8月11日(日)
洗濯と階段の掃除して、暑くて倒れてたら、いかなごがアイスノンくれた。うちの娘、天才じゃない?(←たぶん2歳児でもする)。もう2歳児じゃないので、その後、昨日の残りのフルーツ盛り合わせの中にしろくま入れて、豪華しろくまを作って食べていた。
そういえば、ラスムッセンっていたな。初めてジロ見た年だったし、ルールも把握できてないのに、次々選手いなくなるから、凄えスポーツだな、と思った記憶が。
ヴィンゲゴーは、母方の苗字がヴィンゲゴーで、父親はラスムッセン。元々ヴィンゲゴー・ラスムッセンだったのを、ヴィンゲゴー・ハンセンに変えたのは、やたらキスしてる愛妻と姓を同じにしたいのもあるかもしれないが、対外的にイメージ悪い、ってのもあったのかなと邪推。ちなみに、ハンセンは大阪における山本クラス、ラスムッセンは小林クラスによくある名前らしい。
エヴェレット『ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観』を読み終わった。これも私的有名だけど読んでなかったシリーズ。福音派宣教師としてアマゾンの小部族ピダハンの村に住み込んだ著者の生活と、ピダハン語についての話。冒頭から、一番下が2歳の子供3人を連れて家族でアマゾンの村に住みこみ、薬たくさん持って行ったから大丈夫、って正直頭湧いてるなと思った(妻が宣教師の娘で未開地育ちというのも大きかっただろうが)。
著者が強調しているのは、ピダハンの人々が「とにかく幸せそうで、笑顔が多い」ということ。ピダハンは人生に満足している、と繰り返し語り、死への恐怖を持たないとも言っているが、自助を重んじる習慣のためか、妊婦が助けを求めても無視して見殺しにするし、交易で酒を手に入れると全員酔っ払って犬撃ち殺したりするし、平均寿命40歳らしいし、どうも著者の話には胡散臭さを感じる。ピダハンは今の瞬間を大事にし(ヤンキーと同じ)、自分達の文化が最善であると考えており、基本的に外の思想を取り入れる気はない。技術や機械を導入することはあっても、保全は人任せ。
ピダハンの会話は、体験が重視され、直接聞いたことや見たことしか口にしてはならないという暗黙のルールがあるらしい(その結果、福音派の第一の目的である、聖書の現地語への翻訳が不可能で、最終的に著者は信仰を失う)。そのためか、文には入れ子構造がなく、短い文を繋げて話す(チョムスキーがリカージョンは人間言語に固有だと言っていたため、ピダハン語は反証になった模様)。物語となると、ひたすら同じことを何度も繰り返し語るので、非常にくどい(それがピダハン語ではおしゃれ)。数や色を表す言葉はないし、親子兄弟ぐらいしか親族を表す言葉はない。
著者は文法と文化には関係がある(つまり遺伝的に文法が備わっているわけではない)とも言っていて、そこも言語界隈では争点になったっぽい。個人的には、どんなに笑顔が多い暮らしでも、巨大ゴキブリにたかられて寝たり、体験以外の話をしたら駄目な生活は嫌だな。
8月12日(月)
今年の京フェス、オフライン開催で合宿あることを知った。
パリ五輪の式担当者、どんだけピアノ嫌いなの…。
もぐが『ひろゆきの論破くん』という、ひろゆきの語録が再生されるおもちゃを買ってきて、姉にすべてコレで返事をしはじめた>「それってあなたの感想ですよね」「嘘つくのやめてもらっていいですか」「バーカ」
ツール・ド・ポローニュ見てみた。グランツールと違って、カメラが少ないので、より分かりにくいのね。もともと勝った人と競った人以外の、多数の途中で諦めたりした選手が何をしようとしたのか、今いち分かりにくい競技だけれども。
8月13日(火)
予想していたとはいえ、あまりにも外来人数多過ぎて。夕方、病棟の人に中止箋出して、『箋』てカルテに書こうとして、「なんで『せん』って同音異字こんないっぱいあるんだよ」ってぶちキレてる自分に気づいた。疲れてるぞ。
ヴィスマのウェブで、ビンバ君(トイプー)の絵がついた黒T売ってるの見てのけぞった。なんでも売るな。
8月14日(水)
もぐ「ママのこと、婆さんって呼んでいい?」
私「もぐよ。世の中にはやっていい事とやったら駄目な事と、やってもいいけどやらない方が身のためな事があるのだよ」
ツール・ド・ポローニュの表彰式見てたら、プレゼンターがヴィンゲゴーに夢中で、2位のヴィンゲゴーにぬいぐるみ渡して、もらったヴィンゲゴーが、これ、優勝者のでしょ、て確認して、優勝者に渡しなおしていた。プレゼンター適当過ぎる。
8月15日(木)
ツール・ド・ポローニュは今日はスプリンターステージで、チームの他のメンバーが牽いている中、ヴィンゲゴーは後ろで色々なチームのデンマーク人達と延々お喋りしているのを抜かれまくっていた。マジ公開休息日練習。ゴール後はチーム初勝利で集合写真撮って楽しそう→表彰式でリーダージャージのファスナーが壊れ、襟も裾も閉まってないのに、とりあえず酒渡されていた。
アレクシエーヴィッチ『アフガン帰還兵の証言』を読み終わった。80年代にアフガニスタンに派兵されたソ連の人々の証言を集めたもの。新兵への酷いイジメ(睡眠不足に栄養失調、暴行)、敵にバラバラにされて皮を剥がれたり、戦死したら亜鉛の棺に密封されて故郷に送られ(家族が遺体の状態を見られないように密封したらしい)夜にこっそり墓地に埋められる、もちろんソ連兵もアフガニスタンの村で女子供を問わず殺す、爆撃で四肢を失う兵多数、生きて帰ってもPTSDに悩み、周囲から人殺しと嫌われる…ベトナム帰還兵と同じ。
この時も「限定的に派遣された兵員」とされており、兵達は「きっともうじき誰かがすべての責任をとらされるときがくる」と言っていた。「ソ連の兵士はもっとも安くつく兵士だ。1941年のときもそうで、50年経った今も」。その30年後の今も…。
8月16日(金)
毎年恒例、普段なら開業医を受診する人+お盆で休みなので受診した人+お盆で医療機関が休みで病状こじらせた人が集まるカオスデー。しんど過ぎてコレ見てもなかなかHPが回復しない。
送り火、なんで今年はヘリ飛びまくってるの?金持ち観光客?
