9月11日(土)

 昼に大学の近くの店で、S君とケーキセットを食べた。ここのケーキは美味しい。

 そのまま大学へ。代診依頼が多くて、外来も当直も回らないで大変らしい。1人だけ楽してすみません(でも私が決めたんじゃないもんね>言い訳)。調べ物をして帰宅。

 『イギリス王室物語』を読み終わった。代々の国王がいかに女癖が悪かったか、という話はそこそこ面白かったが、言い訳がましい文章がどうも。

 午後は昼寝。夕方から気分が悪くて倒れていた。夕食(素麺)が悪かったかな。

9月12日(日)

 真央ちゃんのフリーの結果を見届けてから、車で大阪へ。S君がこないだ冷凍室が壊れた冷蔵庫を、社宅に運ぶために車に乗せようとした。が、結局乗らずに挫折。今ある小さな冷蔵庫で、半年乗り切らねばならぬらしい(厳)。

 昼頃に社宅に着き、午後から休日労働してきた(ふふ)。

 真央ちゃんは、ギリギリでマイスナーをかわして、ジュニア初戦優勝。3Aは認定されなかった模様だし(確かにあれでは回転足りないかも)色々問題はあるものの、アメリカでの初戦で優勝するとは、さすが魔物だけのことは。

 夜ご飯は烏賊と小芋の煮付け、豆腐。

9月13日(月)

 プル、グランプリシリーズをスキップ、の話が出て、一日憂鬱。S君にプルが出ないぐらいで不幸になるなんて、阪神戦に毎日一喜一憂するより悪い(どういう比較なんじゃ…)と言われた。それにしても、夜になっても正式発表はないし、アリさんのことだから、揉めてるんじゃないかという気が。まあ、スキップしたらしたで膝にいいし、スキップしなかったら嬉しいし、こうなったらどっちでもいいような…気になるのは、長引く怪我の具合と、イリヤの怪我の具合だ。

 ところで、今年の新採点で回転不足とみなされると、レベル落とされた上にさらに点引かれるというのは本当だったのね(つまり、3A回転不足は、2Aからさらに点を引かれる)。3-3にトライしても、回転不足だと3-2より点数低いわけだ。なんで、そういう明らかにやる気を失わせる制度にするかな。

 暗い一日の中で、良かったことはS君にファミマの100円ポテトを買ってもらったことと、エイラが新訳で再刊されると山岸さんに教えてもらったこと。もう出ないと思っていたのに(旧訳が評論社から出て、3巻ぐらいで立ち消えになっていたので)新訳で最新刊まで出るとは(涙)。中学生の時に、暗い気分になりながら1巻を繰り返し読んだものだ。フェミな人で読んでない人は必読。

9月14日(火)

 週末2連荘で続く発表の予演など。あっさり終わった。

 何が何だかよくわからないが、プルは10月1日からの福岡プリンスに出るそうで。はあ…そうですか、不吉なお知らせをありがとう。いやそりゃNHK杯に出ないとなれば、休暇を取れない身としてはもう今シーズン見られる機会はないので、日本に来ていただけるのは大変ありがたいですが。ですが…いやもうやめておこう。来シーズンはもう五輪シーズンなんだし、何がどう転ぼうと、確実に五輪はやって来るのだから。

 ところで、こうコロコロ予定が変わると、ファンをやっていくには、体力と暇と金のみならず、自己陶酔能力というか、自己洗脳能力というか、精神力が大事だよなあ、と改めて。

9月15日(水)

 病院を変わってからはじめて12時過ぎに外来が終わり、1時前に食堂に行った。う、こんなにメニューが多かったのか。しかもちゃんと表示が出てるじゃないか。いつもメニュー名の表示がなくて、品数が3、4品だったのは(それでも美味しくて安いから、十二分に満足していたのだが)昼の時間が終わりかけだったからなのね。今日は抹茶プリンを食べました(美味)。

 ショーでもプルが見られるならいいじゃない、きっと休みと金が欲しいだけだよ、とカナダ人に慰められた。そりゃスケカナ組はもっと無念であろう。

9月16日(木)

 どこの病院でも、医者の溜まり部屋の前には、製薬会社のセールス担当の人々がたむろしている。この人達は、自社製品を売り込むため、色々な医者と話す機会を待っているのだ。製薬会社には各々主力商品があり、各会社ごとに捕まえたい科の医者も違ってくる。ということで、毎日部屋を出入りするたびに、たくさんの製薬会社の人々から、熱かったり(自分が狙われている)寒かったり(全然どうでもいい)する視線を浴びることになる。いや、何を言いたいかって、毎日この視線を浴びるたびに、スケーターもはっきりわかるんだろうな、自分が狙われてるかどうか、と思ってしまうのであった(笑)。

 朝青龍かわいそう。

9月17日(金)

