3月21日(火)

 昼は洛北阪急スクエアにみんなでクレープ食べに行った(満足)。

 明日が小学校生活最後のもぐは、お楽しみ会的なものがあるらしく、それに備えて朝から晩までずーっと歌っていて、隣のギター弾き並みにうるさかった(姉は隣の部屋なのにうるさくはないらしい)。あまりにも歌い続けて、さすがに疲れたのか、夜は寝落ちしていた。

3月22日(水)

 病棟でも待合室でも大拍手が起き、どうやら優勝したらしいことを知った。オリンピックや、大学に何かあった時ぐらいにしかつかない医局のテレビもついていた。

 卒業式用にするから履くなと言っていた新しいスニーカーを、既にもぐが泥だらけにしていたことが判明。

3月23日(木)

 もぐ、本日卒業式。
「ママ見て、もぐ君格好いいよ!」
「シャツをズボンの中に入れる!靴下をはく!」
「ママ、帽子かぶっていっていい?」
「ダメ!」

 もぐは終始笑いを堪えているような顔をしていたが、先生から笑顔でいるように言われていて頑張っていたらしい。あと右手と右足が同時に出ていた。

 コロナ対策のおかげで、たるい話は校長先生だけで、PTA会長の挨拶とかないし、来賓も数人だし、祝辞も「廊下に貼ってあります」だけで読み上げずスルーだったので、かなり楽だった。卒業生達は、マスクの一斉着脱が、しっかり訓練されていて素早いのが凄かった。

 式終了後、行事の写真スライドショーと、一人ひとり親への感謝の言葉を述べさせられた動画を合わせた結婚式ムービーみたいなものが披露された。それがテンプレらしく、みんな「6年間見守ってくれてありがとう」と言っていたが、親達はたぶん「いや12年やがな」と心の中で突っ込んでいたと思う。

 我々夫婦はさらに「ああ、これが姉の時になくて良かった。姉なら『感謝の言葉なんて言えない』とゴネて、盛大に迷惑をかけていただろう。下手したら緊急家庭訪問だったかも…」と。その場にいた、いかなごの元担任にも「いかなごちゃん、元気にしてますか?」と声をかけられたしな…どんだけ…。

 始まった時は曇りだったが、終わった頃には結構な雨で…卒業式が雨になると、雨の中をスーツ姿で走り回る馬鹿男子が多発することが分かった…凄い泥ハネだったよ(怖。

 昼は久しぶりにくら寿司に。客ごとに醤油やガリを取り替えることにしたらしく、それを収納するために、机に切り込み入れてスペースを作っていたけど、これ全ての店の机にやったの?

 そして、くら寿司が英語だとRevolving Sushi Barであることを知る。なんか6皿に1皿ぐらいワサビ多い寿司廻ってそう(偏見。

 いかなごがガチャガチャでミニチュア蓄音機を欲しがったため購入。しかしこれがレコードをかける形式で、S君「それは蓄音機じゃなくて再生装置」「エジソン型蓄音機はシリンダーに録音するもの」などと言って、いかなごに面倒くさがられていた。

3月24日(金)

 キスクラ、ライト当て過ぎじゃない?

 花織ちゃんがドイツの旗!って観客席にベルギーの旗を求めた話、面白過ぎる。

 いかなご「ママは人の(食べ)ものと自分のものが混ざっても平気なの、何なの?(怒)」いや、ママも若い頃は潔癖だったんだけどね、自分ではないイキモノが腹の中にいたり、それが出てきてからトイレの中まで突っ込んできたりするとやね…。

3月25日(土)

 肩凝りが酷過ぎる。今まで五十肩が痛過ぎて気付いていなかった模様。

 ワールド男子FS、えらくレベル高かったな。友野君、クワドは惜しかったけど素晴らしかったし、マリニンはまだ身体が子供だけど凄過ぎる構成だし(あなたはキーガンとは逆に、ママとパパの写真をスマホで見せてくれると、みんな喜ぶわよ)、昌磨君は曲調とあいまって、コンボがどうなるのか、ドキドキさせ続けるという…それにしても、このバッハはいいプログラムだわ。

3月26日(日)

