12月8日(水)

 昨日そのまま寝てしまったので、朝メールをチェックしていたら朝のカンファレンスに遅刻。今朝は救急当番。救急車のサイレンの音がして、止まる、止まるぞと思っていたら、やっぱり止まり、それからしばらくして呼び出しのベルが鳴ったときはがっくりだったが、来たのは全身状態の落ち着いた喀血だった。ラッキー。
 救急当番や当直だと救急車のサイレンの音にとても敏感になる。音が止まってしばらくたってベルが鳴ると「来たあああ」てなもんで、ベルの番号を見て救急室からだとわかるとぐったり。でもものすごい重症だと救急車が着く前にたいがい連絡があるんだけど。みんな、サイレンの音が止まっても「あれは小児科に違いない」とか言って、心をなぐさめている。
 午後はまたしても放射線科にお世話に。しかし放射線科にはとてつもなく気分屋の先生がいて、機嫌のよい時は悪い人ではないのだが、不機嫌だとまわりに不愉快な言葉を撒き散らし、患者への態度も粗雑になる。どうしてこういう人がいるかねえ、まわりの人すべてを不愉快にしているということがわからないのだろうか、と自分も不機嫌になる。

12月9日(木)

 昼間はのんびり仕事。今日は当直なので急ぐ気もしない。
 夜8時に救急室からのベルが鳴った。電話をかけると、「33歳、DOAが今から来ます」。DOAってのは心肺停止状態で来る人のこと。急いで救急室へ走っていくと、救急外来を診る当直の先生と、外科の当直の先生まで呼び出されて集まってきた。DOAは数々ひいているが33歳ってのははじめて。
 外科の先生は同期の男の先生で丈夫そうで、その先生と外来当直の先生が心臓マッサージをやってくれた。DOAが来ても心臓マッサージを自分でやらずにすんだのは今回がはじめて。代わろうか、と言っても大丈夫とか言いながらやってくれる。すごく楽だった。その代わり中心静脈ラインを取る、など私の眼から見れば「高級な仕事」をやらせてもらってちょっと感激(心臓マッサージは単純労働)。しかし患者さんは到着した時すでに心肺が停止してから大分時間がたっており、助からなかった。
 それから検死(警察)を呼び、私も立ち会うことになった。検死に立ち会うのは2回目で、前回は1人で立ち会ったのだが、今回は上の先生もいて私はサブだし楽ちん。しかしやっぱり警察の人にフルネームと年齢を聞かれてしまった。そういうものらしい。どういう必要があるのかさっぱりわからんが。
 しかし、よくDOAをひく。放射線科に出ていた3ヶ月間当たらなかったので、もう引かなくなったのかと思いきや、やっぱり引いてしまった。だいたいDOAってのは、毎月集計されているのだが、月に2、3件しかこないものなのだ。なのに、私は当直やら救急当番やらで月に1回くらいはDOAをみている気がする。ざっと思い出しても5、6件はすぐに頭に思い浮かぶ。自分で検死をした研修医なんて私くらいのものだ。だからといってDOAに対する処置がうまくなったわけではないところが悲しいが。経験が生かされてない。必ず超重症を引く医者(私の先輩)とか自分の勤務時間帯にしばしば患者が死ぬ看護婦とかよりはましだとは思うが、重症よりもDOAをひくってのも……

12月10日(金)

 で、0時30分頃寝たら、2時くらいに起こされる。「何とかさんがお腹が痛くてうんぬん、診て下さい」ところが完全に寝ぼけていたので、腹が痛いというからには消化器科かと思い、ふらふら起きだして消化器病棟に行ってしまう。しかし歩いている最中に本当に消化器かいと思い(消化器病棟の患者を診る当直ではないのだ)、行ってみたら看護婦さんも黙々と仕事をしている。まだ寝ぼけたまま、当直室のそばの病棟に戻ったらやっぱりそこの患者だった。しかし、その患者の腹痛はどうみても緊急性のないもので、起こすなよこんなことで、と思いながらまた当直室へ帰って寝る。
 と、3時過ぎに別の患者に血腫ができていると起こされ、結局その患者の主治医を4時頃にたたき起こして来てもらう。どうしても採血しなきゃいけないのに、採血できる血管がどこにもない人で大変だった。ごたごたが片付いたのが7時過ぎ。8時前までうとうとする。