 夕方から京都へ。パソコン重い(泣)。

 高槻の通年スケートリンクが閉鎖されるそうで。昨年の秋は毎週のようにお世話になったが、リンク自体は経営が苦しいとは思えないんだけどな。明治製菓の問題だろうか。ああ、通年リンクが減っていく、とただ嘆いていても仕方ないので、スケート浸透のため、私も地道に何か努力してみるか。。とりあえず、誰か(スケートに興味がない人)と一緒にプリンスの京都公演や大津公演に行くとか。誰かと一緒にブロック大会や全日本を見に行くとか。どちらも藪蛇になる可能性があるような…(弱気になっちゃダメだ)。

 眠れないと言ったら、S君に眠剤飲まされた。

9月18日(土)

 午前中は髪を切りに行って、夕方から同門会で発表。だったのだが、会場に着いてびっくり。うわ、みんなきっちりスーツ着てるわ。大したことない会だと聞かされていたのに、ダマされた。その上、発表の時に事前にスリープしておいた私のパソコンが起きなくなり、観衆を待たせて再起動する羽目に。持っていったのは、前に使っていたSOTECなので、立ち上がるのが遅い遅い。発表時間より、待たせた時間の方が長かったんじゃないか(汗)。その後の懇親会で、今年入った人は1人ずつ挨拶させられたのだが、その場で、さっきのあれはいかん、予行演習しておかにゃいかんだろ、とおじいさん(どこの偉い先生だ?)にダメ出しされる。す、すいません、150%私が悪いです;

 ところで、新人を挨拶させるにしろ、紹介するにしろ、順序はしっかり決まっていて、必ず卒業年度順。私は6人中、上から2番目。この卒業年度というのが曲者で、知らない医者同士が初めて会うと、必ず聞くことは「何年卒ですか?」。この辺りが徒弟制度というか、何というか。まあ、分かりやすくていいけど。

 冷汗ものの発表を終えて(しかも別の嫌なことも聞かされるし)、実家へ。たあは弱ってはいるが、それなりに幸せそうな暮らしぶり。老後の生活としてはなかなかかも。一方、親は半年で5kg太ったらしい(めでたい)。

9月19日(日)

 母親と夜中まで話をしていて、親の実家の話を聞かされる。なんでも祖父は、両親が教育熱心だったために、旧制高校を出たらしい(それって戦前の田舎としては、珍しいことなのか?)。しかし若い頃は酒乱で、酔うと妻に暴力を振るったので、お嬢様で大切に育てられた祖母は、こんなところに嫁に来なければ人生違っていたのに、と嘆いていたらしい。祖父は子供は大事にして教育熱心だったので、母親は祖父のことを好きだったそうだが、長男である母親の弟は祖父とそりが合わず、跡取りなのに全く働かずゴロゴロしていたので(農家なのだが、祖父と一緒に働くのが嫌で、日がな一日家で新聞読んでたらしい)、見かねた母親が私が代わりに跡を継ぐ、と言ったが、祖父も祖母も長男以外が家を継ぐことなど考えられず、話はまとまらなかったとか。

 でもって、その後数十年、叔父と祖父は抗争を繰り返し(ちなみに叔父もアル中)、結局叔父が祖父を追い出して(その直後に叔父は癌で死んでしまったが)、祖父母の面倒はうちの母親が見るようになり、旧家だったらしい祖父の家は完全に崩壊したのでありました。…そんな大河小説にありそうな話が身近に転がっていたとわ。いやはや長男教の家制度って、柔軟性がないな。ちなみに、私の父方の祖父母はいとこ婚で(一族にはいとこ婚が多いらしい…)、性格が合わなくて60代になってから離婚している。…こっちも聞き出したら、色々ありそうだ。

 朝方、たあに布団を取られて目覚める(なぜわざわざ短軸を占領するように寝るのだろう…)。

 午後から病院。暑くて、処置しながら汗だらだら。予想以上に回復が早いじいちゃんなので、処置も楽しい。

9月20日(月)

 エスケメリング『カリブの海賊』を読み終わった。こないだS君がブックオフで買ってきた本で、題名と見かけからジュヴナイルの冒険小説かと思っていたら、17世紀に実際にカリブで海賊やってた人が書いた、当時の海賊生活を語った本だというので、奪い取って読んだのだが、何とも凄い本だった。海賊側(イギリスやフランス)対カリブの植民地(スペイン)という図式で、「どこどこという町を襲いました。住民をたくさん殺して略奪して逃げました。分捕った金を山分けしました。でもすぐに酒と女ですりました(最初に戻る)」という話が延々と単調に書いてある。スペインに打撃を与えるために、イギリスなどの本国も海賊行為を推奨していたわけで、今のテロリスト達と図式は一緒な気が。海賊がやってることも、テロリストと大して変わらないしな。



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