6月11日(火)

 秋田の(熊牧場から逃げたかもしれない)熊こわ。

 高杉『わたしのスターリン体験』を読み終わった。エスぺランティストの著者が、日本から書物で知った当時のソ連の情勢→シベリア抑留されて、現地で人に聞いたりしたソ連の情勢の話。既にシベリア抑留記を出版しているようで、この本は補遺的な散漫な感じだが、そこそこ面白かった。エスペラント運動って左翼が頑張ってやっていたけど、スターリンが帝国主義的言語政策をとったために弾圧されたとか、35年にスターリン主義を批判するエスペラント語の書物が出ていたとか、メキシコでトロツキー裁判のやり直しっぽいことをしていたとか。あと、「フレームアップ」という単語が普通に出てきたが、捏造って意味なのね。炎上かと思ったら、flameじゃなくてframeなんだ。

6月12日(水)

 え、ざこば亡くなったの…。

 塩田『石斧と十字架』を読み終わった。80年代にニューギニア高地に調査に入った著者が、村に住み込んで家を建て、老人達から昔の神話や風俗を聞き取りする(一部族と仲良くなると、しがらみで敵部族の話が聞きにくくなって大変そう)過程のあれやこれやをまとめた書。一生の間に、部族抗争を繰り返す→白人支配→独立して町にはビルが建つ、を経験した世代がいるのが凄い。社会変動が急速なので、生まれた時期によってはあっさりエリートになれたり、数年差で上が詰まってたりするのか。

 一夫一婦制のおかげで女性がキリスト教信者になる例が多く、大信仰復興運動が勃発して(キリスト教素人芝居を見て改宗したり)村中大騒ぎになったりも(でも数ヶ月で熱は醒める)。生き返ったと主張する人が、講演会を開いて死んでいた時に見た話をするのだが(天国には1人1人ベッド付き個室が用意されていて、差をつけないように色は白で統一されているとか、生前に教会の仕事をすると部屋にプレゼントが用意されているとか)この長い内容を著者が記録して、せっせと訳していて、学術的には色々あるのだろうが、この情熱はどこから来るのか、とも思った。

 現地部族との会話がナゾの方言で表現されているのが、慣れるまでは読みにくいが、こないだの『ニコラス・ニクルビー』と比べたら、意味は取れるので何とか大丈夫。

6月13日(木)

 例のMV見た。こんな企画を正気で通して作ってしまった人々が存在することに眩暈が。自分が白人側だと信じて疑わないところがさすが日本人。というか、最初から最後まで地雷踏み過ぎなので、さすがに炎上商法か。私も初めてミセス何とかという名前を知ったし。

6月14日(金)

 いつものように、朝7時10分に2階のもぐを起こすために居間から叫んでいたら(目覚まし鳴らしても結局起きないので、最初から叫んだ方が早い)、もぐが降りてきて「ママ、もぐ君今日休み」。そういうことは昨夜言え。

 もぐの学校の個人懇談。授業中におにぎり食べてると言われたらしいが、そりゃ先生に失礼だから怒られるべき事だが、将来的に問題になるようには思えないのよね(大人になって仕事中におにぎり食べる子にはならんやろ)。

6月15日(土)

 googleのオススメにコレ出てきて読んで、学校から帰ってきたいかなごに教えてあげようとしたら
「知ってる。読んだ。お母様、なんで知ってるの?」
「googleのお勧めに出てきた」
「私もそこに出てきた」
いかなご&私「もしかして、全員これが出るのでは?」
S君「僕のお勧めにはそんなの出たことない。面白そうなのは出たことない」
 S君のスマホ見せてもらったら、安い定食屋とか、お得な農産物ニュースが並んでた。ちゃんとカスタマイズされてるやん!

 本田編『虐殺と報道』を読み終わった。いきなり1980年出版の『新インドシナ戦争』から「菊地昌典(東大教授)、木村哲三郎、今川瑛一のカンボジア虐殺についての座談会」が引用されるが、これが凄い内容で、カンボジアで300万人殺されたなんてあり得ない、ベトナム軍が侵攻した時、民衆は歓迎していなかったし(いやそれ、農村から出られなかったからでは…)、都市から追い出したので(それは知られていたのね)田舎暮らしに慣れていない都市住民から犠牲者は出たかもしれないが、処刑は「棍棒とか絞首とかいったやり方が主ですから200万300万は無理」「そういうことは技術的に不可能」、ポル・ポト支配から脱出した日本人の手記も読んだが「300万人虐殺説を簡単に信じる日本人の発想に問題がある」、大目に見積もっても死者は30万人で、反対派の処刑が主だろう、「農村の人々が無差別に殺されたわけではないことははっきり言える」と、とにかくナゾの断定口調。

 まあでも、当時は情報が出揃っていたわけではないだろうし、私が今こう考えてるのは後知恵だよね、と思った直後から、現地入りして取材したジャーナリスト達が、発言をいちいちコテンパンに否定するターンが始まって笑った。

 その後も虐殺否定論とそれに対する反論の応酬が繰り返されるが、ポル・ポト政権擁護者の発言を「マッカーシー、フライスラー、ヴィシンスキーといった人々の居丈高な大音声を思い出させる」とdisってる井川一久の表現力高いと思った。ちなみに井川は「ポル・ポト派は中共文革派の理念の影を宿している」とも語っている。こうした虐殺否定論者がぼこぼこ出てくる理由に、ポル・ポト政権が倒れたのはベトナムが侵攻したから、という背景もあるらしい(ベトナムに強い愛憎と拘りがあるよう)。

