1月21日(火)
WHO脱退ねえ…。
いかなご「よその家では、親が急に歌い出したり、合いの手入れたりはしないらしいよ」
そうかな。
1月22日(水)
ポガチャル母インタビュー、ポガチャルの兄弟が僕なんて…と言い出すのを、あなたも同じように素晴らしい、と言ってるって、4人もいると大変そうやな。
77羽殺害って怖過ぎ。あの写真家の人が捕まえてくれたらしい。
1月23日(木)
疲れた。毎日歳の数以上外来来るのやめて欲しい。
1月24日(金)
ACジャパンのCMが見たくて関テレをつけた我が家。CMまだかなあ、と待ち望み、おおおこれが噂の決めつけデカか、なかやまきんに君か、と満足した。
1月25日(土)
セバレンジ『ルワンダ・ジェノサイド生存者の証言』を読み終わった。生まれてすぐの1960年代と1973年のツチ虐殺を生き延びた著者は(近所の人がいきなり襲ってくるが、突然終了のお知らせが流れて、元の生活に戻るのが怖過ぎる)、家族でただ一人コンゴに送られて教育を受け、一旦ルワンダに戻るが、1994年の虐殺の直前に国外に逃れ、生き残る(家族はほぼ殺害される)。
その後、野党の政治家になり(軍がすべてツチに押さえられ、立場が逆転してフツが恐怖を感じるようになる)、国会議長になり、RPFのカガメが徐々に独裁を強める様子が描かれるのだが、これが非常に恐い。60年代の虐殺で難民となり、ウガンダの情報機関のトップからRPFのリーダーになったカガメは、表面上は人当たりが良いが、自分の独裁を邪魔する人は次々と粛清していく。まさにプーチンそのもの。自分がパージされるという噂が流れ、周囲の人ははっきり言わず、カガメに確認したらそんなことないよ、と言われるが…最後に愛想の良いカガメの顔が突然変わる話とか、多くの亡命者を出しているカガメ独裁の詳しい話は少ないので貴重。
ギリギリで暗殺を逃れ、アメリカで生活している著者もやはりガチャチャには批判的で、法の支配、民主主義、赦し、和解、カウンセリングの重要性を語る。ツチとフツの割合に差があり過ぎるので、どのみち民主主義への移行は難しそうだし、カガメが死んだら何か起こりそうなところがまた恐い。
それはそうと、あとがきにISISに殺された後藤さんの母、石堂順子さんの発言が引用されているのが…引っかかるところが「憎悪の連鎖となってはならない」なのか。
1月26日(日)
特に誰も応援していない巴戦って、身体にいいな(はるか昔の苦しい思い出が)。豊昇龍、強い&叔父に似てる。王鵬がやる気なさそうな顔なのも面白い。
コルバン『人喰いの村』を読み終わった。19世紀フランスの田舎の村で、市にやって来た貴族の青年が突然村人達に暴行されて焼かれた事件の背景をつらつらと書いた本。フランスの農民は、貴族と司祭と共和制が敵で、基本的に皇帝支持っぽい。フランス革命で散々野蛮なことが横行していたが(緊張を和らげ、苦難の時期の後で集団の調和を回復することも虐殺の機能)、19世紀に入ると、虐殺の際に作動する理解できない盲目的な諸力を解放することは許容し難いこと、淫らなことになった、らしい。
1月27日(月)
なんというか…疲れてる状態でバックフリップやるのはやめた方が…。
いかなごが「ひとりかくれんぼ」なる遊びの話をはじめて、両親が知らないことに衝撃を受けていた。テレビの砂嵐を表現するために、スマホからyoutubeの砂嵐の動画を流すんだって。
へえ、フジテレビの遠藤氏って、遠藤周作の息子なんだ。
1月28日(火)
土曜日のもぐ。学校→部活→大阪まで一人で演劇見に行って、帰宅23時過ぎ。
日曜日のもぐ。朝7時前に家を出て、演劇部の合同練習。
月曜日のもぐ。学校→ナゾのダンス講習。帰宅21時過ぎ。
今日のもぐ。学校で実力テスト→部活→塾。
活動的過ぎるやろ。誰に似たんだ、この子。
母は一定時間寒風にさらされると、活動停止して寒いしか言わない動かないイキモノになる。
1月29日(水)
小林『中共革命根拠地ドキュメント』を読み終わった。共産主義にシンパシーを持ち(「ロシア革命のモスクワ、パリ・コミューンのパリ、そして瑞金、光り輝く革命の都」)スターリンが何をしたか知っていながら金日成に好意を持っていたという著者が、国共合作が崩れた後の中国共産党の革命根拠地時代に粛清の嵐が吹き荒れていたことを知り、中国側の資料を基に、どこで誰がどれだけ粛清されたかを詳しくまとめた書。
もともと農民運動という形であちこちで暴動が起きていたところに、水滸伝の英雄的な地元の共産主義革命英雄が出現。一方で、ソ連に留学した中国人学生達は、トロツキー派の粛清を目の当たりにする(中国人留学生が赤の広場でスターリン打倒トロツキー擁護のスローガンを掲げて上層部をビビらせたらしい)。1930年代はじめに、モスクワ帰りの党員が地方に送られ、あちこちでスターリン式粛清を見せつけて、大量に地元幹部(ほぼ全滅のところも)や人民(反抗すると住民ごと皆殺し)を殺しまくった、という経緯らしい。
ちなみにモスクワ留学には行っていない毛沢東は、この粛清の嵐の前に独自で粛清を行い(富田事変)、これが党中央から推奨されたというのも一因になったようだが、毛沢東以外の党員達もせっせと初期から粛清していた、というのはなかなか衝撃。
毛沢東は革命根拠地時代から独裁主義で、誰が敵で誰が味方か分からないようにして、混沌の中で味方の中の敵を襲う、というのが常套手段。平行して土地改革(大地主を殺すか追放して財産を奪い軍資金にしたものの、兵を養う資金が足らず、次に富農から奪った)もやっていた。革命根拠地が客家(ユダヤ人みたいな一派)が多い場所ばかりだったのも、粛清が起きやすかった一因じゃないかと著者は述べている。
富田事変やAB団粛清については、胡耀邦が寛容だったこともあり、1980年代から犠牲者の名誉回復運動が起こり、2000年に発表された論文で実情が詳しく明らかにされたのだとか(ただし、毛沢東の名前はなるべく出さないようにしている)。
共産党は中国で多発した邪教(白蓮教とか拝上帝会とか)に似ている、「うらみ、つらみ、そねみ等の復讐心、暴力崇拝の精神が共産党によって聖なる暴力に価値転換された」というのも分かりやすい。
あと、最後の事項索引が凄い。「は…一00人を誤って殺しても、一人のAB団を逃がさない」「や…容赦のない公開処刑」「ら…劉士奇の独裁者ぶり」。
1月30日(木)
あまりに処置が多過ぎて、ここは外科か?と看護師さんに言われた(しくしく。
60年以上前の悲劇が繰り返されるとは…。シシコワ&ナウモフって、ヴェリコワさんのところのペアだったのね。
1月31日(金)
バトン爺亡くなったか。菅原さんも亡くなられたとは。
夜カレーうどん食べたら、それから2時間以上記憶がない。