7月21日(木)

 結局1錠しか飲まなかったら、朝4時に腹痛と吐き気で目が覚めた。しかし、胃と下腹部、どっちが痛いのか分からないので、鎮痛剤と胃薬と吐き気止め飲んで、また寝た。

 昼間は大丈夫だったが、晩御飯食べた後から胃痛が。冷や汗出た。

 あまりの暑さに、引越ししてきてから初めて、クーラーのある居間に布団持ってきて敷いて、一晩中クーラーかけて寝た。でも、クーラー下で寝るのって、しんどいんだよな。暑さで眠れないのと、どっちがよりしんどいかは微妙。

7月22日(金)

 仕事場のBGMが変わっていた。今まではなぜか「美しき青きドナウ」とか「アルハンブラの思い出」とかクラシックばかりだったのに、今日行ったら突然「禁じられた遊び」が流れていた。は?と思ったら、「ある愛の詩」「アラビアのロレンス」に「ロミジュリ」。映画音楽特集かよ。誰が決めてるんだ、あれ。

 まだ何か食べると胃が痛いので、昼も夜も、スープとかおかゆとかヨーグルトとかにゅうめんとかでしのぐ。

 夜、突然S君に明日海へ行かないか、というお誘い電話がかかってきた。S君は大乗り気だったが、私は日焼けするからイヤ、と拒否。すると、田中さんから電話がかかってきて「なんで来ないんだ?来いよ」。ということで、明日海へ行くことに。先輩の言葉には逆らえないのであった。なんたって体育会系ですから(嘘)。

7月23日(土)

 朝病院に行き、仕事して、明日の仕事を先輩に押し付けて帰宅。急いで海行きの準備をして、昼前に田中邸へ。諸々の 準備を既に整えたK藤君やT田さん達と合流。7人乗りのレンタカーに優雅に6人乗りして福井県に出発。

 TMネットワークなる昔のバンドのBGMに、青春時代を思い出して悶絶する田中さんを横目に見ながら、2時間程度 で宿に到着。どうやら、昔合宿で原発に行った時に泳いだところの近くらしい。田中さんも私も下に水着を着てきていたので(女 の基本)、とりあえずまず泳ぐことに。既に夕方4時近くで、そう暑くもなかったが、海の水が温かったのと、我々以外に人がいな かったため、まるで温泉のようにゆったりと楽しめた。いつの間にやら、平泳ぎでも前進できるようになっていたのにびっくり(今までは必ず沈んでいたのだが)。

 1時間ほど泳いだあと、順番に風呂に入って食事。この宿の食事は多い、とは聞かされていたが、大皿4皿に山盛りの 刺身が並んでいたのには唖然。こんなに歯ごたえのあるタコを、こんなにたくさん食ったのは初めてだよ。我々が生まれて始めて理解したこと→刺身だけでも腹はいっぱいになる。

 食事の後は、不毛な廻し将棋に、海辺でロケット花火。宿に帰ってきて、寝てしまった田中さんを除く5人で、S君が死蔵していた新品セットを使って、久方ぶりのヤマト。K藤君はやったことがなかったらしい(若いからな)。かなりルールを忘れてしまっていたが、やっているうちに何となくみんな思い出してきた(すごい)。で、結局なぜか3回もやるはめに。終わったのは1時前。眠いよ。

7月24日(日)

 旅館の無愛想なおばさんに起こされ、ご飯食べて9時前に出発。近くの無人島(という話だったが、どうも本土っぽい)まで、宿の人がボートで送ってくれた。この6人乗りのボート、喫水線が低くて素人には恐ろしい。

 送ってもらった浜に、パラソル立てて敷物引いて、シャチと浮き輪をせっせと膨らまし、いざ海へ。楽しくじゃばじゃばやっていたら、突然右大腿に激しい痛みを感じた。これがクラゲ狩り三昧の1日の幕開けだった…。その後、S君、田中君と刺される人続出。海の中をよく見ると、そこら中クラゲだらけ。日が高くなるにつれクラゲは上陸作戦を開始したらしく、数歩海に入っただけの浅瀬までわらわら押し寄せる、押し寄せる。
 で、安心して泳げないので、持ってきたバトミントンのラケットでクラゲ狩りをすることを思いついた奴がいて、せっせとすくっては沖に投げたり、浜辺に積み上げたり。クラゲの姿形についてだいぶ学習した気がする。柔らかくて一見おいしそうだが、食物として確立されていないところをみると、きっと不味いんだろうな。写真は珍しい形のクラゲだというので撮ったものだが、S君が調べたところによると、クラゲではなくホヤの一種らしい。

 もちろんクラゲ狩りだけしていたわけではなく、きちんと(?)スイカ割りもした。一人ずつ目隠しして、その場で5回廻り、プラスチックバットでスイカをぶち割ろうと試みる。しかし、プラスチックバットでは、どんなに頑張ってもスイカは割れないのであった。後でナイフで割り、6人で大きなスイカを丸ごと完食。今日理解したこと→スイカだけでも腹はいっぱいになる。

