1月11日(水)

 いかなごに昔話。「昔はインターネットの回線というものがなくて、電話線とモデムという箱を使って…」「ぴぽぱぽ んがーんがーんがー…」「春休みに実家に帰って、天井近くを這ってる電話線はずしてたら、親が来て何してるのあなた…」

 数年前から「友達の家に遊びに行きたい」と言い続けていたが、行けなかったいかなご。行きたいなら自分で手配してこい、と言ったら、仲良しさんちに来週行く約束を今日取り付けてきた。えらい。

 昨夜アイロン台の上に置いておいたのに、朝起きたらなくなっていた布パーツが、夜こたつ布団の上に忽然と現れた。トイレに行って居間に戻ってきたら出現していた…何コレ超常現象?

 もぐ、いまだにブシニャンポンチョをかぶって、ぞうさん抱えてベッドに潜り込み、丸くなって寝る。可愛過ぎ。

 私「あなた、娘二人じゃなくて良かったね」S君「家庭内に虎が三匹!それならまだママ大好きって連呼される方がマシだな…」

1月12日(木)

 もぐ「昔、優しいママと良い子のもぐという二人きりの兄弟がいた」…意味が分かりません。

 なんでよりにもよって数年ぶりの寒波予想の週末に旅行に行かねばならんのか(泣)。子供用の冬装備の準備が大変。

1月13日(金)

 「もぐ、ナウシカやってるけど見る?」「どんな話?」「鹿が出てくるの」「見る!アフリカ鹿とか?!」「…すいません、ウソつきました…」

 私「自由に使いなさい、ってお金渡されたら布買うよね…」S君「お前が落としたのはこのメートル100円の布かい、それともこのメートル500円の布かい?」私「いや、メートル100円の布なんて仮縫い用ぐらいだから!」

 数日前から近所の空き地(もぐしか入れないので、もぐに採りに行かせた、一昨日地鎮祭となり、ほぼ刈り取られて挫折)、仕事場の横の空き地、通勤路傍の空き地で吹雪の中、ノゲシを採集。多くのウサギに分けられるように、小さくカットして、重量を測ったら、全部で7kgあった…ちょっと頑張って採り過ぎたかも…。

1月14日(土)

 10時前に家を出て、木乃を犬屋に預け、吹雪の中電車を乗り継いでスケート教室へ。リンクの近くで雪を浴びながらササを採ったりも。先行していたS君&いかなごと合流し、もぐのスケート教室が終わるのを待って(今日からコースが変わったが、きちんとレベルでしめじソートされていたらしい)一路広島へ。

 途中のSAで昼ご飯を食べて、4時前にはうさぎ島対岸の船着き場に到着。もぐが厚い方のコートを着て来なかったことが判明し、S君の上着を着せたり。

 船に乗ったのは、我々以外には関係者と思われる若い女性1人だけ。こんなに空いてるのは初めて。そして、こんなに船が揺れたのも初めて。

 荷物を宿舎の部屋に置いて、とりあえず暗い中、宿舎近くのうさぎに餌を上納しに行ったが、強風であげたノゲシが遠くまで飛んで行く。

 宿舎の晩御飯は相変わらず酒のあて系が美味しかった。後ろの席の大企業に勤めていたらしいおじいさんが、企業年金が月7万以上で云々、と大きな声で喋っていて、余計なことを外であまり言わない方がいいんじゃ、と思った。

1月15日(日)

 朝から時折吹雪が吹きすさぶ中、2回に分けてうさぎに餌やり。子供らは襲われた、と騒ぎながらも、うさぎまみれになれて満足したようで何より。仔うさぎもチラホラ。ついつい仔うさぎの前に餌を置いてしまい、それを親うさぎが横取りするので、良い仔うさぎ商売と言えよう。

 持参したノゲシ・ヨモギ・ササ7kgはあっさり完売。寒かったのでこれぐらいの量で良かったが、天候が良ければもうちょっと欲しいところだったかも。ペレットを大量に撒いている人や、人参を直接齧らせている人とかもいた。

 あと、ポケストとジムもそこそこあるが、ポケモンも結構出るので、ボール不足になって困った。

 昼頃に島を出て、岡山へ。もぐが「どうして古本屋に行くの?」とか言い出してびっくり。いかなごはそんなこと言ったことないのに。

 途中SAで昼ご飯を食べたが、テレビで女子駅伝をやっていて、岩倉の降りっぷりを把握。

 昼過ぎに万歩本店着。万歩は高価いが、欲しい本がぞろぞろある棚を見るのはここだけなので、それもまた良し(貧乏になった気がするが)。もぐは子供コーナーを見つけられず、延々と迷っていたらしい(頑張れ)。

 行き帰りの車中で、S君がアマゾンから落とした「まどマギ」を見た。なるほど…だから当時あんなに大騒ぎになってたのか。『エディプスの恋人』なのね。大人は楽しめると思うけど、これを10歳で見たいかなごがちと心配。

 22時過ぎに極寒の旅行から帰宅。2年後の今日はいかなごの受験かと思うとそら恐ろしい。まあ私が受けるんじゃないけどね。

1月16日(月)

 「おかあさんへ いつもはたらいてくれてありがとう。おとうさんがいないとき ごはんをつくてくれてありがとう」という手紙をもぐからgetした!