ブエルタのプレゼン。ジャージがT-REX柄なのは、T-REXっていう強力接着剤の宣伝、って難し過ぎやろ。それにしても、エースを置いてプレゼンに出てくるチーム凄いな。
ツール・ド・ポローニュ、今日もスプリンターステージなのに、みんな一列で走ってて、昨日みたいにお喋りしてる暇はないっぽい。無線なしデーで、はぐれたらヤバいから??
前回の無線制限日に、逃げの選手が落車して、側溝に倒れ込んでしばらく発見されなくて、もし中央で倒れてたら下手したらプロトン突っ込んでたんでは、とか言われてたけど、無線ない時代って、事故頻発だったんだろうか。
8月17日(土)
オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』に出てくる諺がひどい。
「ユダヤ人よりは蛇を、ギリシャ人よりはユダヤ人を信じよ、だがアルメニア人は信じるな」
東『我が南京プラトーン 一招集兵の体験した南京大虐殺』を読み終わった。日中戦争で戦った著者の当時の日記をまとめたもの。南京虐殺の話は、落城時に7000人いた捕虜を全員殺した、という記載が主で、それより徒歩でひたすら行軍、道路事情が悪くて輜重隊が進めないため、食料はすべて現地調達、現地住人は男は基本皆殺し(徴用して働かせた後に殺すことも)。最初は気の毒で殺すことを躊躇していた著者も、相手がパルチザンかどうか判別できないことを体感すると、殺すことに抵抗がなくなっていく。
「私たちは殺人鬼であり、放火魔である」。残忍なことばかりする日本兵がいることも書かれているが(そういう人は卑怯なことが多い、と)、著者も「逃走する敵を狙い撃ちするのは楽しい」「村民を強姦中の兵が襲われた。尊敬が足りないので村を焼き討ちすべし」と述べ、時が経つにつれて、だんだん一時の安楽しか求めなくなってきた、と語るリアルタイム日記のリアルさ。戦争になると、兵士は全世界どこでも同じ感じ。私が幼児の頃は、まだこういう経験してきた人が大勢社会にいたんだなあ。
ツール・ド・ポローニュ6日目。なんか牽制しまくってて、3位のケルデルマンを引き上げたかったみたいだけど、結局タイム差はあまり変わらず、グダグダな展開。
8月18日(日)
いかなごを模試(というか最早12時間耐久レース)に送っていったら、同じように送られてる女子がいた。
私「ほーら、いかなご、お友達がいるよ」
いかなご「お友達って言わないでくれる?」
初めて別のサーバに行って、赤の他人を焼き尽くしてきた。これも慣れていくんだろうなあ。戦争恐い。
地蔵盆。もぐは紙芝居の兄ちゃんとして駆り出され、近所のお年寄り達に褒められまくっていた。もぐを見に行く時に木乃を連れて行ったら、木乃もあちこちから可愛がられていた。ついでに隣に住んでる外国人と四方山話。隣なのに犬の鳴き声しないが?と言われた。基本1日1、2回しかワンて言わないんで。
ブエルタ初日TT。カラパス、真っ黄っ黄のエクアドルチャンピオンジャージとピンクヘルメットの組み合わせが凄い。あと、ごめん、マクナルティの風体が怪し過ぎて詐欺師にしか見えない。
ツール・ド・ポローニュって、ヴィンゲゴーにとっては、特に力使わなくても余裕な感じで、ポイント獲得仕事を兼ねて、精神面も含めたリハビリの一貫だったんだろうな、と思った。終始楽しそうだったし。
8月19日(月)
カナダ人にappreciateされて疲弊して帰ってきたら、いかなごが桃むいてくれた。高校生役に立つわ。
カルピ『強制収容所グーゼンの日記』を読み終わった。イタリアでレジスタンス活動をしていてナチスに逮捕され、マウトハウゼンの付属収容所グーゼンに送られた画家が書いた日記とその解説をまとめたもの。敬虔なカトリックの芸術家なので、主に神と祈りと家族の話しかしてない(解放後は絵と音楽の話も)。芸術家の頭の中ってこんな感じなのか。
画家ということで優遇され、親衛隊員の依頼を受けて肖像画を描いたりして生き残るが、解放後はアメリカ兵に軟禁され、やはり肖像画を描かされまくって、なかなかイタリアに帰してもらえず(でもアメリカ人はみんな陽気で親切だって)。収容所では、周囲はポーランド人が多くて、言葉が全く通じないのと、絵を描こうにも、モデルや写真がないので、生命感のある絵が描けないのがストレスだったよう。絵画学校の教師をしていたのもあってか、ナチにならないように、教育が大事だとも語っている。
8月20日(火)
ワウト、赤いの似合い過ぎて笑う。まさにレッドブル。
S君「バッタを見たら殺せ。紫蘇を食う」
庭の大葉、殺したら食われなくなったらしい。
ヴィンゲゴーの写真見て、彼は体型がおかしいんだよね、体幹が円筒みたい、と言っている人がいて、なるほど、と思った。体幹MR見てみたい。