6月1日(金)

 今日のいかなご、帰る時間を忘れた弟に、家に帰れと学童まで言いに行き、その足で一人でコンビニで弁当買って塾に行ったので、とてもえらい。

6月2日(土)

 弟「ママは親バカ以外になんだと思う?」姉「犬バカ」弟「何とかバカ以外では?」姉「医者」弟「職業以外では?」姉「母親」弟「もう1つあるよ。お○さん」姉「おばさん?」私「失礼な!ママは永遠の29歳だぞ!」

 もぐ「サーカスで一番えらいのは誰?」私「団長」もぐ「団長以外では?」私「怒ったライオン」S君「トラ」もぐ「正解はピエロでした〜」両親(なんだかよく分からん…)

6月3日(日)

 木曜日の打撃から回復しておらず、昨日も今日もずっと眠ったりぐったりしていたりして、いかなごに呆れられているが、日曜参観で時間まで指定されて「授業で捕まえたダンゴムシを見に来い」ともぐに厳命されているので行かねばならぬ。超行きたくない(ぶつぶつ)。

 で、ダンゴムシと不規則発言を繰り返すもぐを見物してから、いかなごの授業も見に行ったら「兄姉VS妹弟どちらがよいか」という議論が行われており、「兄姉はお下がりじゃなくて新品が着られます」「妹弟は泣くと許してもらえます」「私は家では妹ですが泣いたら怒られます!」などと身も蓋もない発言だらけで、参観の親達から乾いた笑いが…。

 あと、去年からいかなごが仲良くしてる子のお母さんに挨拶された。一昨年転校してきた子だそうで「昨年から仲良くしていただいて助かっています。気が強い子なので、怪我させたりするかもしれませんが…」いえいえこちらこそ、その言葉そっくりお返しいたしますです。

 男児には妖怪傘壊しが標準装備なようなので(既に2本壊された。同時に買った姉の2本は勿論無事)新しく4本買った。2年はもって欲しいところ。あと、暖かくなってきてから、床のざらつきがひどい。妖怪砂持ち込みがついてるヤツがいる…玄関で服脱いで即シャワーを徹底せねば。

6月4日(月)

 友人とS君に聞き取りした結果、出不精の割に結構うろついてる気がした→制県伝説。問題は旅に興味のない人間は自分がどこに行ったか分かってないということだな。「私、青森行ったことないよね?」S君「新婚旅行、青森空港から行ったよ」「私、岐阜泊まったことないよね?」S君「飛騨高山行った時、泊まってる」「私、鳥取泊まったことないよね?」S君「合宿行った時、泊まってる」「私、熊本行ったことないよね?」「阿蘇山行ったことないなら、たぶん行ってない」…という感じで大変どした。

 今朝から発熱していたもぐ、仕事終わって帰ってみたら、昼御飯も食べず、一言も喋らず、8度5分。明日どうしようかなあ…(悩)。

 いかなごの夏以降の塾の講義選択を考えていて、なんか超ドキドキするなあ、と思ったら、安定剤飲んでなかったわ。S君「人間というのは、薬がないとこんなに脆いものなのか」

6月5日(火)

 夜はずっと熱く、朝も7度5分あったもぐにカロナール飲ませて学校行かせ、なぜか2日連続して爆発してる外来を(呼ばれる予定で)何とか2時までに終わらせたのに、何治って雨の中公文まで行って帰って来て踊ってるんだよ!母の残りHPはゼロだよ!

 そして予想通り、夜から熱が再燃して、早寝のもぐ。明後日が子守りがいないので、明日は熱なくても学校休ませよう。

 いかなごが家庭科の授業で「創作朝ご飯」を考えたそうで、突如「人参とハムとトーストの炒めもの」を作りはじめた。…いや美味しいけど…炒めた人参とハムをトーストに載っけた方が楽だと…思う……。

 私的イメージ:50代以下→若者 60代→普通に仕事 70代→親の介護に忙しい 80代→老人 90代→人数が少なくなる 100代→時々いる

6月6日(水)

 通勤中に、子供2人乗せた車を交差点出てすぐのところに寄せもせずに停め(後ろの車、交差点から出られない)運転席から降りて、接触でもしたのか自転車の青年に文句を言いに行ったDQNを目撃した。車の中の男の子は泣いてるし、後ろの車は危ないし、110番しようかと思ったら、側を通ったバイクに乗っていた青年が、さっと運転席に乗り込んで、車を移動させて停めてあげていた。あまりのアホDQN&可哀想な子供達にダメージでかし。

 いかなごの塾が休みなので、娘分を啜ろうとしたが果たせず。「親をなんだと思ってるんだ!私が産んだんだぞ」「私のことが好きなら放っておいて!」

6月7日(木)

