞっとしたりします(笑)。

 そんなこんなしているうちに、星雲賞授賞式の時間になる。野尻さんが受賞したというので、見に行きたい気がしたが、授賞式会場は企画をやっているのとは別の建物なので、結局面倒くさくて行かなかった。
 んでゴロゴロしながら星雲賞の結果を知る。やっぱり『キリンヤガ』かあっ!くそお。やっぱり2作品ノミネートは票が割れるよなあ。
 『キリンヤガ』はあれはあれで素晴らしい本だとは思うが、星雲賞ならイーガンに取って欲しかった。いや『順列都市』をまだ読み終わってない私が言うことじゃないが(私は『宇宙消失』に入れた)。
 しかし、票数公開して欲しいものだ。どういう風に割れたんだろ。あまりに投票総数が少ないので公表できないんだろか。

 ディーラーズのオークションが5時で締切りだったので、直前に見に行った。特にそそるものはなかったが(『宇宙人フライデー』が少し気になったが、これは多くの人が入札していた)サンリオのヴィンジ『楽園の崩壊』に誰も入札していなかったので、何となく最低入札価格で名前を書いておいた。

 5時15分から難波弘之のライヴだったが、立花晶が見たかったので「デスアニメ2000年」をちらっと覗く。後藤さん(2つ上の先輩)から「結構な美人だよ」と聞いていたので期待していたのだが、確かに美人ではあったが、すごく普通っぽい人で、声も普通だった。何歳くらいなんだろう。
 ところで、行きの電車の中で、しおしおが「私が小学生の時に『サディスティック・19』が流行っていた」とごく軽く言ったので、多大なダメージを受けてしまった。そういや私が大学に入った頃に流行っていたから、確かにそれでいいのかもしれないけど……。あまりにショックだったので、後藤さんにもこの衝撃を受けていただこうと話すと、全く期待通りにかなりのダメージを受けておられた。よかった。少なくともこのショックは私だけのものではないのね。それに、ここに書けばさらに何人か犠牲になるに違いない。

 早々に「デスアニメ2000年」を抜け出し、「難波弘之LIVE」へ。難波さん、かっこいいのー。メリーさんの羊からはじまってメドレーいろいろ。なま「地球の緑の丘」が聞けた〜。選曲編曲にはたいそう手間をかけられたそうで、大変そうだった。帰りには各曲の詳細なレジュメまで配られた。
 「火星人ゴーホーム」が歌詞なしだったのが、ちょっと悲しかった(知らない人はあの素晴らしいGO HOME!だとわからなかっただろうから)。メドレーの途中では知らない曲が続き(ロックって聞いた事ないので)眠ってしまったが(こらこら)低音の鳴り響く中で寝るのは気持ちがいいのだった。
 そして、何といっても「リングワールド」が聞けたのが最高。「リングワールド」はこの世の中で最も好きな曲の一つで、パソコンの起動音にして朝晩2回(大学のと家のと)聞いているのだが、全然飽きない。生で聞けるなんて〜!!他にも曲はたくさんあるんだし、聞けるとは期待してなかったので嬉しさもひとしお。リングワールドが演奏された瞬間、喜びの身振りをしている人が複数いたので、やっぱりかなり人気の曲なのかも。
 アンコールでは「夏への扉」。なま「おやすみ」が聞けたぞお。
 ミュージシャンだから当たり前(?)なのかもしれないが、立ち居振舞いがとってもかっこいいのに感動。「残酷な天使のテーゼ」でミスタッチをされて、後で「くやしいなあ」とか言っておられたのも何かかっこいい。
 今年CDも復刊(?復刻?)されるそうで(やったあ!)。

 で、感動さめやらぬまま、一日目は終了。石山さん(2つ上の先輩)、江川君(同期。今回は普通の髪型をしていた)、岡田さん、しおしおの5人で、会場近くのよくわからないアメリカ料理店に入る。注文したら怒涛の勢いで次々と料理が運ばれてきて、早く食べなければ許されない雰囲気。おいしかったような気がするが、じっくり味わっている暇もなかった。
 そこから品川近くのビジネスホテルに岡田さん、しおしおと移動。お風呂に入ってすぐに寝る。

8月6日(日)

 大会二日目。まず「志村式折り紙キングギドラ普及教室」に行ってみると、菊池さんが手招きして、「アノマロカリス」と言って、折り紙をみせてくれた。しかし、これは単なる鶴の途中の形で、あの鋏みたいなやつもないし、と絶句していると……実は…。あまりにも素晴らしすぎてオチはここには書けません。実物を見せてもらってください。たしかにアノマロカリスでした(いや本物見たことないけど)一点豪華主義の。

