11月20日(土)(承後)

 めでたく本会も終わり、さわやへ移動。さわやはさらに改築を重ね、訳わからない構造になっていた。1回生のときに見た池はどうなってるんだろうか。
 オープニングが始まり、人物紹介。例によって小浜さん(@東京創元社)だが、今年はHPを開いている人も紹介されていた。これがダサコン事件に対する回答です、ということらしいが、よくわかんないけど、なんか周りではちょっと違うとかいって不興をかっていた模様。森さん(わりと有名な森太郎氏。私の1年先輩で、SF研に入ったばっかりで右も左もわからない子羊のような私の人生を変えてしまった邪悪な人)に呼ばれてうわさの田中香織さんを紹介していただく、というより田中香織さんに私を見せたというのが正しい。森さんは例によってろくでもないことを田中香織さんに言っていた様子。相変わらず恐ろしい人である。田中香織さんは巷の噂どおりの人だった。その横にいた林さん(名大OPの林哲矢さん)から、古本屋で買ったというウインダムの未訳ペーバーバック3冊を見せてもらう。ウインダム&ルーカス・パークスなんていうあやしい共著とか、面白そうな紹介文ついてたりとか。いいなあ。この頃大体めぼしいものは買い尽くしたと思っていたが、まだまだ精進が足りない。私も未訳ウインダムに向けて生涯頑張らなければ。とりあえず林さん、訳して私に読ませてください。

 オープニング・クイズ「クイズ・年の差なんて」は、若者チームのぼけぶりが大受けであった。若者チームで前に出たのは名大の1回生、我がSF研期待の塩崎さん、東洋大代表で田中香織さん、そして失礼ながらなぜと思いましたが、お茶大の野田さんの女性4人であった。京大に女の子の1回生が入ったと自慢しようと思っていたのに、名大にも女の子の1回生が入ったというので多少ショックであった。野田さんはお茶大の2人の中で一番若いという理由だったらしいが、なんだかちょっと。野田さんも当然正解することを期待されるわけで気の毒であった。どうせなら同志社大の現役の人とかの方が男でもよかったのでは。
 一番面白かったのは、ヒューゴー賞のヒューゴーのフルネームはという問題で、わからない若い方3人はヒューゴーを名字と思ったらしい。考えてみれば当然だが。なんかヒューゴ−・ガーンズバックの名に聞き覚えはあっても、ヒューゴー賞と結びつかなかったようで。その後が秀逸な話で、若者チームから出た疑問が「じゃあネビュラさんの名前は?」。会場は大受け。その後ネビュラとは星雲の意味で、と説明された後は「ああ、星雲賞から来てるんですね」ってそれはちがうぞ。
 山岸さんに、今度からヒューゴー賞特集の解説を書くときには、ヒューゴー賞とはヒューゴー・ガーンズバックの……と由来から書くように、と声が飛んでいて、SF界に一石を投じていた。しかし後で聞いてみると坂元君(元京フェス実行委員長、7回生相当)もわかっていないことが判明。
 ほかにも、京都で開かれたコンがつくコンベンションの名前は?に、名大の1回生がよりにもよって「だいなこん」と書いたりして、近くにいた名大の年寄りの人達が頭をかかえていた。わがSF研のしおしおといえば、きちんとぼけで受けをねらっており、まずまずのスタートでデビューをはたした模様。
 あとで、林さんにしおしおを見せに行き、『地衣騒動』も読んでるんですよ(私が読ませた)、と言うと、林さんの名言が。「人間の価値の65%はウインダムを読んでいるかどうかで決まりますからね」そうだったのかあ。

 そのあとはとりあえずスタッフルームでしばらく休み。受付に行くと、例年のごとく京大SF研OPどもがたむろっていた。しかしどうして毎年受付にたまるんでしょうね。
 今年は明日の20周年記念宴会にむけて、年譜を作るという作業が行われていた。そして私は第10代会長であったことが判明。しかし学外のものを会長にするとはとんでもないよな(私は京大SF研OPだが、出身大学は某公立大学である)とか言われ、そういわれてみればとんでもないサークルだと改めて思う。京フェスの実行委員長ならともかく、学内の団体の代表者ですからねえ。会長に任命された時も反対意見はなかったようだったし。改めていわれ、最早学外であることをすっかり失念していたことに気付く。最初の1年こそいろいろ気になったが、それからは半分京大生気分であったし、第一学外かそうでないかの差異より、性別の方が気になるというもの。

 その後「異世界想像の部屋」に行く。今年は物理系で、光の圧力が0.5気圧だったら、というもの。どうやら地球の長い午後になるらしい(地球の自転が止まる)。どういう生物が育ってゆくかという議論が甘々だったのがつまらなかったが、まあ前提が前提なので仕方がないか。
 それから「SFコンベンションの部屋」へ。最初の方は人数が少なかったので各自のコンベンション経験の披露をはじめていたら、どんどん人が入ってきて「年寄りの部屋」状態に。それでも自己紹介をしていたが、これがおもしろかった。トーコンなんとかで、とか私にはよくわかんない発言が多数。社会人になってからスタッフはじめた人とか。忙しいのによくやりますね。スタッフになったがために人生変わってるようなひともいたし。
 それから私は身近でみるのは初めてなSF連合会議の武田さんがいた。1回生のころ「SF連合会議とは中でものすごく恐ろしい話合いがなされているところ」という刷り込みを受け、それ以来その首領たる武田さんは、私の頭のなかではガイナックスのえらい人でも、菅浩江さんの夫の人でもなく、連合会議の恐ろしい人というイメージだったのだが、話を聞いている限りでは、そんなに思うほど恐ろしい人ではないようだった。「おれは若者を憎む。年寄りを放り出して、自分達で好きなことをできるだけの体力と時間をもっている若者を憎む。そして年寄りを放り出すことが出来るにもかかわらず、こういうふうに年寄りをのさばらせておくふがいない若者を憎む」とか言ってはりました。なんだか気持ちはよくわかりますが、仲良くやるってのは、やっぱりゴロ的には駄目なんでしょうかね。若者どもを集めてきて、よくわからないがままに名前書かせてスタッフにして、気力を長持ちさせるために映画作らせて、てなことをやってはったそうです。多くの若者の人生変えたんでしょうね。