 昼間はあちこち駆け回りっぱなし。夕方明日の発表のリハーサルをする。今日は内科研修医の忘年会。忘年会の席で雅子妃御懐妊のニュースが流れていたことが話題になる。私はテレビを見てないので「えっ、いつそんなことが?」と驚いていると、「えっ、どうして知らないの?」と逆に驚かれる。「ああ、そうか当直だったもんね」と納得されるが、たった1日で浦島になった気分。やっぱり当直室にテレビがないのは痛い。
 二次会はMKボールで卓球らしいが、結局3時間くらいしか寝てないので、二次会はパス。このところ飲酒検問が厳しいので、MKボールに向かう先輩の車に乗せてもらい家の近くでぽとっと落としてもらう。車の乗ったころから酔いが廻ってきたというか、眠気が極致に達したというか、落としてもらったらもう歩けない。ところどころ地面に座って休みながら、やっとのことで家に到着。着替えてこたつに入ったくらいから意識がない。

12月11日(土)

 寝足りないよう、と思いながら9時頃に起きる。用意をして病院に行くが、昨日原付を病院に置いてきたので、今日はバスで行かなければならない。バスを乗り継いで行くのだが、これが時間がかかる。1時間20分。原付では20分なのに。京都の市バスおそるべし。
 病院の仕事をすませ、原付で御池まで出て地下鉄で京都駅に。学会発表は谷九で行われるので、JRで大阪まで出て、そこから谷町線に乗る。中学生の時はこのルートが通学路だったが、その頃とほとんど変わっていない。少し時間があったので、久しぶりに梅田の旭屋に。で、色々立ち読みしていたら、病院からのベルが鳴った。今から発表では行けるわけもなく、とりあえず話だけ聞く。
 谷九で、会場まで無事辿り着けるだろうか、と駅の地図をみていたら、発表を見に来た上の先生に肩をつつかれる。同じ電車だったらしく、ありがたく犬のようにその先生について行くことにする。
 発表会場の観客は、こないだ同じ症例を発表した会に来ていた人達とメンバーが似ていた。そのせいもあるだろうが、発表では会場から質問はなく、座長の先生から質問があったが、きっと二度と会うことのない人だろうと思い、妙に強気で答える。

 発表が終わり会場を出た途端、またベルがなる。できる限り早く病院に来て欲しいとのことだったので、せっかく大阪まできたのだから帰りにたあの顔を見に実家に帰ろうと思っていたのだが、それもせずに京都に帰る。でも途中でたれぱんだのバイオリンのおもちゃを買う。たれぱんだの絵が描いてあるだけで、たれぱんだである必然性は何もないのだが、これがなかなかよくできたおもちゃで、8曲くらい演奏(というか弓で弦を触っている時間だけ音が出る)できるようになっていて楽しい。
 病院へ行くともめていた出来事は解決していた。
 大阪は行くと楽しいが、やっぱり頭痛がする。大阪に毎日通っていた中学、高校の頃は頻回に頭痛がしたものだが、その体質は治っていないものとみえる。

12月12日(日)

 11時間くらい寝る。満足。
 川端三条に新しくできたブックオフの100円コーナーで島田荘司を3冊、我孫子武丸を1冊、篠田真由美のYA(?)を1冊買う。篠田真由美は単に建築探偵シリーズが好きだから買ったまでだが、何かのシリーズの第2巻だった。「前巻までのあらすじ」には「平凡な高校2年生」だの「異世界を巡る戦い」だのの言葉がちらほら。高校生当時の私なら、そのあらすじを見ただけで、本から手を離したに違いない。その手の話が大嫌いなのだ。そんな本でも買うようになるとは自分も成長したものだと思う。
 寺町でノートパソコン用のSCSIカードとMOを買う。
 夜はパソコンの整理。MOに不要なものを移す。よく見ると、私のパソコンのHDは1.2GBであった。そりゃ空き容量がなくなるはずである。でもこのパソコンを買った時には、前のHD容量が200MBだったので、永遠になくならないような気がしたものだが。

12月13日(月)