 帰宅したら、放課後に友達の家に遊びに行くのに、待ち合わせ場所に友達がおらず、雨が降って来たので帰って来た、といかなごがまごまご。仕方ないのでついて行って、一緒に友達の家を探したが、住所は分かっているのに、表札が苗字と違っていて、手間取った。結局、友達の家では遊べず(お母さんに許可は取っていたらしいが、同居のおばあさんにダメと言われたらしい)いかなごの初「友達の家に遊びに行く」は実現できず。こんど家を掃除して、友達を呼ぼうな。

 ちなみに、家を探している時に、表札の出てない家があったので、いかなごに「ママあっちを見て来るから、その間にインタホン押して聞いてみ」と言ったら、ちゃんとインタホン押して「すいません、〜さんのお宅ではありませんか?」と聞いていた。

 もぐがピアノ発表会の曲を貰ってきて、2曲貰ったうちの1曲(ロリンの「牡牛」)が凄く気に入ったらしい。とても頭を廻るタンゴで、一家で牡牛ブーム。今年は姉がワルツ、弟はタンゴ。

1月17日(火)

 いかなごが首回りが寒いというので(昔作ったマフラーは去年ぐらいから行方不明)、昨日急遽ネックウォーマー的なものを作った。姉だけ作るともぐが拗ねるので、2つ作ったが、もぐは首周りぴったりサイズでスポッとかぶれるのに、いかなごは首周りブカブカじゃないとかぶれなくて、私の頭(&顔)のデカさが娘に遺伝してることにショックを受けた。

 ネックウォーマーにちょうど良い白のフェイクファー生地が家にあってナゾだったんだけど、木乃のサンタ服の袖や首周りに使った布の残りであることに今日気づいた。

 上野のパンダって妊娠どころか、発情しただけで報道されるのか。

 菊池勇夫『飢饉の社会史』を読み終わった。江戸時代の東北地方の飢饉を考察し たもの。冷夏で一年稲が実らないと、即座に飢饉が始まるのね。資料に現代訳が併記されていないので、素人には辛かったが、それでも飢饉になっても藩は米を他国に売る、お助け小屋は焼石に水、みんな山で植物の根からでんぷんを採る、何とか年明けまで生き延びても、弱ったところを疫病にやられて大量死、当然ながら泥棒が横行するので村による非正規の制裁を黙認、などの流れが分かった。

1月18日(水)

 人生初「有給消化のための半休」ってものを取ってみた!社会人みたいな気分!

 が、帰宅してやったことは、防犯ベルの注文・お名前スタンプのサイズチェック・学童の書類書き・居間と寝室の片付け…(疲)。

 年賀状のお年玉の2等って1万本に1本なのね。毎年100枚もらって100年に1回か。一生に一度当たるか当たらないか。

 クーリクとの娘さんは全米ジュニアに出るのねえ。

1月19日(木)

 仕事場変わってから一番忙しかった。全速力で外来して四時過ぎ。

 なのに食堂のメニューがチキンソテーで食べられず、昼ご飯はコーンスープとモヤシだったと言ったら、S君に「だから予めメニュー表見て、食べられない日は何か買って行け」と言われた。ちなみに、衝撃だったのが、食堂で一緒になった看護師さんが「今日はチキンソテーですね。テンション上がる〜」と喜んでいたこと。

 医療界二大見たことねえ、だと思う>ニクズク(肝)とヘリオトロープ(疹)。

1月20日(金)

 全く緊急ではないのに時間外に診てほしいと言う人の特徴として「受付もしていない付き添いが、自分の症状を語り出し、その場で診て薬を出せという」「ほぼ初診でも、薬を大量に出せと言う(そして自分の希望が通らないと大声を出したり、威嚇したりする)」がある、と常々思っているのだが、今日全く緊急ではないのに時間外に診た人がこの2つを完璧に満たしていて、思わず笑いそうになった。

 昨日の忙しさが祟ったのか、右下眼瞼が痙攣する。そして背中が凄く痛い。

 夜は千と千尋。最恐の豚変身シーンで凍りつく子供達。ちなみに、私が一番言いたかったのはコレ→「いいですか、いかなご。ストーカーを呼び寄せて、連れて電車に乗ってはいけません!」

 例のジャンパーの件。精神的ストレスも身体的危険もある大変な仕事なのは、非常に良く分かるんだけど、あれを着たらおしまいだよな。あと「ほごなめんな」っていう間抜けなローマ字はいただけない。



過去の日記の目次に戻る。

日記に戻る。