6月1日(火)

 TYDに参加。うちのパソコンの速度と使用頻度ではほとんど役に立たないけど、1ユニットでも多い方がいいでしょ。

6月4日(金)

 朝から忙しかった。早く帰りたい一心で研修医みんなで必死に仕事をしていたが、21時頃不穏な空気が。他科の先生が循環器の先生を探し始め、心エコーの機械を別の病棟に持って来いといわれ(なぜかこれは循環器科を廻っている研修医の役目なのである)、挙句循環器の先生が今からペーシング(緊急的に使うペースメーカーのこと)を入れると言い出した。結局入院当番1番だった私が転科してきたその患者をとった。帰宅2時半。
 6月から来たばかりの循環器科ではない同期の研修医が、自分の担当患者でもないのに、のぞきこんで心エコーをみていたりしたのが驚きだった。首をつっこめばひどい目に合う、触らぬ神にたたりなし、という言葉が身についていないらしい。来たばかりでひどい目に会ったことがないせいか、あるいはあまりにもまじめで24時間仕事をしても平気なほどの熱意と体力があるかのどちらかであろう。

6月5日(土)

 8時半に出勤。16時半にだいたい仕事が終わった。
 6月から新しくうちの病院にきた研修医の1人が、以前この病院で研修した先生に、「あの病院の循環器科はひどいところだ。あそこは人間の働けるところではないからな」と脅されてきたとおびえているので、それは脅しでは全くなく、単なる事実である、と真実を伝えてあげる。すると、余計おびえている。おびえても仕方がない、絶対にひどい目にあうので、あきらめな、と言っているのだが。
 家に帰って2時間昼寝。

6月6日(日)

 朝9時頃起き出して病院へ。昼前に小児科から敗血症の患者が循環器病棟に来るという噂が。昨日の夜当直で、今朝家に帰った先輩が入院当番1番だった。残っていては仕事をさせられることは必定なので、逃げるように帰る。
 しかし、どうして小児科の患者が循環器病棟に来るんでしょうねえ。循環器病棟が単なる集中治療の場として使われていることがはっきりわかります。循環器科の支配者の某先生は、循環器科でとるように、と電話で指示したらしいが、そりゃね、自分が仕事をするわけでも何でもないんだから。この某先生は自分が日直のときでも、その場にいる研修医に日直の仕事をさせ、自分は当直室で寝ているというすごい人である。ちなみにこの先生はバラを自宅で育てており、そのバラを病院に持って来て大切に手入れをしている。人にはやさしくないが、バラにはやさしいのである。

 夜、プレサリオ君でネットに入る。懐かしいモデムの音。ああ、素晴らしい。早速SETIに行って、スクリーンセイバーを落としてくる。速い、とにかく速い。ほかの人のパソコンではこういうふうに動いていたのね。うちのCx君で走らせていた解析様子とプレサリオ君では全然違う。数時間で、今まで解析した分(1ユニットの20%)の3分の1を達成。

6月7日(月)

 金曜日の23時頃に循環器科に転科してきた私の患者が、朝からもとの科に転科となる。集中治療室に入れる人数は限られているので、集中治療室にいる患者の中で、最も症状が軽く、引き取り先もある私の患者が押し出されたのだ。週末だけの、まるでショートステイであった。

6月9日(金)

 昨日の夕方から左上腹部に痛みがあり、周りから腹膜炎だのなんだの言われていたが、今日の午前中より下痢があり、夕方から突然全身の脱力感と悪寒におそわれ熱が出始めた。どうやら腸炎らしいが……。腸炎なんてなったことないからよくわからないぞ。下腹が重いし、寒い。
 他の研修医の担当患者のPTCA(冠動脈のバルーン拡張術)の付き添いのピンチヒッターとか訳の分からない仕事をいろいろ。PTCA処理班と呼ばれてしまった。しかしそんな感じ。

 前回循環器科を廻っているとき、ロキソニン(解熱鎮痛薬)を家に持って帰るのを忘れたために、夜中39度の熱が全く下がらず、朝の5時からよろよろと病院へ行き、ロキソニンを探し出して熱を下げたとてもしんどい思い出があるので、今回はぬかりない。大好きなロキソニン(39度の熱が36度台に下がり、働けるようになるありがたい薬)、プリンペランにブスコパン、ビオフェルミンを持ち家に帰る。ふと思ったのだが、お腹の薬はハ行で始まる名前が多いのではないだろうか。プルゼニド(便秘薬)とか。

6月10日(木)

 昨日の腹痛と熱発はすっかりひいた。
 今日は循環器科の支配者の某先生に引っかきまわされっぱなしだった。某先生と2人だけで担当している(普通はもう1人誰か、役に立つ先生が担当となる)患者が急変した。某先生は方針が一定せず、いろいろ言っては周囲を引っかきまわし、患者の家族への説明でも、訳の分からないことを言うため、患者の家族も混乱し、もう本当にどうしていいのやら。
 あまりにも腹が立つので、循環器を廻っている他の研修医にさんざん愚痴をこぼしてうさをはらす。一緒に廻っている2人は(先輩1人と同期1人)両方ともいい人だ。研修医同士がうまくいってないと助け合いというものをしなくなるから、ただでさえ忙しい循環器科は地獄となる。

6月11日(金)

 朝10時からPTCAの付き添い。途中で患者が血圧下がったり徐脈になったりして大騒ぎ。
 13時に病棟に上がり、13時半に外科からゼプシス(敗血症)が到着。大騒ぎの中、14時半から再びPTCA。これも騒ぎとなり、病棟に上がったのが16時過ぎ。入院当番は同僚の番だったが、同僚は集中治療室の別の患者も持っていて忙しく、私に敗血症患者が廻ってくる。
 夜は当直。

6月12日(土)

 2時頃に仕事が終わり寝ようと思ったら救急室から呼ばれる。心不全の患者が来て、処置が終わったのが5時前。7時半に起きて血液データその他を見ると、その患者は心筋梗塞も合併していた。
 それから昨日の敗血症患者の処置に19時過ぎまでかかる。しかし、循環器科とは名ばかりで、ここは各科の手に負えなくなった重症患者のふきだまりだな、とつくづく思う。心臓が悪い患者の重症なんてあんまりいないもの。こないだ冬に廻ったときは循環器科本来の重症患者もいたけど、今は外科系の尻ぬぐいばかりである。手術したからには最後まで自分でみろよ、全く。
 SETIは複数の人に同じデータを送っていたらしい。参加人数が膨れ上がって処理が間に合わなかったからだそうで、わからなくもないがよい気分はしない。

6月13日(日)

 10時前に病院へ。敗血症の患者は少しよくなっていたが、再手術することに。別に外科に戻るわけではなく、手術後もこっちに戻ってくるのだ。再手術は16時から22時までかかった。術後すぐに持続透析をまわせるように待機。今日も当直でよかった。

6月14日(月)

 4時頃、昨日再手術の患者の血圧が下がって呼ばれる。朝までごたごたしていて結局4時間くらいしか眠れず。まあ当直だったので仕方がないが、土日全く休めなかったので、しんどい。
 今日は23時前には帰れた。

6月15日(火)

 AMI(急性心筋梗塞)が来た。帰宅は2時。


過去の日記の目次に戻る。

日記に戻る。