12月26日(日)

 わりと何事もなく夕方となる。今日は一般当直。
 しかし、4時から全日本フィギュアを見だし、本田武史の演技を見てから家を出たため、遅刻しそうになる。5時10分にポケベルを受け取りあわてて引継ぎの連絡をとる。と、15分過ぎから即座に救急室に呼ばれ、結局9時過ぎまで救急室。今年は消化器系の風邪がはやっており、嘔吐や下痢の人多数。その他、診察を受けてないのに薬を要求する人とか。

 9時過ぎにご飯を急いで食べ、入院患者の仕事をしていると再び救急室。蕁麻疹の人とか。12時前にようやくまばらになったので、当直室で寝ようとすると、腹痛が襲ってきた。生理痛である。
 そういえば、のだ@のだなのださんも生理痛がひどいとかって書いてはりましたね。同病哀憐れむ。世の中には、生理痛はない、とかちょっとしんどいだけ、とかいう人もいるのに。私は残念ながら市販の鎮痛剤なんかでは全く効かない強力生理痛の持ち主。NSAIDの中でも強力な薬しか効かないのに、その薬はうちの病院では処方できないときている。だから子供の時から通っている病院(小児科)にもらいにいかなければならない。こないだ行ったときは受付で「お母さんですか」と聞かれてしまった。しくしく。
 すぐいつも飲む薬を飲めば良かったのだが、なにせ他院にもらいにいかねばならない薬で、残りが少なかったため、思わずロキソニン(よく使う鎮痛剤)を飲んでごまかす。ロキソニンでは全く効かないとわかってはいるのに、思わず。案の定全く効かず。
 だいたい痛みというものは、テレビの宣伝でもよくやっているが、痛みはじめたときにすぐに薬を飲まないと、発痛物質が作られるカスケード(滝)の根元のところを止められないので、後から飲んでも効きが遅い。あきらめて1時前にいつもの鎮痛剤を飲むが、いつもなら30分ほどで全く痛みのない状態に達するのに、全然効かず、痛みのため悶々として眠れない。3時、6時と呼ばれるが、それさえも気分が変わってありがたいと感じられるくらい痛いし眠れない。結局2時間ほどうとうとしたのみで当直終了。ろくでもない当直だった。

12月27日(月)

 んでもって、そのまま日常業務に入る。いつもの鎮痛剤は残り少ないので飲まずに作業。正月前で患者数が少ないためあまり動かずにすんだので、腹痛を我慢しながらなんとか仕事。今日は退院する人の紹介状書きに忙しい。今日だけで3通。似たような内容ばかりだけど。
 救急病棟に行くと、ナースステーションの窓に、31日の当直の医者の名前がずらずらと張り出されている。さらしもののようである。31日当直の私の名前も張り出してある。今から張り出すのはやめてくれえと懇願するが、無視される。しくしく。

12月28日(火)

 ゆったり仕事をしていると、お昼過ぎに、いきなり「来月の救急当番表作って」と先輩に言われ、ちょっとどたばた。それ以外はさすがに何もおこらず。

12月29日(水)

 昼に病院に行ったほかは、一日家でHP作り。一日やってれば結構できあがるものだと感心。はじめてFTPソフトを使い、ジオシティーに試験的にアップ。カウンタもつける。
 しかしあのカウンタって、フロントページじゃないところに直接来てもカウントされるんだろうか。なんかよくわかんない。
 フロントページと自己紹介と、たあのページと、情報求むのページは出来あがり。

 その間ほとんどだらだらとTVをつけていた。なんか上祐元幹部が出所してきたってずっと生中継。生中継せんでもいいのに。TVで面白かったのは、あの「酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ」の歌を歌っていたこと。本物を聞くのは初めて。6月が「田植え」だとは知らなかった。ずっと「梅雨」で飲めるんだと思ってた。11月は何にもないけど酒がのめて、12月はドサクサで酒がのめるらしい。「師走」だから飲めるんじゃないのね。勉強になりました。

 時間があると、ついつい本に手を出してしまう。ということで「読まずにとっておいたハインライン」に手をつけてしまった。「ヨブ」。

12月30日(木)

 朝起きて、パソコンの内容のバックアップをMOに取る。もう3年近く取ってないから2000年問題対策をかねて。しかし、すぐにビジー状態となり止まるので、コピーも大変。

 午後からはプレサリオ君を持ってえっちらおっちら実家に向かう。京都駅は大きな荷物を持った人で混雑している。実家でたあに再会するが、どうも態度が冷たい。忘れられたのだろうか。
 夜、携帯に田中邸で(田中君はいないらしいが)鍋をやっているという連絡が入った。私が年末に何かやるなら連絡を、と頼んでいたからだ。SFMのバイト君になったM総統も戻ってきているらしい。行きたいが、今日は無理、明日も当直だし。行けるのは明後日か。
 その後、パソコンをいじっているとニュース速報が。「雅子さま、流産」だって。どうもたまに実家にいると、ニュース速報によく遭遇するような気がする。神戸の小学生殺人事件の犯人逮捕も、地下鉄サリン事件も実家で見たもんな。

12月31日(金)

 家に帰るとお昼過ぎ。洗濯してぼーっとしているとすぐに4時前。いそいで病院へ向かう。

 病院内はわりと平和。当直室にはTVがない(悲しい)ので、TVがある別の部屋まで行って紅白を少し見るが、相変わらず面白くない。一人が歌っているときに、周りに踊る人だの、有名歌手だのがわらわら出てきたり、えげつないぬいぐるみがたくさん「応援」に来たりする馬鹿騒ぎがそんなに楽しいか。カメラもくるくる位置を変えて、見にくいったらありゃしない。ぶつぶつ。と、救急外来が混んでるので応援に来てほしいと呼ばれる。風邪の人を数人診て戻るが、もうTVを見る気もしなくなり、当直室で「ヨブ」を読みながらだらだら。

 11時前からナースステーションには、いつもの倍の看護婦さんやら、婦長さんやら、医療機器のサービスの人、院内システム担当、事務の人、果ては院長、副院長まで入れ替わり立ち替わりわらわら。寸前には看護婦さんとカウント・ダウン。息を詰めて、2000年に変わるのを待ち受けたが何も起こらなかった。めでたい。

1月1日(土)

 騒ぎが落ち着いてから、看護婦さんたちとそばを食べる。
 2時過ぎに就寝。7時半過ぎまで一回も呼ばれず。平和な当直だった。

 家に帰ってから「ときめきビレニアム」をHTMLファイルになおす。それから他の内容も含めていっせいにアップ。でもまだリンクも張ってないし、誰もこないだろうな。

 夜は、昨日買っておいた大根だの葱だのを切ってスーパーの袋に詰め、田中邸に向かう。SF研の京都残留組(私を含めて5人)が主のいない田中邸に集まって鍋。SFMでバイトをしているM総統にハヤカワ書房の秘密(笑)を聞き出す。
 途中でものすごく眠くなったので、2時頃家に帰る。


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