 母親業とは、両親とも目指さなくていいと言ってるのに、難しい学校を目指して勉強に励みイライラする娘に「ああもう、ママのせいで正方形が書けない!」と罵られるお仕事のようです…。

 エドワード四世中心の系図見せて説明したら、いかなご機嫌良くなるの図。系図好きは便利である。

 町山智浩『トラウマ映画館』を読み終わった。ほとんど耳で聞いたことがある内容だったが、文字で見た方が格段に分かりやすいということが分かった(情報量が多いのかな)。しかも写真も見られるし。それはともかく、著者のトラウマが恐ろしくてびっくりした。もの凄い毒親だよ。責めて当然だよ。

6月8日(金)

 私「紀州のドンファンみたいなやつで、摂津の西太后ての思いついたんだけど、どう?」S君「どう、と言われても」

 新潟知事選挙のキャッチコピー「落下傘よりおっかさん」は、近くに落下傘開業された地元女性開業医も使えると思った(ニッチ過ぎ)。それはともかく、高校まで新潟じゃあまり落下傘とは言わないんじゃ…>与党候補。

 8歳児が「明日も元気に会いましょう。さようなら」と寝る前の挨拶を述べて、寝室にかけ上がって行った。

 ぼ、僕らの燃ゆる御霊って何…アタマいかれてる…この国のことを歌いたいなら、まずこの国の言葉を学んでくれ…。

6月9日(土)

いかなご「クモが庭に巣作った!私が庭に出られないじゃないか!」
私「うわ、凄い。綺麗なクモの巣だわ」
いかなご「何でこんな綺麗な巣作るんだよ」
私「プロだから」
いかなご「世界中のクモが絶滅すればいいのに!」
S君「そんなひどいこと言うクモか?」

 原発はやめた方が安全なのは分かるが、福島第一で作業員が亡くなったり、福島で鼻血出たりする度に大騒ぎするの、ほんと意味分からない。特に鼻血。日焼けするから沖縄危険てか。

 EMIALの紅茶ゼリーが改悪されて食べられなくなり、人生の楽しみが減っていたのだが、今日S君がEMIALのタピオカミルクティーを買ってきてくれて気付いた。これ、紅茶の味一緒だから、これを代わりに食べればいいんだ。

 もぐがプライベートゾーンを知っていた。学校で習ったらしい。凄いな学校。

 ヒルバーグ『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』を読み終わった。2ヶ月かかったけど、もっと早く読んでおけばよかった。さすが古典。ホロコーストをどうやって実現していったかを、実行した側の方から各地域に分けて詳しく書いてある。占領or傀儡政権地域、同盟国では事情がそれぞれ違い、特にフランスは駐留したドイツ人が圧倒的に少なかったらしい(だからユダヤ人の潜伏もポーランドなどと比べると容易)。イタリアでは、ムッソリーニ政権が倒されてドイツに占領されるまでは、同盟国ということでドイツが強く言えず、基本ドイツ的几帳面さが大嫌いで、ドイツの真似をしたくないイタリアでは、ユダヤ人迫害が全く進まなかった、というのがなんか凄い。

 著者が役職や個人名を文中や表にずらずらと挙げるので、読みにくくはあるが、これだけ多くの人が関わっていたのかと実感もする。あと、混血・改宗した人をどう処遇するのかが大きな問題だったことも。ユダヤ人がホロコーストに抵抗せず、自治組織を作って当局側に協力したとはよく言われることだが、古来から繰り返し迫害されてきた身としては「請願する」「金を差し出す」「一部だけでも助けてもらう」という方法を取っていた(そして今までは切り抜けていたが、ホロコーストではそれを逆手に取られた形)ことも書かれている。

 戦後の裁判は、私が思っていたよりはきちんと(実質加害者野放しのことが多いジェノサイドとしては)やっている印象で、賠償も物価を考えると意味がないとはいえ、一応一部は行われていた、と。著者は子供の頃にオーストリアからアメリカ移住に成功したユダヤ人。アメリカが押収した文書を元にまとめ上げたのが本書の初版1961年。その後各国から出てくる文書で改訂を続け、これは日本語版出版に合わせた97年改訂版というのが凄過ぎる。

6月10日(日)

 去年こんなのイヤ!と2回も断固拒否されたコップに入ったウサギ柄の布、仕方ないから売ろうかと用意してたら、たまたま見たいかなご「何?そのウサギ可愛い!」…そうなんだよ、去年もなんで気に入らないのかナゾだったんだよ…。

 スマホ見ながらチョコアイス食べてるいかなごが可愛くて、こっそり写真撮ってしまった。

 プッチンプリンの開けた容器洗って保存しようとして、S君に使えないって言われて初めて知った。あの棒、穴開けてるだけなのか!



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