4月1日(木)

 いかなご、進級。制服着て通う保育園児になった。でも、お箸は使えなかったらしい。フォークで食べたの、と誇らしげに言われた。

 グリーベ『森の少女ローエラ』を読み終わった。小学生の頃に読んだスウェーデンの児童文学だが、昔読んだ時の印象とはかなり違ってびっくり。一人暮らしのローエラがどれほど父親と会いたいと思っているかや、施設での生活がメインに描かれているのだが、私が一番覚えていたのは、村のパン屋と肉屋で廃棄された食べ物を漁って持って帰ってくる場面。クリームケーキやソーセージ!なんて美味しそう!(実際は、少し酸っぱくなってる、と書かれていたのだが)と思っていた私は、どれほど貧しい食生活を送っていたのか…。

 「国歌が歌えない」というのはよく分かるな。私は大阪府内の日教組が非常に強い某地域の出身だが、音楽の教科書の一番最後にいつも載っているこの歌は何?と小学校の先生に聞いたら、気にするな、みたいなことを言われ(もちろん学校で耳にしたことは一度もない)、親に聞いたら「え、なんで知らないの?国歌よ」と言われてびっくりした覚えがある。

 ちなみに「差別してはいけないから」通知表は2段階だし、テストに点数をつけてはいけないし、私立中学に行ってはいけないので、私立を受験するような悪い子の内申書には可能な限り悪いことを書くし、私立を受験した悪い子は、受験後に全員前に立たせて合否を言わせる、という、今から考えればなかなか凄い慣行がある地域だった。

4月2日(金)

 少しだけ元気なので、田中邸の半分位ほど汚い居間をほんの少しだけ片付け&掃除。片付けをしないと、当然居間はおもちゃが散らかり放題になるわけだが、おもちゃが散らかったままだと、いかなごはおもちゃで遊ばず、DVDを見たがる傾向がある。

 制服がぶかぶか過ぎて、いかなご、まさに服に着られてる感じ。

 夜、障子が開かない、開かない、と連呼するいかなごに「頭使いなさい」と言ったら、障子にがんがん頭ぶつけて「え、使えないよ」と言われた。

 島田荘司『最後のディナー』を読み終わった。大根の話が面白かった。

4月3日(土)

 朝ご飯にレーズンバンズを渡されたいかなご「これおいしくない」私「じゃ、食べんとき!」→いかなごしぶしぶ食べる「ちょっとだけ食べたらおいしい」→結局全部食べる「おいしいじゃないか」。

 午後から高野川でいつものメンバーで花見。田中君は子守り適性の持ち主であることが判明。絵も描けるし。いかなごにぜんまいざむらいのおもちゃでいじめられたり(理不尽に「いかなごの勝ち〜!」を繰り返されていた)「ふたりはぜんまいざむらい」を描かされたり、絵本を読みながら突っ込みまくったり(「いや魔女だからと言って悪い人だとは限りません」「この絵だと状況が分かりにくいですね」)。

 桜はほぼ満開だったが、寒いせいか、それほど混んではいなかった。真冬装備に加えて毛布を持って行ったので、日が出ているうちはさほど寒くもなかったが、日が落ちた途端、風が強いせいもあって、とてもいられないほどの寒さに。寒いと叫びながら、ママのスカートの中に顔を突っ込むいかなごと、カナートに避難→買い物して帰宅。雑貨屋でいかなごのワンピースを買ったが、これがいい!といかなごが自分で選んだオレンジ色のワンピースが、非常に似合っていてびっくり。センスいいかも(期待)。

4月4日(日)

 朝からパパに怒られたいかなご、ママにも「い〜か〜な〜ご〜」と怒られると、寝室に駆け込んで一人で大泣き→1分ぐらいで復活。

 天気がいいので、ママも来い、とS君に言われたので、宝ヶ池の子供の楽園へ。私は芝生に敷いたシートの上で寝ていただけ。いかなごは一人で大滑り台を登っていた。横のシートで、5歳ぐらいの男の子が15分以上母親に延々と説教されていてびっくり。

 その後、いかなごの保育園用の服と新しい靴を買いに西松屋→夕食の買い物。私はしんどいので車内でずっと待機。

 家を出る前に、家の前の駐車スペースの、車の後ろの陽だまり(50cm×1mぐらい)に座りこんで、ママーと抱きつくいかなごと一緒に5分ほど日向ぼっこしたのが、ここ最近で一番幸せな出来事だったかも。

 スケートシーズンも終了したので、ツール・デ・フランドルを見た。だから石畳でレースするのは人間として何か間違ってる気が。それにしても、凄いものを見た。なんで座ったまま引き離せるかな。スイス人ってクネクネアハーンとクワド跳ぶだけじゃないのね(←偏見)。

4月5日(月)

