4月1日(土)

 朝起きて用意をして田中邸へ。妙に天気がよい。田中邸にはすでに人が揃っていた。しおしおと服装が似ていた(上が水色で下がジーンズ)ので、髪型も二つ分けの団子にしてお揃いにする。

 東洋大の田中香織さんは1時過ぎに田中邸に到着。いきなり田中君は誰だ、と探しはじめるところがさすが。どうやら田中君を2回生だと思っていたらしい。
 いろいろ話など。驚いたのは、田中香織さんの「4月から4回生で一番上なんです」という言葉。その場に一瞬沈黙が流れた。そうかあ、4回生は最高学年なのかあ!なんて健全そうなサークルだ。
 電話番号リストで4回生が真ん中だったり、「えっ、4年で本当に出るの?」などと驚いちゃ駄目なんだな。
 あと、5回生相当を5回生総統だと思っていたらしい。5回生総統というのは5回生の中で一番偉い人らしい。すごすぎる。相当計算は必要ないのね。

 かねがね東洋大SF研は女の子が多いという噂を聞いているが、「えっでも、女の子は2、3人で、常駐してるのは1人くらいですよ」。やっぱりそうなのかあ、としおしおと肯いていたら、「1学年あたり」であることが判明。なんて贅沢な暮らしだあっ。

 東洋大は体育会系で上下関係が厳しいらしい。田中香織さんは否定してたけど、それでその場にいた人みんなに回生を聞いていた行動が理解できるような気がした。同大や神大との合同読書会でも、自己紹介で回生は言うけど、あとはみんなそれほど気にしてなかったもんなあ。
 「先輩」という3人称が自然に出るのも驚き。うちならせいぜい「上の人」だろう。いやうちもちゃんと先輩はさん付けで呼ぶし、丁寧語も使うぞ(レベル低そう)。私も先輩は敬ってるもん。やっぱり気持ちが大事ということで。

 それから「体育会系のふりごっこ」が流行ったのは言うまでもない。

 3時過ぎに田中邸を出て、途中万里小路でご飯を食べて、京阪乗ってDASACON会場へ。メンバーは、田中香織さん、岡田さん、田中君、細井さん、しおしお、大澤君、私の7人。迷うこともなく無事到着。

 名札に名前とHPのタイトルページが印刷されていた。すごおい。そしてシールを張るために名札から下がっている紙がたれぱんだのメモなのがすごく気になる私。初めてのコンベンションだし、予定もわからないし緊張気味。大広間に行って、周りをきょろきょろ。名前を知らない人が多いけど、意外と顔だけは見たことがあるという人も多い。u-ki総統閣下はわりと普通そうな(世間様的に普通の暮らしをしておられそう)人だった。一歩さんは予想通りのさわやか青年系だった。

 総統の挨拶の後は自己紹介。いきなり2番目に呼ばれてびっくり。あいうえお順だったので前の方だと頭ではわかってはいたのだが、常に後ろから5番目とかで生きてきた身では、急には適応できない。でも最初の方に呼ばれるって気持ちいい。やっぱり名字はあ行とかか行で始まる方がいいな。
 Arteです、と名乗ると「Arteなのか」という声が。HP作って以来いろんな方からArteなのかあ、といわれ、実は私本名を知られてたのね、と驚くことが多い。でも、Arteというハンドルは草の根のパソ通で使っていたもので、すっかり慣れきっているので、パソコン上で文章を書くときには、Arteと名乗らないと自分じゃないみたいで気持ち悪い。

 自己紹介の後は37年生まれのゲスト4人による対談。この内容が後に重要になるとはその時は知るよしもなかった。対談の後はその辺の方達とお話。それなりさんもマガジン編集長(塩)さんのファンであることがわかり、2人して(塩)さんと写真を撮ってもらいに行く。やったあ。(塩)さん単独の写真はたくさん持っているけど、やっぱり一緒に写るのは違うもんね。
 各部屋に分かれずに大広間でみんな一緒というのは、楽でよかった。面白そうな部屋を渡り歩かなくてもいいし。ちょっと狭いのが難点だけど。
 11時から「○○と××くらい違う」講評会が始まった。個人的には「菅井きんとトールキンくらい違う」に心を打たれた。この頃から日本酒を飲んでいた私は酔っ払いに。そのため記憶が定かではない。そもそも「京都を離れても誰にも連絡しとかなくてもいいんだ!」という感動でハイになっていたので、抑制がきかない。酔っ払いになったらすぐにものを倒してしまう私はやっぱり酒をこぼしたりしていた。ご迷惑をおかけした皆さん、すみませんでした。