 最後にカンボジア国際会議日本組織委員会のよびかけ人名簿に出ていた人々に大量虐殺はあったと思いますか、とアンケートを取った結果が乗っていて、明らかにいっちゃってる回答もあるのだが、「一〇〇万人以上なんて考えられない」「日本人はもっと大人になって、国際外交の現実を踏みしめて、虐殺の報道にも冷厳な眼を持つことを敢えて提言したい」(一橋大学名誉教授)とか「虐殺報道は大ウソ、ペテンだ」「(一人殺すのに10分はかかるから)10000万分=6944日間もひねもす殺し殺されていなければならぬ」(日本ジャーナリスト同盟会員)、「私は一九七七年二週間に亘って視察したがその事実はない」(佐々木更三、社会党の政治家)とかtwitterのコメ欄みたいな発言がたくさん。

 総じて、実際にカンボジアに行って取材した人→大量虐殺があった、行ってない人→あり得ない、と発言がくっきり分かれている感じ。一緒に収録されているカンボジアの14歳の子の描いた絵が、棒で頭殴られながら、もう一人に背中から刀突き刺されて処刑されてる人とかで恐過ぎる。

6月16日(日)

 朝から「耳無し芳一」の教訓は何?という話になった。耳介を忘れずに洗え?

 ガチョウの白いぬいぐるみをみんなが気に入ってるので、S君が味をしめたらしく(?)追加がやって来た。「色違いを買ったと思ったら、大きさが違った」そうで、茶色の仔ガチョウが。トリコロールの紐を首に結んで、こちらも丸焼きっぽくしてあげたよ(鬼畜)。

 陳『私の紅衛兵時代』を読み終わった。中学生の時に文革を経験した著者の記録。小さい頃から「愛には階級性がある。変わらないのは指導者への愛だけ」「愛は一時的だが、憎悪は長期的、普遍的。憎悪は正義を意味し、崇高で安全」と教えられ、進学校にわざと雨の中校庭を歩いたり、ボロボロの服を着る(毛沢東の真似)生徒がいたり、幹部の子供は父のように「毛の近衛兵になりたい」と望み、反逆大好き・分業大嫌いな毛に「革命は暴動であり、一つの階級が他の階級をうち倒す激烈な行動である」「敵を地面に打ち倒し、さらに上から足を踏みつけ、永遠に起き上がれないようにし、永劫に身動きもできないようにする」と煽られて文革は発動。

 仲間外れになる恐怖から離脱はできず、紅衛兵として活動しつつ、自分の家も家宅捜索されたり、本を焼かれたり、労働者に詰められたり。そのうち下方され、田舎で自然の素晴らしさに目覚めるが、中国は何をやっても円環になって戻って来るという絶望感に苛まされる。長じて著者は映画監督になる、って覇王別姫の人なのか。この本は日本で出版するための書き下ろしらしく、天安門事件の翌年に出版されていて、覇王別姫が作られたのはこの後。今も国策映画撮っているらしいが、大丈夫なのか。

6月17日(月)

 ずっとインプットしてばかりで、特にアウトプットしたいことはないと思ってたんだけど、いざアウトプットしてみると、意外に楽しい。

いかなご「ねえお母様、クルミパンのクルミって、入ってない方が美味しいと思うんだけど、そう思わない?」
私「昔からお前はそういう無理難題を押し付けてくる子だったよ…」

6月18日(火)

 例の名古屋の医療過誤ニュース、翌日普通に受診してるっぽいので、救急の研修医関係なくね?とはてな付きまくりで、職場でも、あれだけ謝ってるってことは、致命的な見逃しがあったのでは?K2.0を帰したとかさ、とか話題になってたのに、夜経過の説明読んだら…やっぱり研修医関係なくね?

6月19日(水)

 さくらんぼ(だけでは覆えなかったので、ブドウと冷凍ブルーベリーと冷凍クランベリーも足した)タルトを、いかなごの体育祭卒業祝いに作った。あんなに毎年嫌がっていた運動会をもう二度とやらなくて良くなっておめでとう!

いかなご「どうせ体育祭の後、私がブツブツ言うから、機嫌取るために作ったんでしょ」
 …そんな曲解しなくても。。

 タルトとカスタードクリームは、家で作っても味は買ってくるのと大して変わらず美味しい気がする。ただ果物の形が不揃いになるよね。そこが外で買うと高価になる所以か。

私「うたた寝から、はっと目覚めたら、目の前に凄く可愛い犬がいて、しかも自分の犬だった」
S君「犬に舐められて目覚めるとは地獄のようだな」

6月20日(木)

 「自分の順番を飛ばされた。自分は朝一に来たのに」と、自分より前に他の患者さん(勿論その人より前の順番)が入る度に大騒ぎする人が病院にはままいるが、今日、病院慣れしてなさそうな人が自分が診察室に入る時に「あの人騒いではりましたよ」、出る時に「呼んであげて下さいね」と言っていて、いい人だなあ、と思った。

 普通にS君が居間に来たと思って「昨日それ(ナゾの荷物)来てたよ」と言って、返事ないから見返したら、もぐだった。最早見分けつかねえ。ちなみに、ナゾの荷物は井戸用のポンプだった。



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