 それから「達人達が教える、インターネット時代に英米SFのモノと情報を入手するためのFAQ」に行く。行くとまたしても林さんがいて、昨日の企画も3つも一緒だったのに、朝からまた一緒である。興味の方向が似ていると、どんなに企画数が多くても行くところは一緒だな。
 英米SFの情報を手に入れられるサイトの名前は、パネリストの人々が色々と言っていたが早すぎて聞き取れず(特に牧さんなんて、立石に水なので)、第一綴りが分からないのであきらめモード。実は、大体の名前だけ控えておいて、後は細井さん(言わずと知れた便利なひと)に聞きゃあいいや、と思ってたりした。
 じゃあインターネットがない時代にはどうしていたのか、という話が面白かった。解説を書くのに、いちいち何冊も目録を引いていたとは。ローカスのどのページを使うとかいう具体的な話もされていて(これは今でも使っているらしい)雑誌自体も観客に廻された。
 あとは、著作権とか版権の話が面白かった。版権は素人には取られているかどうかわかるすべはないらしい。知りたかったら、訳してみて、出版社に持ち込んでそこで調べてもらって、もし版権が既に取られていたらあきらめるしかないらしい。
 著作権は日本では50年だが(間抜けにも私は書かれてから50年だと何となく思っていた。はい、すみません、作者が死んでからです)英米欧とかでは70年だか80年だかでさらに伸ばそうとしているらしい。また、ファンジンとかネットとかに素人が勝手に翻訳を載せてもよいかどうかに関しては、基本的にはダメだが、要はダメだと知りつつ、こっそり載せるというのがよいらしい(もちろん最悪の場合、訴えられたり賠償金を取られたりする)。あ、でもディズニーは絶対ダメ(笑)。

 その後は、「ジャンル対抗「最強」決定戦」に行こうと思っていたのだが、その前に「SF論争史」に行くと、あまりに面白いので抜けられなくなってしまった。
 パネリストは巽孝之、柴野拓美、永瀬唯、難波弘之、野阿梓、小谷真理の各氏。そして司会が森さん。各パネリストに順番に話を聞いていくという形式だった。
 残念ながらメモを取っていなかったので、何が話されていたのか、はっきりとは覚えていない。割ととりとめなく昔話だったように思うが、私には聞いた事もないような話が多く、とても面白かった。

 驚いたのは、永瀬唯氏。いかにも評論家というような姿かと思っていたのだが、全然違う。筋金入りのおたくなのだそうだ。たしかに、他の人が発言すると「それは違う。本当はこんなことやあんなことなのだが、まあ大した違いはないからいいや」みたいな話を付け加えていて凄かった。
 今の若いファンは柴野さんの名前も知らん、とか、コミケは俺が始めたんだ、とかいう話。宅八郎が大会のスタッフをしていたことがある、という話にはびっくりした。

 難波弘之氏はここでも格好よかった。要所要所で話されてはいたが、難波さんの時間は短くて、あまり話を聞けなかったのがとても残念。
 日本ではSFは大人のもので、高校生がSFファン活動を始めたとき、大人を倒そうとした(約30年前)だが、その高校生達は3、4歳下(!)の第二世代のグループから突き上げをくらった(これは柴野さんの話で、難波さん自身が突き上げた第二世代)。その当時は学園紛争をするかSFをするかみたいなところがあり、柴野さんは天皇と呼ばれて倒す対象だったのだそうだ。
 今のDASACON勢対ファンダムみたいな、新勢力の流入の話は、昔十分やったので(なるほど)ネットに入って見る気はない、そうだ。
 昔難波さんが書かれた「青少年SFファン活動小史」は、SF人妻さんがオンラインで読めるようにされるようなので、楽しみ。

 小谷真理さんも話す時間がほとんどなかった。小谷さんは、本当は論争が嫌いらしい(笑)。昔大会でコスプレをしたときに、周囲から非難を浴びたので、身を守るために論争に手を染めたのだとか。
 そのとき、柴野さんに「なぜ、コスプレをするの?」と聞かれ、それを宿題と思った小谷さんは、それに答えを出すべく精進して、今の小谷さんになったそうだが…。それを聞いた柴野さんは「え、私はよく覚えてないんですけど。それは答えはわかってて質問したんだと思う。 楽しいからでしょ?」と約20年ぶりにして解答が!
 この質問がなければ、今の小谷さんはなかったのかあ。あの身振りと格好いいしゃべり方が好きな私としては、嬉しいことだ。
 と、今にも終了しようとしたところで、『知の欺瞞』に関して観客席の菊池さんと論争嫌いの小谷さんの間にたちまち新たな論争が湧き起こったりしたのだった(笑)。

 「SF論争史」が終ると、「ジャンル対抗「最強」決定戦」へ。菅さんのばりばり京都弁のウエンディ批判が面白かった。でもやっぱしリプリーは悪人っしょ。準決勝からしか見られなかったので、野尻さんが訴訟覚悟で臨んだことは後で知った。ちょっと見たかったかも。

 優勝者が決定したところで、ディーラーズへ行ってみると、昨日入札した『楽園の崩壊』は最低落札価格のまま私が落札していた。400円也。牧さんの奥さんに、運が良かったですねえ、と言われる。確かに。帰りの電車で中を見てみると、怪しげな図やら「ゲイシャ」やら出てきてて楽しそうだった。

 さて、ここではたと気づく。昨日江川君にアートギャラリーにたれぱんだの絵が出ていると言われていたのに、見に行くのを忘れていた!!!急いで展示場までダッシュするが、2時までだったそうで、アウト。くそお、あと5分早く行けば!!!一生の不覚!!!どこかでまた見られないかなああああ。どなたか写真撮ってませんか?!!