 もぐが人の話を聞かない、筋道立てて話せないのは、他の家族3人がもぐにも分かるように話してないせいもあるのではないか、ということで、「もぐのためにきちんと主語目的語がはっきりした会話をしよう」週間中。

 最近、車内で子供らが、自販機1点、ポスト2点、公衆電話2点で、それぞれの側を見張って点数を競う遊びをやっていて、なかなか面白い。どっちかが大負けして険悪になりそうになると、親がルートを変えて調整できるという安全弁つき(笑)。

3月27日(月)

 疲れてしんどいのでChatGPT君と遊んでみたけど、余計疲れた。

 今まで学校からはご息女ご息女言われてたのに、今度はご子息ご子息言われて違和感ありまくり。

3月28日(火)

 もぐを病院に受診させたが、やはり姉付き添いがないと抵抗するので面倒くさい。

 もぐが制服一式を持って帰ってきた。明日制服を着て登校しなければならないので、明日までに裾上げしなきゃならない。袖は5p、裾は3cm上げた。縫い取りとかボタンとかが凝っていて、格好いい、ともぐは自慢気。ジャージに名前刺繍が入っているのは有り難い。

 服の裾上げ。私の嫌いな言葉です。

3月29日(水)

 登校日で初めて担任の先生に会ったもぐの感想「1年生は全員年寄りの男の先生」「担任変な風にはげてた」。

いかなごさん「あ、イルカ見たことあるよ。結構賢かった」
Wordイルカに深い敵意を抱いているのは、特定の世代だけなのか。

 友野選手の新スポンサー、花屋さんとは良い選択だよね(発表した途端、サイト落ちてたな)。母の日とか、みんな花贈るだろうから、ネット販売の充実よろ。

3月30日(木)

 S君ともぐがS君実家に行っていて不在な中、いかなごが玄関先に置いたゴミがカラスさんに頂かれたり、「ママもパパもいない今がチャンス」と綿棒を耳に突っ込んだいかなご「耳が聞こえにくくなった。病院に行った方がいいかなあ…」(お前何度同じこと繰り返してるんだよ…)など色々と。本日69人目の患者さんが、綿棒耳に突っ込んだ我が娘か(疲。

 小林『中国戦線、ある日本人兵士の日記─1937年8月〜1939年8月 侵略と加害の日常』を読み終わった。日中戦争に従軍した兵士の日記と、その背景の解説を収録したもの。解説が話を広げ過ぎて何だかな、と思わないこともなかったが、この解説がないと日記がさっぱり分からないのも事実なので、これで良いのだと思う。作者は筆マメな技術者で、愛国的なたぶん当時の普通の人。

 解説を読んでいる限り、日本軍上層部はまんまプーチンで、兵士の生命は軽視、食料は現地調達が基本(だから日本軍が行軍した場所は飛蝗が来たようなもの)、自軍の兵隊の生命も軽視だから、もちろん現地の中国人の生命など言わずもがな、南京占領後は捕虜を取るという発想がないので、敵と巻き込まれた地元民は皆殺し。南方戦線で日本軍は大量餓死したけど、中国戦線では餓死しなかったのは、その分現地で奪っていたから。とにかく酷い日本軍だが、昔の中国の話や今のロシア軍を考えると、近代化されていない軍隊はどこもこういう方式なのではなかろうか。

 作者は途中でカメラを手に入れ、写真も撮っているが、蒋介石が黄河を決壊させた後の洪水が凄い(その後は消化器疾患が流行る)。あと、今の中国国歌が、この時代に抗日の歌として流行った映画の主題歌だとは知らなかった。37年からの2年間で作者は除隊しているが、太平洋戦争で再徴兵されなかったのかな。そして、この日記を出版することを是とした娘さんが凄いと思う。

3月31日(金)

 ふと、昔のミステリによく出てきた「鉱泉」って、ミネラルウォーターのことだよなあ、と思いつき、ぐぐろうとした瞬間に寝落ちしたらしく、電気つけたまま寝ていた。

 で、丑三つ時にふと目覚めたらしいいかなごが、ウサギのトイレを替えるのを忘れていた、と居間にやってきて、ウサギ小屋を開けた途端、カント脱走(いつもS君が夜に居間に出しているので、待ち構えていたと思われる)。午前2時にウサギの跳ね回る音&捕り物をする娘の足音で起こされる。



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