4月21日(木)

 ワールド男子の放映は、フリー第3途中から見た。いやー凄い試合だったという知識はあっても、映像で通して見るとストレス度抜群。ジュベールの自爆とて、あまり目立った気がしなかったぐらい、皆さん自爆しまくりでしたな。さすがにあの出来のバトル君が銀メダルなのは哀しすぎ。3-2の上に2A連続ですよ。ステファンの新フリーはどうも今いち。今までと路線が違いすぎるし、単なるエレメンツプロな印象強し。唯一ステキだったのは、ステファンのコーチ、グリュッター先生。子供の頃から育てた放蕩愛弟子が世界チャンピオンになったキスクラで、清々しく周りに挨拶するお姿が、いつもにも増して素敵でございました。

4月22日(金)

 やっぱり、コストナーは良い。

 この頃家庭で流行っているもの。それは幻想の未来ごっこ。

 明日着て行く服を模索。太るのは嫌だね、スーツ入らんから。

4月23日(土)

 朝京都駅まで送ってもらって、新幹線で関東へ。学会はなんだかよくわからんが、物凄く混んでいた。去年はこんなにたくさんいなかったような。

 パック旅行で申し込んだので、宿は学会場から遠く離れた西葛西。移動中の地下鉄で、隣に座った男の子2人組が、SF研がどーの、SFファンはどうの、と話していて激しく気になる。サークル選び中の大学新入生のようで、よっぽど問い詰めようかと思ったよ。

 西葛西駅前に古本屋があるとお聞きしたので、しばらく駅前をうろうろ。暮らしやすそうな町だ。

4月24日(日)

 北朝鮮に潜入して脱出する夢を見た。

 地下鉄を乗り継いで学会場へ。昨日聞いた話はどれも今いちだったが、今日のは面白かった。来た甲斐があったような気がする。

4月25日(月)

 仕事は嫌なこと多し。

 尼崎の電車事故、恐すぎ。すぐそこだし、友達巻き込まれてるんじゃないかと不安で。

 シュレーディンガーの猫。

4月26日(火)

 処置中の患者さんの横についてなだめてたら、その患者さんが飴くれた。ちょっと嬉しい。

4月27日(水)

 JR凄えな。

 夕方医局に行ったら、教授に出会い頭に「えらい疲れた顔してるな」と言われた。いえいえ、元気です、と答えたら、「疲れてる時は疲れてると言ったらええんやで」と言われた。こう言われたら、何となく元気になるわな。
 昔、不整脈の患者さんに心電図のモニタ見ながら注射してたら、横から上の先生に「モニタの角度おかしいやろ、そんなんで見えるんかお前、もうちょっと考えろや」と凄い勢いで怒鳴られ(「見えとるわ」と心の中で思ったことは言うまでもない)当の患者さんに同情されたことを、何となく思い出した。えらい違いだ。

 明日からたあが家に来る。S君がいぬいぬ言うので、いぬではなく、たあと固有名詞で呼ぶように、と教育しているのだが、なかなか教育の成果が上らない。7年前から時々一緒に暮らしてるのに、なんでお互い仲良くできないかな>S君&たあ。
 で、実家からの連絡によると、肝臓も腎臓も心臓も最大限に悪く、利尿剤飲んでるから毎日水分注射しないと脱水になって、ご飯もロクに食べないらしい。

4月28日(木)

 ここ数ヶ月同僚達がてんてこ舞いしていた、重症の患者さんが亡くなった。その患者さんは病院に来たときから超重症で、誰もが救命の望みがないことを知っていて、でも集中治療をしていた。なぜならここが集中治療ができる病院だから。しかし、患者さんにとっては、ただ痛く苦しいだけの数ヶ月だっただろう。
 こういう悲劇(患者さんの家族は頑張ってもらったことで満足かもしれないが、患者さん本人の苦痛を考えると、とても良い結果だったとは思えない)を見る度、だから保険審査通すなよ!と思うのであった。くだらん病名チェックなんてしてないで、こういうところで方向を変えてくれ(途中省略し過ぎで、医療関係者以外意味不明ですみません)。

 夜はS君とたあを迎えに実家へ。連れて帰る途中から、既に息がおかしくてびびりまくり。

4月29日(金)

 朝病院行って、午後はぐったり。数日前から鼻水が出ていたが、やっぱり風邪らしく、微熱あるは、にきび出るは。しんどい。

 たあは超ワガママぶりを発揮。家でおしっこをするのがイヤらしく、トイレに行きたくなると、外に連れて行けと鳴く。若い頃は家のトイレでしていたし、鳴くのも1年に1回ぐらいのものだったのに…。実家では鳴くと庭に出していたらしいが、うちに庭はないんだよ。私が病院行っている間に、S君を散歩に連れて行かせていた。

4月30日(土)

 今日は日直。風邪はさらに悪化。咳が止まらない。しかも午前中は忙しくてずっとバタバタ。

 家に帰ってみたら、一緒に調子が悪くなったS君が39度の熱を出していた。



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