 調子悪し。

 ツイッターで野口さんの撮った写真を日々見てると、シャトルがとても身近に思える。

 新しい鉄骨飲料のCM見た。弱弱しくて飲む気が少し失せた。

 夜、いかなごの前髪切り。私は親に前髪切られるのが大嫌いだったので(目印にセロテープべたっと貼られて、一直線に切られた)いかなごはなるべく美容院に連れて行きたいのだが、もぐが生まれるまでは致し方なく、前髪だけ家ですきバサミで切っている。でも、いかなごは髪切られるのが好きらしい。

 その後、今日早速引っぺがされた、制服の上着のネコマークのつけ直し。印刷用紙がほとんど残っていなくて、印刷するのに往生したが、なんとか終了。今度は周囲を返し縫いしたった。これで引き剥がせまい。

4月6日(火)

 暖かいので、少し復活して片付けなど。部屋が汚いだけなら死にはしないが、オセロの駒とかブロックとか粘土とかが無秩序に床に転がっているので、片付けをしないとマジで身の危険が。

 前から気になっていた島田荘司『三浦和義事件』を読み終わった。『秋吉事件』と違い、読んでも冤罪な気が全くせず(むしろ裁判官の主張の方が納得できた)「日本人が女遊びに明け暮れるヤツを集団私刑」「冤罪でも犯人を挙げないと国民の労働意欲が」といういつもの島田荘司の主張もかなり浮いて見えたが、マスコミの横暴さに対して、ある程度の規制を作った人ではあるのね。ロス疑惑騒動の時、私は小学生ぐらいで、「疑惑の銃弾」が掲載された週刊文春も家で見た気がするが、こんなにオウム事件みたいに次から次へと騒動が起こっていたとは。白川千鶴子さんについては、今ならDNA鑑定であっさり決着がついていただろうに。

 夕ご飯の時に「自分じゃ食べられない」とゴネ出したいかなご、「食べるまでそこに座ってなさい」と言われ、しばらく子供椅子の上で大泣きしていたが、S君にウルサイから、と椅子ごと廊下に出されると「廊下はいや〜自分で食べる〜」と食べ出した。それを見たS君「もっと早く出せばよかった」。ごもっとも。

4月7日(水)

 相変わらず調子は天気に依存。午後になって晴れてくると、ムカムカもマシに。もういや、こんな生活。

 で、超久しぶりにブックマークの整理をしてみたり。

 「え?立ち枯れ日本?」が良かったな。

 こないだS君母から物資ダンボールが送られてきたが「こんなものなら食べられるかと思って」と私向けに「こんにゃくラーメン」が入っていたらしい。S君が「こんなカロリーのないものをわざわざ…」と嘆いていた(笑)。お気持ちは嬉しいが、悪阻がなかったらしいS君母には、今いち状況をご理解いただけていない様子。

 何か予感でもあったのか、今日は最近ひどいいかなごの湿疹に念入りに薬を塗り、爪も切った。

4月8日(木)

 朝、横のいかなごがごそごそしたせいか、ふと目を覚まし、居間の鳩時計の音を数えたら5時。と思ったら、突然破水。いかなごの時も破水からだったが、あの時は少しだけだったから、移動も楽にできたが、今回は如雨露で水捲いているかのように漏れまくりで、全然動けない。幸い明け方だったので、S君をすぐに起こして、自分は座ったまま携帯を持ってきてもらったり、出かける準備をしてもらったりできたが、それでもかなりびびった。これ、家にいかなごと2人きりだったりしたら、携帯取りに行くだけでも、家中水びたしだよ。

 準備で寝室の電気をつけたら、いかなごも起き出してきた。「どうしたの?」「もぐが生まれそうだから病院行くのよ」「なんで?だってまだ暗いよ。夜だよ(不満気)」

 前回の残りの産褥パッドと、バスタオルとビニールシートを装備して、満開の桜の中、車で病院へ。オンコールの先生に診察してもらい、経産婦なので、2、3日頑張って下から産めないこともないとは思うが、週数がまだ浅い(33週5日)なので、大事を取って帝王切開かな、と言われる。

 朝7時半に主治医の先生が現れ(←いつも朝早い)あっさり帝切決定。9時半からの手術枠に入れてもらうことになり、S君の同意書サインの任務も終わったので、「眠い」「私お利口さんになる」「ママ大好き」などと言いながら、診察台の私の足元でウダウダゴロゴロしていたいかなごには、保育園に行っていただくことに。

 麻酔科と小児科の先生が顔を見せにきてくれた後、オペ室へ。麻酔科二番手の担当の先生がしきりに「心配しなくても大丈夫ですよ。あの先生上手ですから」などと話しかけてくれるが、「麻酔科の先生は恐い」という刷り込みを受けている私は、正直この先生の問いかけが一番緊張したし、恐ろしかった。

