6月21日(金)
もぐが140のTシャツを着れなくなったので、新しいTシャツを買おうとしたが、柄が大きいのは「子供っぽいから嫌」だと言う。ワンポイントがいいんだって。しかしだな、今の流行では、ワンポイントTシャツはおじさん風味なのだよ。無地でもいい、と言うが、母的にはまだ無地は早いと思うのだよ。
てことで、無地のTシャツを買って、適当にペンギンの絵と文字をくっつけたロゴ(格好いいからギリシャ文字、というカタカナでタトゥー入れる白人な発想)を、アイロンプリントシートにしてもらって、くっつけてワンポイントTシャツ5枚作成。いかなご「あるよね、こういうTシャツ」。サイズはメンズSにしたから、しばらくは着られるはず。
6月22日(土)
今日の昼ご飯はお好み焼きだったが、お好み焼きの度に、岸田とスナクの広島焼き写真を思い出す。
京響の演奏会に行ってきた。ショスタコのチェロ協奏曲と2番という珍しい出し物で、指揮者井上道義のトークも面白かったし(12番はミシドの和音で止まる、ミシドはスターリンのイニシャル、とか)、チェロのソリストの人も凄かった。
久しぶりの推しは、チェロのソロとタンバリンソロ共演の見せ場が凄かったし、2番ではずっとシンバル弱音で叩くわ、最後はガンガン鳴らすわで堪能。
2番は合唱付きなんだけど、合唱団の年齢層が高いのにちょっとびっくり(いつもながら会場の年齢層も高かった。チケット売り切れだったらしいけど、あと5年経ったらどうなんだろ)。合唱も凝った作りの上、最後はレーニンで締め→オケがシンバルと大太鼓で締めという…今の日本で、こんな珍しい曲、生で聞けて幸せ。サイレンも使われてたんだけど、パーカッションの人が物凄い勢いでハンドル廻してて面白かった。
帰りに、もぐが所望する本を探しに久しぶりにブックオフに行ったら、『壁の両側』が安く売っていて、家にあるけど、良い本だから買った。
S君「『壁の両側』だから西と東に一冊ずつ置くんだろ?」
私「何言ってんの。ベルリンの壁じゃなくて、ワルシャワ・ゲットーの話だよ?」
S君「素人にはそんなこと分からないよ」
素人とわ。
オアニアン『異境のアルメニア人』を読み終わった。第一次大戦期のアルメニア人虐殺時に子供だった著者の自伝。アンカラに住んでいた著者の父はトルコ軍に徴兵され、兵士の家族とのことで移送は逃れるが、母は流産で死亡、4人の子供は孤児状態に。いやいや、子供4人いて出征しているのに、休暇時に5人目作るなよ、と盛大に突っ込んだが、カトリックなので仕方ないのか。著者と弟は、鉄道で働く叔父のおかげで、こっそり田舎に脱出し(アルメニア人なので、大っぴらには移動できない)、戦後は孤児院に入るが、ムスタファ・ケマル(トルコ共和国の建国者)が攻めてきて、ギリシャ・トルコ戦争が勃発、巻き込まれて孤児院ごとギリシャに移動。姉のいるアメリカに移住しようとするが果たせず、最終的にはフランスに脱出して、一族ごと永住する。
移送、虐殺は逃れても、結局はトルコはアルメニア人が暮らせる環境ではなくなったので、どこかに移民せざるを得なかった背景が良く分かる(アルメニアという国もできたが、ソ連の支配下に入ってしまった)。とはいえ、ホロコーストほど周囲の反アルメニア感情が強いわけではなく、全体的にはトルコ人の方が貧しい人が多かったり、アルメニア人の団結が強力で、一族同士で助け合うのはもちろん、全く関係ない金持ちのアルメニア人が援助してくれる様子も描かれている。しかしなあ、穴掘って、消石灰入れて、その中に集団を突き落として殺す、って、後のユダヤ人虐殺とやり方同じ…。昔からよくある方法なのか?