11月21日(日)

 その後はスタッフルームで鍋食べたりとか。今年は大広間でも鍋をやっていた。亀井君、ご苦労様です。だいたい夜は寒いのでとてもありがたいです。あと新規軸としては、生ビールのサービスをやっていた。単なるビールでも二酸化炭素を放りこむと結構おいしく感じられるものだとちょっとびっくり。
 例年通りスタッフルーム前で車座になっていろいろ話聞いたりとか。小浜さんの話によると、どうやら小浜さんは前に出たくてやっているのではなく、こいつより俺の方がうまくやれる、と思うと思わずやってしまうんだそうです。笹本さんも似たようなことを言うてはりました。能力のない仕切りたがりやよりはよいとは思いますが、毎回同じになるという危険性を伴うのが難点ですね。個人的には面白いマンネリは好きなほうなので、あまり気になりませんが。

 あとは大広間で古本オークションとか。これは結局小浜さんが仕切っていた。SFじゃない本が多くて(吉本ばななとか)、引き取り手がなくて途中だれたりしてたけど、サンリオが5冊600いくらとかいうお得な値段で引き取られる一方、古本屋廻れば簡単に安く手に入る本が500円以上で売られたりとかして、結構おもしろかった。

 それが終わるともう5時前。なのにそんなには眠くない。よく考えれば毎年事前の準備で前日ほとんど寝ないまま京フェスに突入しているので、合宿で起きてられないのである。今年は6時間は寝ていたんだから、起きていられるのも当たり前。なんとこの時間から岡田実行委員長の命令により、部屋の撤収が行われた。おそるべし。しかし撤収の指揮をとっているのはやはり亀井君なのであった。亀井君は1回生から撤収作業のチーフとなっていたのではないだろうか。
 撤収作業をいい加減に手伝いつつ、女性寝部屋に行くともう満員であった。やはり寝部屋で寝られるのは去年だけなのか。すごすごとスタッフルームに戻り、今年はなぜかスタッフルームの押し入れに鍵がかけられ布団が出せなかったので、防寒具として用意しておいたショールをかぶって寝る。

 起きると結局未完成に終わったウインドウズ版京フェスクイズを加藤君(次期京フェス実行委員長様)がせっせとやっている。どうせなら大広間でやればよいものを。今年京フェスクイズができなかった敗因は、プログラムブック作成に田中君が使われていて、プログラムを組ませることができなかったことだ。
 大広間では東洋大の田中香織さんと、京大の7回生田中君とのトレード話が湧き起こっていた。何でも即戦力が欲しい東洋大と、若々しい力が欲しい京大との利害が一致したのだとか。田中君は「絵も書けます、編集もできます、プログラムも組めます」とか言って売られており(そういえば田中君って有能だよな、働かせるのが大変だけど)、しおしおは「わあい、女の先輩が来る」とか言って喜び、話はまとまりそうである(笑)。そういえば私もお茶大SF研から勧誘されてしまった。京大SF研のOPとなったところで、お茶大SF研に入る資格が出来るそうで、東京にいなくても地方会員として認められるらしい。お茶大おそるべし。

 そしてエンディング。時間がプログラムブックに載っておらず、あるかどうかもわからないというのに、あやまたず大広間に人は集まっているのであった。
 撤収を済まして、11時頃に家へ。5時から京大SF研20周年記念宴会なので、すぐに寝る。

 さて、京大SF研究会20周年記念宴会は定時にめでたく始まった。人物紹介が、会長加藤君、森さん、岸場さん、小浜さんによって年代別に行われた。年代別紹介は年代の大体の感じがつかめてよい感じ。私は森さんに紹介されたから、若い方から2つ目グループ。会長も、現会長加藤君が15代で私が10代だったから大体そんなもん。紹介者の紹介スキルがだんだん上がっていくのが面白かった。岸場さんの紹介はさすがに手馴れてるって感じで、最後が小浜さん。英保さんは「今でも下宿を会場を提供してひどい目にあってる奴がいるみたいで、伝統文化を守ってるって感じでよろしい」。よかったね、文化を守っている田中@たまり場提供者くん。
 田中さん(私の上の女性の先輩)に無事にしおしおをみせて自慢できて、任務も完了。思い残すことはないって感じ。しおしおが強いらしいことは話に聞いていたが、実際に強いことも確認したし、本当に安心です。やっぱり「自分がいなかったがために以後永久に女性会員が入らなくなった」なんてのは嫌だしね。後は任せた>しおしお。
 宴会は立食形式だったが、椅子もあったし料理も量は足りてたし、味もまあまあで良かったと思う。しかし、宴会中にときビレ(ときめきビレニアム、96年の京フェスで京大SF研の学生がやった所謂舞踊り)の話になり、私がときビレの責任者だという意味のことを森さんが言うと、英保さんの言葉「一人だけ体育会系実行委員長だった」には大ショック。私はSF研における自分の持てる限りの権力を行使して、みんなに歌詞と振りを覚えさせて練習させただけなのに。これって体育会系ののりではないような。
 終了後は岸場京フェス終身実行委員長さまが溝に転落するというハプニングがあったものの、みんな大人しく解散し、いつものメンバーでカラオケ後帰宅。


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