4月2日(日)

 その後はオークション。やたら高かったことを覚えている。勿論、割安のものもあったが(銀背は安かった)、古本屋で売っているもので、そっちで買ったほうがずっと安いものも結構あった。こんなに高いなら、これからだぶり本は田中邸に持っていかず、オークションで売ろうかいなと思った。結局何も買わず、抱き合わせで売られて要らないといわれてた『テルジーの冒険』を、欲しい欲しいと意地汚く叫んでげっとする。

 酔っ払いのため覚えていないのだが、この頃までにしおしおに髪の毛をいじられ、二つ分けの団子を高い位置にもってこられる。
 あとはアニソンイントロクイズを横に聞きながらだらだら話とか。眠っている(塩)さんに添い寝するよう唆されたりとか。そんな恐れ多いことできませんよう。
 それにしても何か変な気がすると思ったら、小浜さん@東京創元社がいないのね。小浜さんのいないコンベンションというのはたぶん1回しか行ったことがないので、変な気がする。だからどうというわけじゃないけど。

 そのうちしおしお&田中香織さん対あぼさんのクイズ歳の差なんてが始まった。しおしお達は、おじゃる丸ネタで一勝を勝ち取っていたが、そのときの田中香織さんの「大森さんはいつもこんなに気分がいいのね」発言は特筆に値するであろう。
 それから「しおしおの世界」がはじまった。しおしおが誰を何歳と認識しているかを調べるものだが、どうやら山岸真さんは51歳らしい。
 その後は「松本楽志さんの世界」。松本さんは「昭和37年生まれ対談」をしっかり聞いていたり、その前にやっていた「○○の世界」を見て覚えていたりしたので、分かる人の年齢把握はわりと正確なのだが、その場にいる人を見た目で判断するのには苦しんでおられた。私は21、2で、しおしおは23らしい。やったあ!たとえ一瞬にしろ、若作りの髪型をしていたにしろ、21、2に見えるとは。ふふふ。

 終わると8時頃だったので、けづくろいをしにしおしおと部屋へ戻る。そこで鏡をみて愕然。私は一晩中こんな猫耳くらいの高い位置に団子を作ってる髪型をしていたのか。酔っ払ってたときにされたのと、その後鏡をみなかったのとで気付かなかったのだ。恥ずかしすぎるぞ。
 でもあぼさんによると1981年から京大SF研の女性会員は団子髪型にする決まりになってたそうだから、8年間会則を無視していた私が悪いのか。

 さて、エンディングでは見事しおしおがDASACON大将の称号をゲットした。このシールはスタッフが張る必要があるとみなすと張られてしまうというシステムになっていて、しおしおの7枚は、(1)デフォルト(2)参加者中最年少だから(3)「○○と××くらい違う」大賞の間、私の膝の上で寝てたから(4)オークションで5円まけてもらったから(5)先輩(=私)の髪の毛をおもちゃにしたから(6)田中香織さんとおじゃる丸ネタであぼさんに勝ったから(7)山岸真さんが51歳だから(8)小松左京が××××(さすがに伏せ字)だからという見事なものだった。
 しかし、田中香織さんも6枚ですぐあとに続いていたし、「イルカは哺乳類なんですか」という素晴らしい発言もあり、さすがはトリプルクラウン田中さんである。
 商品はにょろにょろのぬいぐるみ+喜多さん寄付のMD。

 終了後、盛大に通行の邪魔をしながら、朝ご飯を求めてぞろぞろ。途中でたれぱんだのぬいぐるみがあるUFOキャッチャーに心を惹かれながらも、足をひきずるようにして移動。マクドで朝ご飯を食べる。
 その後なんばに出てしまったので、淳久に行く。すると『たれづくし〜たれぱんだふぁんぶっく〜』なんて売っているではないか。素晴らしい。たれぱんだテーブルマットの型紙もいいし、グッズ集図鑑も楽しい。バンダイのプリネーム欲しいなあ。名刺作りたい。
 その後、岡田さんについてソフマップに行き、ノートパソコンと携帯をつなぐコードを教えてもらい買う。みんな眠いのについてきてくれてありがとう。
 この頃になると、本屋でも寝ていたしおしおはふらふらになってにょろにょろを入れた袋をひきずっていた。
 それから地下鉄&京阪&バス&原付で帰宅。完徹したのなんて何年ぶりだろう。3時過ぎに寝る。


過去の日記の目次に戻る。

日記に戻る。