12月11日(土)

 午前中に家を出て、京都で学会の地方会。他大学の教授に鋭い突っ込みを入れられたが、答える知識もなく、上の先生もいなかったので、「検討します」と一言言って逃げ帰った。ああ、怖かった。

 自分の発表を終えるとすぐに会場を出て、大阪にとんぼ返り。夕方から当直。

 ロシア杯の女子。最初にNHK杯の映像を流しつつ無駄話するのはやめていただきたい。タラソワのインタビューも、取って来たのは良いが、別枠で流していただきたもの。その間に、あと2人ぐらい放映できたんじゃないか。

 コストナーは、上肢の動きがなかなか優雅でいいかも。ソコロワちゃんのフリーは、NHK杯でも思ったが、どう見ても、走って跳んで、だな(まあ、いつものことだが;)。でもイナバウアーで微笑まれたりしたら可愛い(イチコロ)。あと、スルっち、キスクラでハート書いてるのが可愛い過ぎ。

 それにしても、刈屋アナ(←アテネ五輪の「栄光の架け橋」の人です)&のりぴーのコンビは、刈屋アナがのりぴーを無視して自分の世界に浸っているような気配がして、何やら恐ろしいのであった。

 ロシア杯男子は…なんか五十嵐さんがジョニーに厳しかったな。プルのフリーは、既に動画で見過ぎていて、自分のパソコンで毎日見ている映像が、TVに出現するのが変な感じ。プル映像に森中アナ曰く「緊張は隠せません」。君はあの動きのどこから緊張を見取ったのだ?(いや森中アナに突っ込むのも今さらだが)。そんなことより、プルがキスクラでズボンの裾を上げてたのが心配で心配で。膝はかなり痛むのだろうか。

 あとは、ライサチェクのスピン中、「スピンはどうですか?」と賞賛を期待した森中アナに対し、五十嵐さんが「まあまあですね」と言っていたのが、なんともはや。それはともかく、やっぱり「雨に唄えば」はなあ…どうしてもジーン・ケリーを思い出してしまうから。特にアメリカ人だと。

 その後は時々仕事をしつつ、『ロード・オヴ・ザ・リング 二つの塔』を見ていたが…何というか、私にはやっぱり無理だわ。なぜ世界が破滅しなければならないのか、あまりにも根拠なさ過ぎなために、ひたすら嘘っぽく見える。細かいことを言えば、子供にまで武器持たせるなら、女にも持たせりゃいいやん、とか、あの木の人達は洪水の中でも足踏ん張れるのか、とか、旅の仲間の皆さんがべらぼうに強くて不死身なのはよくわかりました、とか、その他いろいろ。あ、でも、ゴクリの吹き替えは、雰囲気出てて楽しかった。

12月12日(日)

 日付変わったところで呼ばれて、眠れたのは5時。お見送りは辛い。

 明けて家に帰って、昼まで寝て、午後からS君とスーパー銭湯(こればっかり)。寝不足と空腹と脱水のため、いつもの5倍ぐらいフラつき、風呂場で立てなくなって危ないところだった。でも気持ちいい。

 ミーシン先生、2001年に還暦なはずだから、1941年生まれとすると、レニングラード包囲の時はいくつだったんだろう?という話をこないだS君としていたのだが、よく考えると、小さい頃はグルジアにいたそうだから、関係ないのか。…グルジアって、ヨシフ・ビサリオノヴィッチの地元だよな(恐)。ちなみに包囲戦は41年から43年らしい。

12月13日(月)

 笑えるほど外来が多かった。14時の時点であと30人とか、そんなん。

 当直。複数の病棟の人に、先生いつも当直してるような気がする、と言われた。うーん、確かに人より多い気はするな。諸般の事情により、上の先生の身代わりもしてるからかも(それでも、土曜日の外来を交換してくれたりするので、実に有難い先生でございます)。

 アウル『野生馬の谷(上)』を読み終わった。上下巻で別の月に出るというのは、やっぱりちょっと悲しい。孤独を紛らわすために、子馬や子ライオンと添い寝というのは、非常に理解しやすい行動だな。ジョンダラーのパートは今のところハーレクィンだが、もしかしてこの先もずっとそうなのだろうか(別にそれでも全然いいけど)。

