5月11日(土)

 ジョーンズ『レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44』を読み終わった。名高いレニングラード封鎖だが、2年半ぐらい包囲されていたことは知っていても、その詳しい経緯は知らなかった。ドイツ軍が突然進撃→え?とか言ってるうちに、あっという間にレニングラード周辺へ→ドイツ軍「これ以上、ドイツ軍に人的被害は出したくありませんので、包囲戦します。レニングラードの人々には、全員餓死してもらいます」→一方、ソ連軍は大将が政治的忠誠心だけ高い無能者→やっと更迭されたが、代わりに来たのが、正面突破&玉砕攻撃ばかりさせる司令官。500m×2kmの橋頭堡を守るために、ひたすら玉砕。

 封鎖が始まって数ヶ月。高い尖塔が爆撃の時の目安になるのを避けるために、地元登山家をスカウトしてカモフラージュ。12月1月2月は、パンの配給が1人1日125g。しかし、それすら1週間配給されないことがあり。原因は電気と水の不足。レニングラングラード市民、凍ったネヴァ河から千人単位でバケツリレーして、製パン工場に水を運ぶ。しかし、上層部はたらふく食べていた→封鎖はされていたものの、凍った湖上の道路を通じて、ある程度の食料輸送ルートは確立されていた。実は12月から湖上道路を使って疎開もできたが、敗北主義ってことで2月まで実施されず。

 てことで、最初の6ヶ月が一番状況が酷かったわけだが(3月に赤痢が流行ったが、その後は人民総出で必死に掃除したせいか、伝染病はなし。ちなみにその後も砲撃による死傷者は多数)その事実を書いたり、言ったりした人はもちろん収容所送り。たらふく食べていた幹部達も、その後スターリンが次々と粛清ってことで、そもそもレニングラード封鎖について詳しいことは、つい最近まで表に出ておらず、あれだけの大都市で起こったことにしてはよく分かっていない模様。

 ちなみに第二楽章にいくまでに寝てしまうことで(我が家で)有名なショスタコの7番は、封鎖がはじまる時にちょうど作曲中で、レニングラードから疎開させられたショスタコが疎開先で完成させ、レニングラードに航空機でスコアを落とし、ドイツ軍がレニングラードを占領すると宣言していたちょうどその日に、生演奏してラジオで流したらしい。しかも、玉砕司令官から交替したやり手の司令官が、演奏直前にドイツ軍陣地に砲撃を行なって、演奏中だけ砲撃してこないように手を打ち、かなり士気高揚に貢献したんだとか。

5月12日(日)

 土曜日の学童の父母会主催のバザーの人手が足りない、弟妹に幼児がいる場合でも、何とか祖父母に預けてバザー準備に参加せよ、というメールが来た。祖父母に預けられるぐらいなら学童に預けるかっての。なんかねえ、参加できる人が少ないなら、縮小すりゃあいいのに、って思うわ。地元との交流の意味が云々って、2日間無理矢理3歳児預けてまでやる意義があるのか。

 今日はS君が学会でいないので、その隙に大小とS君の嫌いな屋外弁当。100円ショップの冷凍食品唐揚げと自家製ハムチ―ズサンドを鴨川で。

 昼寝をしていてにゃんちゅうが見られなかったもぐに、見ていたいかなごがにゃんちゅうの内容を再現してあげていた。

5月13日(月)

 なんかもう、最近仕事が忙しすぎてしんどい。確かに冬は暇々だったけど、こんなに季節差がある仕事イヤ。

 いかなご、背の順がクラスで20人中6番だったらしい!!!!!凄い!!まだこれからの伸び方があるから何とも言えないけど、少なくとも今はチビとは言えんな!