6月23日(日)
もぐに遊ぶ金を要求された。クラスメイトと映画に行ったらしい。ちなみに昨日は小学校の同級生と出かけていた。
コルバン『記録を残さなかった男の歴史』を読み終わった。歴史家が記録を残していない男の歴史を書いてみようと思い立ち、19世紀に生きた木靴職人の男を無作為に選んで書いてみました、という本。意外にいけるもんやな、と思った。
文盲なので、本人が残したものはバツ印だけ。居住環境や当時の経済状況、親戚家族構成、当時の記録(めっちゃ小さなことで近所同士争った記録とか残ってるのね)等が説明されている。森の木は結構盗まれるので、番人が木の色や輪郭を覚えていて、切られた木切れと切り株を合わせて犯人を見つけるとか、女性は内職に糸紡ぎをすることが多かったが、手袋作りの方が儲かったので一斉にスイッチとか、敷地の境界線で隣同士めっちゃ揉めるとか(国が確定するのって大事なのね)、税金を免除される極貧者リスト(1割強ぐらい、この木靴職人の人もその1人)があったり、木靴の作り方が写真入りで載ってたり。そこそこ面白かった。
6月24日(月)
歳取ったら早起きになるって言うけど、全然毎朝辛いやん、と思っていたが、ここ半年ぐらい、やっといかなごを送る時間に起きるのが辛くなくなってきた。
ベール『エレーヌ・ベールの日記』を読み終わった。ユダヤ系名家のお嬢様(父は副社長)、ソルボンヌ大学英文学修士の著者が、ナチス占領下のパリで次第に追い詰められていく様子を記録したもの。1942年はまだ牧歌的で、今いちな彼氏との別れ、新たな彼氏(非ユダヤ系、後に抵抗運動に参加するため出国、母がデリカシーがない)とのワクワク、景色の青さ、綺麗な光などが描写されているが、ユダヤの星をつけなくてはいけなくなったり、ユダヤ系ボランティア団体に所属して、移送されるユダヤ系外国人と多く接したり、父が路上で逮捕されて一時収容所に送られたり(社長が身代金を払ってくれて釈放)するうちに調子が変わっていく。
ボランティア仲間が移送になり、占領地区外への脱出も難しくなると、半分は彼氏に内面を知ってもらいたいがため、半分は記録に残しておきたいがための日記となる。移送人数の数合わせのため、両親と離れ離れになったユダヤ人の子供を、孤児院から移送するために連れ出しに来るに来る当局者を見て「責任者が表に出ないので反抗しにくいようになってる」、ユダヤ人ではない人と話していて「慈悲はその人の優位と尊大さを表す。求めているのは慈悲ではなく理解」、「状況が悪くなった日には、彼らは強制収容所をどうするのだろう?」、自分達が助かっていることへの罪悪感、そして孤立感。
著者と両親は収容所送りを免れるため、自宅外で夜を過ごすようにしていたが、1944年3月、自宅に戻っていた時に逮捕される。隠れ続けるのに疲れていたんだろうね。ドランシーからアウシュヴィッツに移送され、父は病気で死亡、母はガス室送り、本人はベルゲン・ベルゼンに移送され、イギリス軍に解放される5日前に、チフスに罹って点呼に出られず、看守に殴り殺されて死亡。
特筆すべきは、シオニズムには否定的で、ユダヤ性に関する記載はほとんどなく、意図的なものかもしれないが、食べ物の不足に関する記載も全くないこと。今の私達とあまり変わらない生活をしていた大人が書いた日記ということで、読む時にどうも気恥ずかしさを感じずにはいられないアンネの日記より、読みやすいし理解しやすい。
6月25日(火)
こないだ理解力も記憶もバッチリで、骨折治して独歩退院した98歳の人がいて、20歳位年齢詐称してるんじゃないかとマジで疑った。世の中には信じられない高スペックの人が存在する。
「お母様って、ゲーム下手過ぎない?」
いかなご真実を知る。
6月26日(水)
最近朝辛くないから、弁当朝に作ってもいけるんじゃね?と朝から作ってみた。朝早めに起きるのは辛くないが、(寝過ごさないか)不安で前夜眠れないのは変わらなかった。気づけよ>自分。
