1月11日(木)

 今朝、木乃にお留守番(ケージに入って、という意味)と声をかけても反応しなかったんだけど、その後、木乃と目を合わせて「お留守番」と言った瞬間に、一目散にケージに飛び込んだので、うちの犬は超天才だと思った。

1月12日(金)

 ホラフスキー『ゲットーから来た兵士達: 包囲された森林と都市』を読み終わった。シオニスト家庭で育った著者が地方都市のゲットーで反乱を起こし、ベラルーシの森でパルチザン生活を送って生き残った話。個人名の記載が多い。ベラルーシの森で反ナチ活動をしていた人は多かったみたいだけど、この本でも、食糧に不足したことはない、と書かれているし、地元農民からの供給が潤沢なのよね。豊かなのか。あと、この本でアクチオンに充てられている訳語「出動」はぴったりだと思った。

1月13日(土)

 普段の共テ模試だと死んだ魚の眼をして帰ってくるいかなごだが、今日の同日模試は本番同様2日制なので、元気一杯で帰宅した。

 1日休んで、夕方やっと復活してきた。1日に66人も診てカルテ書くのはもう頭廻らないわ。

1月14日(日)

 いかなごを送りついでに、北白河のお金持ち住宅街を散歩してきた。うちの周りとはえらい違い。

 ロメオ・ダレール『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記』を読み終わった。ルワンダ虐殺時に休戦協定の維持のために派遣されていたPKO司令官の回想録。著者はケベック出身のバイリンガルで、フランス語系と英語系の対立の中、蝙蝠のように育ったらしい。ルワンダの実情は大して知らないまま、PKO司令官として派遣され、口では和平を口にする政府関係者(実は過激派)とRPF関係者の間に立ち、国連から金も人も情報も貰えない中で、孤軍奮闘する著者と部下達。FAX用紙や鉛筆がないとか、机も椅子もないから腹ばいで仕事とか凄いな(当時と違って、今ならスマホで仕事できるから、大丈夫かもしれない)。

 ルワンダには各国から部隊が派遣されてくるが、ベルギー部隊には「アフリカでは現地人に対して対面を保つためテント泊しない」という内規があったり、他国の有色人種の将校に敬意を払わなかったり、バングラデシュ部隊はサボタージュするわ、無能だわ、政治面では著者の上役に当たる、カメルーンの政治家らしい国連事務総長特別代理は、贅沢ばかり好み仕事は何もしない、と、とにかく大変そう。

 アルーシャ協定が履行されて暫定政府が出来上がると、自分が逮捕される可能性が高いハビャリマナは、すべてをなるべく遅延させようとしていたが、結局実権を失ったらしく(推定)暗殺され(推定)、同時に与党穏健派の殺害と国中でのツチ族虐殺がはじまる。

 この本を読んで、なぜ虐殺がRPFによる権力掌握という形で終焉したのか、ようやく分かった。そもそもRPFは休戦ラインの外側に陣取って散発的に攻撃を続けており、首都キガリの国会にもRPFの分隊が滞在しているような状態だったのね。ごくごく簡単に言えば、過去のポグロム的迫害で国外に逃れた旧支配者階級のツチ族を中心とするRPFが攻めてきて負けそうなので、現政権の中のフツ至上主義過激派が、穏健派の政敵と一般住民のツチ族を虐殺に走ったのが、ルワンダ虐殺だと。

 ルワンダは丘ばかりで気候は良いが、内陸過ぎて港も電車もないため輸送が遅いとか、負傷者後送や人道支援のためには空港が必須なので、国連軍は少ない戦力で空港を維持するのに必死(RPFも与党過激派も攻撃して来るので、映画ばりの攻防が何度も繰り広げられていた)とか、当時安全保障理事会にルワンダが入っていて、そのルワンダ代表が過激派とか(……)、アメリカが役に立たない古い車両を送ってきたり(ウクライナみたいな話やな)、虐殺を煽るラジオ局の空爆は許可されなかったり(アウシュヴィッツみたいな話やな)、挙句の果てにミッテランの息子がルワンダに利権を持っていたとかで、なぜか与党過激派寄りのフランスが乗り込んできたり、NGOは目立つところにしか行きたがらなかったり、アメリカが輸送機から食糧を落として、怪我人が続出したりで(ソマリアではできても、山がちなルワンダでは無理だった、と)、最終的に心を病みかけた著者は退任するが、その後自殺未遂したりもしたらしい。