 月曜日なので(土、日に緊急入院していた患者の担当に指名される)新患が多い。1人なんか不機嫌な患者にあたった。家族は「病気になる前から偏屈だったけど、病気してからますます偏屈になって……」だって。前の病院は治療してくれないから、と言ってうちの病院に転院してきたくせに、点滴は1時間以内じゃなきゃ受けない、とか。それなら、家で寝てろ、と言いたいのをこらえて、言葉だけはやさしい偽善者な私。
 でも、私が首の太い静脈から点滴を入れましょうね、と言うと「正規の看護婦を呼んでくれ」とか言うくせに、看護婦さんから「何言ってるんですか、先生ですよ」と言われた途端黙りこくるところがやや弱い。
 「女医なんか当てにならん、男の医者を呼べ」とか言う患者が多いんじゃないか、と就職前までは思っていたけど、そんな患者は身近には存在しない。うちの病院の内科の研修医は男女半々くらい(去年は女の方が多かった)なので、女医が珍しくないせいかもしれない。
 それにしても、私は女で外見が幼く見え(顔が丸いから)ても、結局医者であるということでまだしも馬鹿にされないが、こういう偏屈じじいに1番いやがらせをされるのは看護婦さんである。まあ、ベテランと自分で思っているクラスの看護婦さんは決して負けはしないが、ちょっと若めの看護婦さんはごちゃごちゃ言われたい放題。さぞかし腹も立つだろう。
 家に帰ってご飯を食べたらすごく眠くなりこたつで11時前から寝てしまう。眼がさめたら12時。布団にいかねばと思い、布団まで移動するが、電気をつけっぱなしで半天を着たままトドのようにまた寝てしまう。眼がさめたのが1時。それからやっと寝る準備をして眠る。

12月14日(火)

 今日も入院が多い。昨日の不機嫌な患者にIVHを入れる(中心静脈栄養のカテーテルを入れる)。首(の静脈)からIVHを入れるのは3ヶ月ぶり(放射線科を廻っていたので)なのでちょっとどきどき。しかもついてくれる看護婦さんから、「先生、私忙しいから30分で入れてや」とか言われる。30分以内では入れたのだが、その最中に、生食に動脈血が混じったものが入っている注射器を押すと針がとれてしまい、中の血+生食が白衣一面に飛び散るという事件があった。IVHを入れ終わった後、血しぶき姿のままナースステーションに戻ると、いっせいに注目を浴びる。「あんた、何したん?」と疑いの眼も。いや、血を浴びただけで……と弁明すると、「顔にも浴びたかもしれんで、はよ顔洗って来」といわれるが、「顔を洗うと化粧が落ちる」というわけで、午前中の早くから再び化粧をするはめになる。
 そろそろ担当患者も増えてきて13人。訳がわからなくなりつつある。午後から謎の腹痛に見舞われる。何か変なものでも食っただろうか。身に覚えがないが。あまりにも腹痛がひどいので早めに帰宅。
 12時過ぎにもう寝ようかと思っていると、ベルがなる。電話すると、いつも実にどうでもよい用事で夜中にベルを鳴らす病棟からだった。患者さんの1人が痛がっているということで、今後の方針に関する実に緊急性のない用事だった。どうして適切な判断ができないんだろう、この病棟の看護婦は。それとも単なる嫌がらせか?とか思いながら歯を磨きにかかると、再びベルが。再度確認かよ、おい、とか思いながら電話すると、今度は救急病棟からで、別の患者が痛がっているらしい。同じような用事でも、救急病棟の看護婦さんは比較的適切な判断をするので、丁寧にお答えする。

12月15日(水)

 朝病院に行くと、今度は消化器病棟の看護婦さんが、「先生待ってたのよ、○○さんが昨日の晩から痛がっていて……、先生に連絡しようと思ったけど、しそびれて」って、昨日の晩3人も痛がっていたのか。
 担当患者は14人。今日も謎の腹痛がして苦しい。夕方ブスコパンを飲もうかどうかとても迷う。腸が動いて痛い腹痛なので、ブスコパンが効くだろうというのはわかるのだが、一時的にでも便秘がひどくなるのではないかという思い(せっかく腸が動いて便秘を解消しようとしているのに、もったいない、という貧乏根性)からずっと我慢していたが、今日は医局の忘年会なので結局あきらめてブスコパンを飲む。
 うちの病院の医師80人近くが参加するという恐ろしい医局忘年会は祇園の上あたりの高級そうなところで行われた。去年の医局忘年会の日はたしか循環器科を廻っていて、訳の分からない重症患者が来たため、循環器科の医者はほぼ誰も行かなかった。行かなくてよい口実ができたてなもんで、みんな喜んでいたものだ。初めて参加する医局忘年会は他科の先生の話が聞けてなかなか面白かった。
 ビール3杯くらいしか飲まず、しかも飲んでから2時間は経っていたので大丈夫と思い原付で帰るが、途中で検問をやっているのが見えたので、思わず右折し別ルートで家に帰る。


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