 さんざん遊んだ後(私は浜辺で1時間ぐらい熟睡していた模様)、午後2時前に迎えのボートに乗って宿へ。着替えて車に乗って、途中の梅屋さん(梅が特産らしい)に寄りつつ、近くの温泉を目指す。着いた町営温泉は、きれいで休憩所が充実していて素晴らしかった。砂吐き女と化していた私もすっかり綺麗に。

 温泉を出て、お好み焼き屋とラーメン屋でご飯を食べた後、帰宅。数年ぶりに激しく遊んだ気がする(観戦は遊びじゃないのか、と突っ込まれたが、あれは楽しいけど緊張を強いられ、体力気力を大いに消耗するので、いわば勝負みたいなものなのだ)。やっぱり、たまには海に行かないとね。企画してくれた方々に感謝。

7月25日(月)

 外来、いつもの倍は来てた。受付さんがあまりの忙しさにキレてた。でも、今日は処置の要る人が少なかったので、わりとスムーズに流れた気がする。

 夕方から夜診。

 杉浦日向子、死んじゃったの?まだ若いのに。2年近く闘病ってことは、お江戸でござるの解説者を降りたのは、病気 のせいだったのか…。てか、荒俣宏と結婚してたのか(驚)。

 プル、モロゾフ振付、という記事が出た。うーん、別にいいんだけどさ、ステップだけっていうのが何というか…私、ペチュコフさん(去年の振付師)のステップ、かなり気に入ってたんだけどな。ともあれ、モロゾフの方が喜んでそうな気がちょっとする。ヤグ並みに踏める人なんて、今までそういなかっただろうし。

7月26日(火)

 北島康介が負けたのを見てから仕事へ。

 夕方から家のネットの調子が今いちで、つながったりつながらなかったり。S君によると、私のパソコンのOSが悪いらしい (泣)。

 週末に海に行った時、私はせっせと数時間おきに日焼け止めを塗っていたため、背中以外はあまり焼けなかったが、それほど真面目に塗っていなかったS君は、体中真っ赤になっていて赤鬼のようだ。
  
7月27日(水)

 今日はわりと暇だったので、早めに帰宅。涼しい。

 海に行く時に田中邸から持っていき、浜辺で読んでいた『ねじの回転』を読み終わった。イギリス金持ちの家庭教師の話という点だけが激しく面白かったが、子供達が幽霊2人から教えられているらしい「悪徳」が何なのか、文中では絶対に明かされない点、そしてその「悪徳」が何かということを、家庭教師はわかっているらしいところが、非常に不自然。もちろん、そこがこの作品の要なのだが、共感できないし、怖いとも思えない。「子供が幽霊と関わっていることに、不謹慎さと恐さを感じる」という刷り込みを受けていない人には、恐怖小説として意味をなさないのでは。

7月28日(木)

 午前中は無茶苦茶暇だった。

 午後からオペ。スムーズにいったのだが、長時間だったので足腰が痛い(体力無さ過ぎ)。

ルワンダ虐殺についての映画『ホテル・ル ワンダ』の日本での公開を求める署名活動をやっているサイト。この映画を見たいし、是非日本で公開され、ルワンダ虐殺について多くの人が知りやすい状態になって欲しい。ということで、ウェブ署名もやっているので、皆さんご協力下さい!

7月29日(金)

 今日は忙しく、昼ご飯食べたのは4時。暇な日と忙しい日の差が大き過ぎる。

 同期の子が発熱が続き、リンパ節ゴリゴリでしんどい、とのことで、急遽その子の身代わりで当直バイトに。当直室が廃墟と化した病棟(移転したらしい)の奥にあって、非常に恐ろしい。しかも、事務の対応がめちゃくちゃ不愉快。

7月30日(土)

 明けて、家を経由して大学へ。病院行って、帰ってきたのは2時過ぎ。

 S君が「女王の教室」を見て、喜んでいた。

 今日の晩御飯。肉じゃが、小松菜煮、冷蔵庫の残り野菜スープ。

 『落窪物語』を読み終わった。落窪から救出されてからの女君の夫の復讐が凄い、という話は聞いていたが、その復讐の後の、女君一族に対するえこひいき(摂関政治なんだから当然なのかもしれないが)も凄かった。源氏ほど現在流布されていないことでわかる通り、それほど面白い話とは思えなかった。

7月31日(日)

 朝大学行って、昼ご飯食べてから2時間半昼寝(幸)。

 今日の晩御飯。鯛のあらと牛蒡。残り野菜炒め。鯛のあら、味付け薄すぎた。

 S君が古本屋で買ってきてくれたルーゴン・マッカール叢書第9巻『ナナ』を読み終わった。やっぱり『居酒屋』と比べると読みにくいし、ナナの男のくわえ込みっぷりはついていけないものを感じるが、それなりに面白かった。はてさて、全20巻あるこの叢書、死ぬまでに全巻読めるだろうか(てか、和訳が全部は出てない気がする)。

 今週のDVD移行ビデオ本数:7本。長野ワールドもぼちぼち編集しているが、この時のヤグ様はさすが様と言われるだけあって輝いてたねえ(笑)。


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