 いかなごの宿題につきあって、ロフトベッドの下の机で、いかなごの横でノーパソ開いてたら、いつの間にかいかなごにベッドから垂れ下がるリボンで腕を固定されていた。

 いやだから、結婚しなくてもほいほい産んでも大丈夫な状況になるか、若い男が少子化を止めるためにとっとと結婚するようになるかしない限り、無理だっつうの。

 今年ほど春がない年は珍しい気がするのだが、気のせいかもしれない。

5月14日(火)

 いかなご、ピアノの先生に「(小学校入学の環境変化で)これほど保育園時代と変わらない子も珍しい」と言われていた。

 最近よく居間に出してもらっているコミ、部屋の端にお腹をぺったりつけて耳と鼻をひくひくさせていた。暑いらしい。

 もぐが粘土で雪だるま作った(驚)。

5月15日(水)

 帰宅したら、もぐに「ママ、おかいりー!」とウルトラマンみたいなポーズ決めて言われた…。だんだん男児になってきている…。

 アンジェリーナ・ジョリーいいねえ。お金持ちの良い選択って感じ。

 いかなご、保健の先生に授業で9時に寝ろと言われたそうで、今日は9時に寝た。凄いぞ保健の先生。私があれだけ努力しても無理だったのに。問題は続くかどうかだな(追記:1日だけだった…)。

5月16日(木)

 いかなごバレエ。レッスンで先生が「雑って言葉知ってる?」←嫌味ではなく、本当に知らない年長2人&1年生。「丁寧の反対よ」「よくわかんない〜」…先生大変だ…。

 いかなごが自由帳に絵を描いていた。「うまごやし」「くろば(くが逆)」「まーがれっと」「からすのえんどう」餌ばっかり(笑)。

5月17日(金)

 もぐは前日の夜から、翌日の服を着せて寝せるので、朝は保育園用意以外は、顔拭くのと紙おむつ取り替えるだけなのだが、アトピー&喘息のいかなごは、喘息の吸入させて、全身に保湿剤塗って、ひどい湿疹に軟膏塗って、バンドエイド貼って、髪の毛くくって、日焼け止め塗って、名札と交通安全札つけて、移動ポケットつけて…と、朝の準備に非常に時間がかかるのであった。

 今朝喧嘩した時に「ねえねなんていらない」と言ったばっかりに、姉に「ふん!」と言われて、朝も手を振ってもらえず落ち込んでいたもぐは、夜ねえねにおぶさって遊んでもらって、非常に幸せそうだった。

5月18日(土)

 いかなごの目のために、暗い居間をどうにかしよう、と電器屋へ。居間の電気をとても明るいLEDにしたら、本当に明るい。

 あと、夏用靴下やオーバーパンツの類を買って、帰宅して衣替えを少し。

 いかなご「ママ、フレットってなに?」「フェレットでしょ?『わしは可愛いい妖精さんや』が間違えられたヤツよ」「ああ、あれか」

5月19日(日)

 いかなごの気道狭窄音が凄過ぎて目覚めた。喘息発作は久しぶり。何が悪かったのかな…。

 いかなごのバレエ1日練習&役員会。衣装チェックのために、全員が一斉に衣装に着替えはじめるとなんだか凄い。別の教室の園児クラスの衣装も可愛かった。待ち時間が長いのだが、お姉さん方はストレッチしてるのに、いかなごときたら忍者ごっこや、お姉さん達に「2×3は?」などとくだらない問題を出したり。。それにしても役員会が紛糾して何だか凄かった。私といかなごには直接関係はないが、今後の展開が気になるところ。

 某しおしおに命令されたので、facebookに加入してみた(体育会系サークルなので、後輩の命令には逆らえないのであった)。実名なので、非常に気持ち悪く、自分ではない気がする。案外知り合いは見つからないのね。mixiやtwitterとどう使い分けるかが難しそう。

 キリンの亜種を調べ始めたS君「すごいな。キリンは亜種同士で交雑可能だけど混じってないんだって」「きっと文化が違うんだな。交叉いとこ婚とかやってるんだよ」。……。

5月20日(月)

 仕事場で研修医の女の子とよく話をするが、24や5で一生の進路を決めつつ、複数選択肢の中から結婚相手探して、30までに子供産めるかって話だよね。大変過ぎ。

 いかなごの衣装を縮めようとしたら、既に縮めた先人の跡があった(笑)。



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