 「SF論争史」が終わってほっとしたそうで、魂が30%ほど抜けた森さんに昼ご飯に誘われ、黒い岡田さんとともに食べに行く。その後は何となく森さんと連れ立ってうろうろし「やおいパネルディスカッション」へ。
 途中からだったので、話のつながりがよくわからなったが、大層盛況で立ち見で混雑していた。パネリストの野阿梓さんはしゃべり出すと止まらない人みたいで、どんどん時間が押していく。スタッフが差し出す「5分前」の掲示を見ても話はどんどん進み、「終わり」の表示を2度出しても、一向に終わる気配がない。見ているこっちがどきどきしてきた(笑)。結局、再来年の開催地の投票があるので全員エンディングに参加させろとの指示がパネリストの中をめぐったらしく、無理矢理終了。いやどきどきした。

 実は、小谷真理さんとツーショットの写真撮ってもらいたいの!という野望があったので、エンディング前の慌ただしい中、森さんに廊下で小谷さん、巽さんに紹介してもらい(「Arteさんです」で、日記のタイトルを思い出していただいたようで、かなり恥ずかしかった)念願のツーショット写真を撮っていただいた。やったあ! 慌ただしいところ、すみませんでした。

 その後エンディング会場に入ったが、もうすでに満員で、前に立っている人がたくさんいて、壇上で何をやっているかよく分からない。どうやら再来年の大会候補グループの演説が行われているらしい。
 大阪か栃木か。なんで突然参加者が投票することになったのか、今でもかなりナゾだが、短期間に投票の用意をした実行委員会にはちょっと感心。投票してない人がかなりいたみたいではあるが。
 私は自分の家の近くだから大阪がいいんでは、と単純に思ったのだが(演説はほとんど聞こえなかったし)大阪方には、私の周りの参加した人達の間では無茶苦茶評判の悪いCAPRICONの人がついていたらしい。まあ、栃木の方が優勢っぽかったからどうでもいいけど。
 あとは、何か訳の分からんことを言ってた人がいた(投票準備の時間かせぎのために無理やり壇上に上がらせられたのかと思ったんだけど違うのだろうか)。来年の大会(会場と日時は決まってるらしいが、名前はなに?)の説明に出てきた連合会議の武田さんは、さすがに声もとおって、聞きやすい。スタッフが少ないので、来年は参加者は全員スタッフらしい。入口で、仕事割り振られたりするんだろうか。あなたは、何時のこの企画の後片付けです、とか。

 エンディングが終るとぞろっと会場から出て投票して、出口のところで、しばらくたむろ。そこで森さんにみのうらさんのお姿を教えてもらった。一瞬だったのでよくわからなかったけど。
 結局京大SF研勢で集まり、みんなで歩き出す。重い荷物(行きは「百鬼夜行」でかさばっていたが、帰りはその分の体積が本で占められていたので重いのは当たり前)を引きずって、会場を出たところの地下街をうろうろする。
 アンミラがあると聞いたので、行きたーい、としおしおと二人して叫ぶと通ったらしく、9人(後藤さん、石山さん、森さん、江川君、私、岡田さん、加藤君、しおしお、大澤君)でぞろぞろ。

 アンミラの制服をじっくり鑑賞する。どう考えてもいかがわしいな。胸につけている赤いハート型の名札でいかがわしさはさらにアップ。ブラジャーすけすけだし。しおしおとどのウエイトレスがAでどの子がBかという話(ブラジャーのカップのサイズね)をしたり(嫌な客だ)。ここでルバーブパイを初めて食べた。胃にもたれるが、結構おいしい。
 久しぶりに私より上の人がたくさんいたので嬉しかった。大会中からそうではあったが、先輩方にはしおしおの発言・行動が「たいそうおいしい」と評判のようで。そうでしょお。ふふふふふ。

 さて、関東在住者と夜行組に別れを告げ、贅沢にも新幹線で帰る私たち(岡田さん、しおしお、私)は桜木町駅で切符を買った。そこで、地震で新幹線が止まっていたと聞かされる(エンディング中に地震があったらしいが、立っていた私は全く気付かなかった)。駅員がどうも投げやりで新横浜で聞いてくれと繰り返していたのは、関西方面に帰るSFものに、どうなっているのかと何回も聞かれていたからなのだろうか。
 新幹線には特に問題なく乗れ、専ら岡田さんと恐ろしい話。京フェスをうまくやるには、権力を掌握すべし!という話も(笑)。

 一旦大学へ行き、ちらっと実験して、本や重いものをロッカーに置いて、ついでに靴擦れが出来ていたので、サンダルをナースシューズに履き替えて、歩いて帰宅。

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