12月14日(火)

 今日はうって変わって外来が少なく…だから皆さん月曜日は避けましょうってば。

 S君が、京都の家から、ポットと木のしゃもじ(←料理用)を持ってきてくれた!これで朝起きてすぐに暖かい紅茶が飲める♪これで菜箸で炒め物せずに済む♪(←不器用なので菜箸はうまく扱えない)。

 今日の晩御飯。焼きそば。スウィーティー。焼きそばにマヨネーズかけるなんて許さん!とS君に言ったら、拗ねられた。

12月15日(水)

 S君が私の親にあげるためにこないだ注文したバウリンガルが届いた。ちゃちいおもちゃなのは予想通りだったが、意外に面白いかも。しかし、よく鳴く犬ならともかく、たあに使おうとしたら食事時を狙うしかないし、無理に鳴かせて心臓に負担かかったら困るし…(悩)。

 。犬は勘定に入れませんが入ってる。奇術師も入ってる>海外版。ミステリ、なのか?犬はお勧めなので嬉しいけど。

 今日の晩御飯。ビーフシチュー。サラダ。スウィーティー。シチューは平皿に入れると言ったら、冷めるから嫌だとS君に拗ねられた(熱くないと食べられないらしい。不便なやつ)。
 ビーフシチューは生まれて始めて作ったが、簡単なわりに美味しくて、結構満足。肉炒めて鍋に移して赤ワインで弱火で煮て、横で玉ねぎとセロリとまいたけ炒めて、それを肉の鍋に加えて、最後にブロッコリーとじゃがいもと人参入れておしまい。トマトピューレは買うの忘れたので入れず。デミグラスソースも面倒くさいので入れず。

12月16日(木)

 こないだの当直の時に亡くなった患者さんの主治医から、その時病院に来れなくて(東京出張中だった)全部やらせて、お世話になりました、と東京土産の「ごまたまご」をもらった。味が濃いけど、おいしい。

 FSUのグランプリ・ファイナル練習レポスレ。「ロシア選手の警備が固いらしい」「何から警備してるの?」「狂ったファンからでしょ」「中国にはプルファンはそんなにいないと思うけど」「狂ったプルファンはどこにでもいるわよ。中国が日本からどれだけ近いか、忘れてない?」…爆笑。

 S君が買ってきてくれた今日発売の『ガラスの仮面』42刊を読んだ。イルカのペンダントねえ…。『キッスは目 にして』とか言ってたのに、携帯も出てきてるし。それにしても、雑誌連載分と全然話が違ってきてる気が。

 今日の晩御飯。四色ご飯(鶏そぼろと錦糸卵と、もやしとぜんまい炒めを載せたしそ入りご飯)。ゆず豆腐。コナンを見ながら食べた。

12月17日(金)

 今日は科の忘年会。6人でこじんまりとイタリア料理店。無意味に凝った料理が多かった。

 帰りがけに上の先生が衝撃発言。今年3月に私の前任の先生の妊娠が発覚した時、今度内科から女医さんが来るから、産休に入ったらその人を代わりに送る、それまでに外来できるように仕込んどくから、と教授が言っていたらしい。なにー?最初から私を送るつもりだったのか?私には最初の2年は大学にいてもらう、と言っていたくせに。そりゃこっちに来てから、転科者を送らなきゃいけない事情は何となくわかってきたが(ここの当直は単なる内科当直なので、2年目のお姉さまがいきなり送られたら大変そうなのだ)、それなら私に、送る2週間前に告げることはあるまいに。

12月18日(土)

 朝6時半に家を出て関空へ。中国元って、関空で両替できないって知らなかったよ。北京についた途端、白タク屋に囲まれまくったり(タクシー乗り場がわからなくて彷徨っていたのだ)、道端で激しく転けて、ホテルに着いてふと見たら、ズボンが破けて出血&たんこぶができていたりした。