 で、腰椎麻酔をかけられてオペ開始。一時麻酔で血圧が下がって応答不能になったが、すぐに回復し、10時16分、もぐは無事に取り出された。ふげってな声が2回ほど軽く聞こえただけで、あとは泣かず、少し不安になったが、5分経って見せてもらったもぐは、特に大きな問題はなさそうだった。1882gなので、さすがに小さい。

 もぐが連れ去られた後、子宮収縮剤の投与→激烈な腹痛→麻酔科の先生が麻薬投与してくれたが、それでも痛そうな顔をしていたらしく、じゃ笑気いきます、と吸うことに。しかし、周囲の声や痛みがスローモーションで遠く長くなるだけで、意識がすぱっと落ちるわけではないので、かなりしんどかった。しかも短時間だけなので、戻ってもまだオペ続いているし。静脈麻酔の方が良かったな。その後も痛みが続いて、どうします、もう一回笑気行きますか?と麻酔科の先生に聞かれたが、「いいです」ときっぱり拒否。

 昼前に部屋に戻ったが、さすがにしんどくて。麻酔が切れて両足が動くようになるまで、ずっとぐったり。夕方までは、携帯も見る気にならないぐらい。しかし、3時過ぎに、赤ちゃん見に行きましょうか、ベッドで行きますよ、と言われて、NICUまでベッド移動でもぐ見物。が、もぐも念のため酸素マスクをしていたので、顔もよく分からず。とりあえず、小児科の先生の説明では、特に問題ないらしい。それにしても、いつものように羊水の中で暴れていたら、突然周りの水がじゃぶじゃぶ抜けていって、挙句の果てにいきなり取り出された日にゃ、もぐもさぞびっくりしたことだろうな。ちなみに、子宮を開けた時には、ほとんど羊水がなく、完全破水だったらしい。

 夜になると、どうにか横を向けるようになって、多少は楽に。点滴に収縮剤が入っていて悶え苦しんだりもしたが、それでも分娩後のしんどさは、いかなごの時よりマシかも。自力で体力使ってないものね。

4月9日(金)

 睡眠不足でふらふら&引き続き後陣痛で間欠的に悶え苦しむ。室内歩行はできるように。

 昼過ぎから、知合いの看護婦さん、上司、後輩&外来の看護婦さん2人(帰りにもぐ見物)が次々と見舞いに来てくれた。特に後輩+外来の看護婦さん2人は、4月から赴任してきた後輩が、いかに凄いヤツであるか(言葉遣いが上から目線で、人間としてなってないらしい)ということをせつせつと語ってくれ、「先生早く帰って来て〜」(←私の労働力が欲しいのではなく、愚痴仲間を欲しがっていると思われる)と言われた。「私もそんな人と一緒に働くのやだから、育児休業するわ」と言ったら「じゃ、ここに挨拶に連れて来たげる」「いや、それ子宮の戻り悪くなるから止めて〜」。で、結局、職場のストレスを減らすため、一刻も早くその後輩を妊娠させてしまえ、という結論に(おい)。

 午後、S君と一緒に車椅子でもぐを見に行く。酸素マスクははずれていたが、ほぼ目をつぶっているので、誰に似ているかは相変わらずよく分からず。口は今回もS君似だが(良かった)鼻がS君に似てる気がする…。NICU内では私に似ているとの説もあり。点滴と胃管で栄養摂取中。

 夜、保育園帰りのいかなごと、もぐをガラス越しに見に行ったら(いかなごはNICU内には入れない)、看護婦さんが保育器の電気をつけてくれた。それを見たS君「熱帯魚みたいだな」。

 いかなごは、7ヶ月に及ぶママ重病生活のおかげか、ママが入院していても割と平気な感じ。

 S君がパソコンネット環境をセットしてくれたので、家ではまずできないこと=ピンセットを使ったキーボードの掃除などやってみたり。

4月10日(土)

 昨日は重湯が主だったが、今日から固粥に。お腹は空くが、食べるとまだ腹痛でヒクヒク。短距離なら廊下も歩行できるように。体重を測ったら、妊娠前比で9kgの減量に成功したことが判明。折角もぐの面倒は見てもらっているので(広いし、上から叫ばれたり押されたりしないし、実は腹の中より快適かも)今のうちに睡眠不足と体力不足を回復したいのだが、相変わらず病院不眠症で、長時間眠れず。

 午後からいかなごがやって来たが、木曜日の5時起きが祟っているのか、お疲れ気味らしい。S君がかねてから念願の格安食洗器を買いに行っている間、病室で2人で過ごしたが、借りてきた猿並みに大人しかった。それにしても、いかなごの「ねえ〜って言って」攻撃にすべて応答し、拍手しながら食べ物の名前を言っていく遊びなどに付き合っても、全然しんどくない!悪阻のない状態は凄い!

 いかなごが帰った後、もぐを見に行ったが、体重が減っているので、痩せ細って手足がとても長く見える。



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