 子供の時に印パ紛争を経験し、アフガニスタンで仕事をしたこともある国連事務総長特別代理に「カンボジアよりルワンダが酷い」と言わしめた虐殺では、4月に20万人、5月に30万人、6月に30万人、計80万人が亡くなり、その後も難民が多数流入した隣国コンゴで長年紛争が続く。著者はRPFの指導者カガメ(ルワンダ大統領、現在は長期独裁で有名)が、ルワンダの全土掌握を優先するため、虐殺に目をつぶって侵攻を遅らせたと非難しているが、司令官としてはやむを得ない気もするけどなあ、どうなるかなんて分からないわけだし。カガメ本人の親族も首都で殺されたみたいだし(しかも国連軍が様子を見に行ったことで、過激派に存在を気付かれて)。

1月15日(月)

 今日も外来60人超えだったが、多くの人が「別に今日来なくてもよくね?」て感じだった。「なんで今日はこんなに混んでるんですか?」と言われても…。

1月16日(火)

 Googleクラウドが一杯になってきたので、最近写真の整理をしているが、いかなごと私、似てきてるわ。写真だとぱっと見、見分けがつかないことがある。パーツは本当に何一つ似てないのに、恐ろしいなコレ。

 目が乾くと眼帯をし始めたS君に
息子「劣化版伊達政宗みたい」
娘「俳優を間違えた伊達政宗みたい」
 伊達政宗強いな。

 クラシック音楽の省略呼び、ハイバリも良かったが(「ハイドンの主題による変奏曲」)、ガンつきで腹筋崩壊した(サン=サーンスの3番)。

1月17日(水)

 朝の木乃、いつもなら私の手を満足するまで舐め終わると、とっととケージに入るのになぜか入らず、お留守番と言っても、ケージの前で立ち往生していて、何かと思ったら、ウサギが勝手にケージに入って、木乃の毛布の上で粗相していた。やっぱりうちの犬は超天才だと思った。

 うち、麻婆豆腐の時は、辛い人や熱い人のために「追い豆腐」が別皿で提供されるんだけど、これS君の独自発明じゃね?

 ここ数日何度目かのバリシニコフのドン・キホーテブームが来ていて、頭の中ずっとドン・キホーテ。酔っ払いヴァリエーションとか天才過ぎない?

1月18日(木)

 S君が古くてダサいキーホルダーを所望したので、たんすの中から発掘した、意味不明のアルファベットが記載されている、サーフィンしている男の子のキーホルダーを渡したら、80年代風で素晴らしい、といたく気に入った模様。

 いかなごが、生物の先生が自分の子供2人が体外受精だと授業で言っていた、というので、あなたも体外受精ですよ、と秘蔵の卵写真を見せたら、まさか私も体外受精だったとわ、結構いるのね、と衝撃を受けていた。

 皆さん粛清を期待し過ぎ>共産党新委員長。

1月19日(金)

いかなご「朝起きただけで今日の仕事の半分は終えた気分」
私「確かに。偉い!」

1月20日(土)

 同じ模試を受けたいかなごの同級生は、模試の成績を取に行くと面談を受けさせられる、と言っていたらしいが、いかなごがいつも受ける塾の支店は、模試の成績を取りに行っても特に何の営業もされず、「この調子で頑張って下さいとお伝え下さい」などと言われる(優良)。

 ナチオス『北朝鮮飢餓の真実』を読み終わった。NGOの専門家が90年代後半の北朝鮮の飢饉について語った本。2001年初版なので、実情がはっきりしない段階で、実際に飢饉になっているかどうかをどうやって判断するのか、どういう風に介入すれば助けられたのかについて主に書かれている。

 まず大前提として「飢饉は政治体制と経済情勢が生み出すもの」であり、天候不順や天災が第一の原因ではない(有名なエチオピア飢饉も、強制植民と食糧移動の禁止が原因)。つまり、適切な援助ができれば、終わらせることができる(1921-23年のソ連に対するアメリカの援助は伝説的と言われているほどうまくいったらしい)。

 難民からの聞き取り調査(飢饉の時に難民が一般的にする話と同じようなことを話している)や商人が食糧を退蔵していることから、実際に飢饉が起きていると著者は判断するが、基本的な統計情報が存在せず、援助は求めるものの、援助団体の調査は拒否する北朝鮮相手の援助は難しい。

 北朝鮮は元々国土の15-20%しか耕作に適しておらず(工業化の方が望ましい)、収穫後の穀物の損失が多く(集団農場にありがち)、特に東北地方は差別されている(政府が援助を拒否)らしく、著者は「現政権が昔の秩序を取り戻すことはもうないだろう」と語っているが、果たして。

 なんだかんだ言っても近くの国で、在日もたくさん住んでいる日本には、当時からそこそこ飢饉の話は流れていたように思うが(?)、世界的には完全に藪の中だったことも分かる。



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