 ダフ屋数人に激しく群がられつつ、チケットを買った後(チケット売り場の人からMay I help you?と声をかけられた時は、マジでうんうん、助けて、このダフ屋から助けて、って感じだった)暇だったので、近くの北京動物園へ。パンダ館には薄汚れたパンダが何匹もいて笹食ってて、さすが本場もんは違う、と感動。しかし、そのうち一匹は同じところをぐるぐるぐるぐる周回していた…拘禁反応なんじゃ;
 その後、屋内のパンダ舎に入ったら、止まり木の上でパンダがたれてた(衝撃)。

 小雨が降る中、パンダ以外のものも見ようと歩いてみたが、凍った池でペリカンや白鳥がギャーギャー鳴いていたり、巨大ふたこぶラクダがこれまた同じところをグルグル飛び跳ねていたり、ジラフ舎なのにキリンがいなかったり、広い檻の隅の方で小さい猿が二頭毛づくろいしてたり…そのうち、この広い動物園をこの寒さの中で空腹のまま歩きまわったら、試合始まる前に倒れる、という事実に気付き、大人しくホテルへ。

 途中の屋台で、干し柿のように串に小さな果物を8つほど刺して飴で固めたものを買う。わーい、リンゴ飴だ。8つも一度に食べられるなんて(幸)。さらに甘栗を買い、ホテルの部屋で剥く。ひたすら剥く。

 時間になったので、GPFの会場へ。会場はぎっしりと人が詰まっていた。さすが中国。観客の盛り上がりも凄くて、特に転けた後と高速スピンは大拍手。試合自体は面白かったが、18時半からはじまり、最後のアイスダンスとなると12時前。もう眠くて眠くて。

 よろめきながらホテルに戻り(あの大量の観客は、どうやって帰ったのだろう…みんなタクシーか?)、甘栗食べて就寝。

 ところで、中国は思った以上に日本と似ていた(逆だろうが)。空港には、大仏や天女の絵が架かっていて、一瞬ここは奈良かと。簡体字も見慣れると大体分かるし(しかし省略する必然性はあまり感じなかったな。あれで識字率が上がったりするものだろうか?)簡体字が分かるとその辺の看板が分かるので、あまり違和感を感じない。しかも、周りの人々の見かけが、あまり日本人と変わらない。もちろん、見るからに中国人っぽい外見の人も多いが、この人は顔や服装から見て絶対日本人だろう、と思ったら、はっきり中国語喋ってたりして、予想以上に見分けがつかないものだなあと。それは逆も同じで、会場で話しかけられたり買物の時など、中国語が喋れないと、とても妙な顔をされるのが、やや恐かった。

12月19日(日)

 朝ホテルの外に出たら、寒くて死ぬかと思った。徒歩3分くらいの会場まで行く気になれず、思わず一旦ホテルに戻ったり。気を取り直して、再挑戦し、エキシビの練習を見る。やっぱり、観戦は練習を見ないと。

 途中まで練習を見て、ホテルに戻ってチェックアウト。その後、プルと遭遇。ヒゲが生えてて目が青かった。

 友人と立話をした後、タクシーで空港へ。ジャスミン茶と酒を買って、飛行機に乗り込み、2時間ちょいで無事に関空到着。大阪、暑っ。

 ピックアップする荷物もないので、とっとと空港を抜け、関空駅で一時気分が悪くなったものの、何事もなく帰宅。こないだの福岡行きより楽だったな。

 S君が古本屋で拾ってきた『秘められた世界史』を読んだ。よくあるエピソード短編集で、人がたくさん死んだ事件の話。聖バルテルミーの虐殺と、北極の近くの航路発見のための探検隊が全滅したフランクリン探検隊の話は、ちらっと聞いたことはあるものの、詳しく知らなかったので面白かった。あと、セポイの反乱の話も。そんなに抵抗運動してたのか。

12月20日(月)

 外来は、私は楽だった。

 スポーツシナのサイトを見て回っていたのだが、見出しがとても楽しい。一番受けたもの→普留申科惟我独尊(プルシェンコ唯我独尊)。

 GPF後の記者会見によると、プルはお年玉に健康が欲しいらしい。私に少しでもあれば、あげてもらえるよう、仏様にお願いできるのだが。



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