高額な私立医大に行っていた人から、その闇を聞いて慄く。自分とは関係のないお金持ちの世界だから、あまり考えたこともなかったが、入学した面子で一緒に卒業するのは3分の1ぐらいとか、卒試に受からず放校になる人が何人もいるとか(8年分以上の学費を払って、資格どころか卒業もできないって…)、そんな状況なのであの世に行っちゃう人も普通にいるとか。
6月27日(木)
我が家の夕食、私には茄子野菜炒め、いかなごには野菜炒め、もぐには肉炒め、が出てくることが良くある。
食後、ソファの上に私といかなご、もぐ、木乃が載ってる様子を見ると、赤べこにならざるを得ない。
6月28日(金)
勝田・高神編『アイルランド大飢饉 ジャガイモ・「ジェノサイド」・ジョンブル』を読み終わった。アイルランド飢饉に関する論文集。アイルランドでも、ジャガイモが主食なのは下層の農民だけで、お金持ちは穀物を食べていた。ジャガイモは飼料兼なので、ジャガイモが不作でも豚が死ぬだけだから便利、と品種も色々広く栽培されていたが、病害で収穫が4分の1になり大飢饉に。
この時イングランドがアイルランドを意図的に見捨てたという陰謀論があるが、飢餓輸出がなかったことははっきりしているらしい。当時の政府は、市場介入を最小限にするのが不文律になっており(治安維持だけするべき、みたいな)、救済策として土木公共事業を行ったがあまり効果はなく、スープの無料配給が一番マシだったとか。やられたのは自家消費用作物だったこともあり、アイルランド側も自分でどうにかできると主張。マルサス的な考え方や、凶作は神の業や天災みたいな考えもベースにあり、便乗して地代を払えない小作農を追い出す地主もいて、結果的には大量移民が生じて、英語を喋る人が増えた。
その後も今も飢饉への注目が少ないのは、アイルランド語を喋る人口が減ったこと、どうしてもアイルランドとイングランドの政治史に関心が向かうことが多い(この本も政治対立の話が多かった)からっぽい。
6月29日(土)
本多『殺される側の論理』を読み終わった。本田勝一が「殺される側から見た」自身の文章をまとめたもの。ソンミ事件はアジア人に対する人種差別、探険家・文化人類学者・宣教師は侵略者の手先とか、今では一般的な考えのような気もするが、当時はそうでもなかったのかな。社会主義が理想に近づけば、少数民族は幸せになる、とまだ夢見てる言及も。
都合良く記事に対する反論の手紙を(英語で)書いてきて、「黒人を愛する白人もいる」「アメリカの政策に人種の影響が他国よりあるとは思えない」なんて言い出した「善良な白人様」のアメリカ人宣教師というカモネギを目にして、公開討論をしかけ、噛み合わない応酬でぼっこぼこにした挙句「もう少し手強い論客かと思った」なんて書いてるのにもかなり辟易。
アメリカがフィリピンを征服した時は、インディアンを根絶してから10年も経っていない(おまけにその後は日本軍に多数殺されて…フィリピン気の毒)というのと、今西錦司が探検家として語られているのが(生物の授業で習ったよ)面白かったが、こういう拘りありまくりのザ・朝日新聞記者、「ああ言えばこう言う」無敵の人は、あまり気分の良いものではない。
こないだ患者さん(1歳)の親御さんに「保育園で水遊びしてもいいですか?」と聞かれたので「その年齢ならバケツに入るぐらいでしょうから大丈夫です」と答えた、という話をしたら、いかなごが「バケツ?」と言うので、アルバム(←保育園で撮ってくれた写真が入ってるやつ)を取ってきて、自らがバケツに入っていた写真を見ていただいた。
いかなご「赤子みんな同じ顔してるやん!どれが私?」
私「一番可愛いのがお前だよ」
S君「パパでもどれが君か分かるぞ」
6月30日(日)
数日前から足の浮腫がひどくて。毎年この時期に酷くなるが、昨日(改造パソコンデスクに)座って布切ってたら、今日はもうだるくて座れない。床に座って切ると腰が痛いし、どうせーっちゅうんや。
ヴィンゲゴー反応速っ。