京都SFフェスティバル’98事前準備+本会時の日記

 京フェスの一週間前、京フェス98事務局のある田中邸を訪れると、スタッフメンバー表なるものが張ってあり、回生ごとに名前が書いてあるその表には最後に社会人なる項目があり、Caseさんと、なぜか私の名前が書いてあるのであった。
 Caseさんは、社会人になってから京大SF研に入った社会人会員なのに対し、私は単なるOPである。なぜだ、という問いは勿論無視されるのであった。

 京フェスの前日、というか当日になっていたが、仕事を終えて1時過ぎに田中邸に直行した私は驚くべき事実に遭遇した。なんと、ワークブック(京大SF研の会誌)がすでに印刷され、それどころか折り上がっているというのだ!毎年徹夜であるいは当日の昼間になってから印刷され、そのため有能な人手を3人ばかりさかねばならず、京フェスの準備に重大な支障をきたしていたワークブックがすでに印刷され、しかも折り上がっている!
 さらに驚くべきことに、京フェスのプログラムブックまですでにできあがっているのであった。これはただし、非常に有能だがミスの多い田中氏に任されていたため、複数のゲストの名前に誤字が見付かり、結局やり直した模様だが。田中氏に仕事を任せるときには、1、田中氏を働かせる人物、2、田中氏の仕事をチェックする人物、が必要であるという基本が守られていなかったための出来事であった。

 それはともかく、私が田中邸に行ったのは、京フェスクイズ(京フェスで公開される五択形式のクイズソフト)の最後の仕上げをするためと、実行委員長閣下にオープニングクイズの相談をされていたため、である。
 実行委員長閣下は、まだオープニングクイズ何も出来てないよう、でも眠いよう、としきりに寝たがっておられた。そういえば、私も3年前とても眠かった記憶がある。京フェス前は一週間大学が休みだった(学祭期間だったもので)私と違って、今年の実行委員長閣下は労働者なので、大変である。可哀想だなあ、と思いながら、京フェス参加者n人に聞きましたクイズのためのアンケート原稿が出来ていない、というので、周りにたむろっていた会員から、アンケートの質問を集め、私も眠くて頭がまわらないので、元気そうな会員に質問の順番を決めてもらう。作家の顔を見せて、誰か当てさせるクイズもやりたいと実行委員長閣下が言っていたが、そちらの方はなんかはりきっている別の人がせっせとやっており、普通のクイズは私が京フェスクイズの今年の新作問題から選ぶことにして、何とか片がついた。

 京フェスクイズの方は坂元氏が新しい音楽を作っていてくれたので、何とか片がつき、4時頃には早々に田中邸を後にした。
 何しろ、2日前は一般当直で(一般当直というのは、夜間救急外来に来た患者を一番に診るという当直のことで、ほとんど眠れないことが多い)2時間しか寝てない上、39度近い熱があったので、まだヘロヘロだったのだ。

 4時間だけ惰眠をむさぼり、翌日あわてて病院へ。怒涛のごとく仕事を終え、一目を避けるように12時頃帰ろうとしたら、上の先生に見つかり「もう仕事終わったんか、早いな」と嫌みを言われるが、構わず京フェス会場へ。朝一から仕事していたんだから文句言われる筋合いはねえよ、とちょっと怒りモード。
 しかしオープニングクイズ用のクイズ選びが終わっていないので、本会の講演を聞けない。外の受付で悲しくクイズを選ぶ。
 その最中に病院からポケベルを鳴らされる。「この薬とあの薬、先生がいなかったから代わりにT先生に出してもらいましたからね。後でお礼言っといて下さいね」だって。お前に言われる筋合いはないわい、と激怒りモード。
 嬉しかったのは、私がファンである、マガジン編集長(塩)さんを今年も拝顔できたことくらい。とっても格好よかったけど、御夫人連れであった。
(塩)さんが会場に入っていくと同時に、会場から出てきた先輩が一言。
「今(塩)さん入ってきたね。奥さん美人だね」
 当たり前ではあるが、私が見ていたのとは全然違うところを先輩が見ていたことに感心してしまった。

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