9月10日(水)

 朝、青森行きの飛行機に乗るため、伊丹空港へ。青森空港は霧に包まれていて降りらんないかもしれないので、仙台か東京で降ろされること覚悟で乗りやがれ、と言われる。さすがに東京で降ろされると飛行機に間に合わないかもしれないし嫌だな…と思っていたが、幸い何の問題もなくほぼ定刻で青森空港に到着。

 そして着いた空港は異世界であった…午後の集合時間まで待合室でぼーっとしていたが、周りの人の会話が全く分からない。韓国語にしか聞こえない…こんなにすごいものなのか>津軽弁。というか、関西弁も吉本がなければこれぐらい理解できない言葉なのだろうか…でも福岡弁は意味はわかるしなあ…。

 既に外国な気分で、待合室に集合。ツアーの人と日本人添乗員と合流して、まずはハバロフスクへ。交換留学か何かと思われる10歳ぐらいのロシア人子供集団と一緒になる。ハバロフスクについて、荷物をS君が降ろしてあげたら、女の子が「スパ」と一言言って去っていったが、口語では省略するものなのか。それともハバロフスク方言?それとも別の意味?

 ハバロフスクに着くと現地ガイドが待ち構えていて、すぐにホテルに移動。寒いのは寒いが、北海道みたいな感じ。それにしてもツアー旅行って、両替(ドル→ルーブル)までしてくれるのね(驚)。飛行機のチェックインは代行してくれるし、荷物はポーターさんが運んでくれるし、外国のツアー旅行初体験の身には驚愕することばかり。これほど何もしなくていいなら、確かにお年寄りでも行けるはずだわ(納得)。

 どうも納得いかなかったが、ハバロフスクは時差+2時間、日本より時間が先に進んでいる。ホテルで御飯を食べるとそのまま部屋へ(同じテーブルの男性4人組の話はさっぱりわからず。1人が津軽弁わからないでしょう?韓国語みたいでしょう?と声をかけてくれたが、韓国語みたい、というのは共通認識なのか?)。外国人用ホテルだけあって、作りは豪勢だが、建物は古い。
 TVはチャンネルが5つくらいで、NHK・BSも映っていた。ここはモスクワと時差7時間だから、ニュースとかは地方放送が多いんだろうな。ニュースを聞いていると、ロシア語って時間当たりの音の数が多いような気がしたのだが、気のせいだろうか。単に早口なだけ?

9月11日(木)

 ハバロフスクからモスクワへ移動。スチュワーデスの1人がオベルタスにそっくりだった。歳をとったらオベルタスもあんな感じになるに違いない。飛行時間は8時間だが、時差があるので到着してもまだ昼前。

 モスクワでは、現地ガイドさんが待ち構えていて、バスに乗って移動。おおクレムリンだ、モスクワホテルだ。で、数年前にテロで爆破されたことのあるショッピングセンターの中をぞろぞろ歩いて通り抜け、赤の広場へ。しかし自爆テロ警戒のため、広場内には入れない;レーニンの蝋人形見たかったのにな。

 次にグム百貨店なる天井ガラス貼りのショッピング街へ。ガイドさんに、はい、ここで自由行動10分です、と言われたが、10分と言われましても;3階まであるこのショッピングセンターは構造が面白くて、中2階みたいなのがたくさんあった。表通りは土産物屋が多かったが、中2階の暗い部屋に足を踏み込むと、そこは古本屋だった(笑)。ハーレクインのロシア語版がたくさん置いてあった。やはり、どこの国でもハーレクインは古本屋に売られるものなのか;

 百貨店を出て、今度は聖ワシリー聖堂に近づく。うう、なんて綺麗な建物なんだ。不規則な塔の配置と色合いがたまりません。アホほど写真撮ってしまったよ。

 塔を見物し終わると、再びバスに乗せられて、雀ケ丘(誰がそんな風に訳したんだ?)なる観光地に向かう。今いち何を見ればいいのかわからない、ただの高台だったが、マトリョーシュカの露店が出ていたので見ていると、露店の人が英語で説明してくれ(街ではロシア語以外はほとんど通じず、英語が使える人でも片言がほとんどだが、この人はわかりやすい英語でしゃべってくれた)、かつ私が未練がましくマトリョーシュカを抱いていたら、学生だろ?じゃあ安くしてやるよ、と言われたので(2つセットで1つ分の値段)ついつい買ってしまった。
 全く安くない買い物だったが、後で見たいろんな店より結構安い値段だったので、まあいいか。露店なせいか、作りはやや粗雑だが(フィルムはげかけてたり)、20個のマトリョーシュカは前から欲しかったし。それにしても、英語がしゃべれるって売り手としては重要だよな;ロシア語と津軽弁の中にいた私には、オアシスにいるような一瞬であったことよ。

 マトリョーシュカを抱えてバスに乗ると、レストラン経由でホテルへ向かう。街には、とにかく薬局と花屋が多い。そしてLG(韓国企業)に支配されている(そこら中にLGマークが)。あと、犬が死んだように寝てる(?)。観光地の芝生で寝ている犬を何匹か目撃したが、ぴくりとも動かないのだ。ナゾだ>ロシアの犬(生きているのは接近して確認済)。道路にはトローリーバスがたくさん走っていて、道行く車はどれも恐ろしいほど埃だらけ(ワイパー動かしたところだけが辛うじて前が見えるレベル)。

 ホテルは外国人だらけの巨大ホテルだった。ところで、ロシアでは太った人をあまり見かけない。もちろん体格の大きなふくよかな姉ちゃんや、でっぷりおばさん体型の人もいるにはいるが、少ない。米加で頻繁に見かけた信じられない姿の人々は見当たらない。ところが、一歩ホテルに入ると…そこら中にいらっしゃいました>信じられない体型の方々。駄目だよ、何とかすべきだよ>米加。

 夜はホテルを抜け出して(8時頃まで明るい)、近くの露店で桃やビール、クワスを買ったり。クワスはペットボトルで売っていたのをたまたま見つけられてラッキー(これ以降はどこの店でも見つけられなかった)。穀物ジュースなるクワスは結構美味しかった。ちなみに、街にやたらたくさんある露店の花屋の花は、それほど安くはなかった。巨大な花束が3000円ぐらい。基本生活物資は大体何でも、日本の半額ぐらいのイメージ。

9月12日(金)

 朝ご飯はホテルのコスプレレストラン(店員は男女とも民族衣装。はっぴ着た店員がいる飲み屋みたいなものか?)でバイキング形式、なのだが…混み混みで身動き取れん。

 この日は、まず結託土産物屋に連れていかれた後、アルバート通りなる歩行者天国で自由行動。曇っていたので結構寒く、露店の土産物屋でショールを買う。店員さんが、数字だけは英語で言ってくれたので助かった。私しゃ数字は1から14までしか言えません;

 ところで、モスクワは半端じゃなく渋滞している。おまけに、午前中だけで事故を3件も見た。事故処理のために全面通行止めにして現場検証してたりして(片方だけ通すという発想はないのか?)、それじゃ渋滞もするはずだ。ちなみにガイドさん曰く、運転免許は約3万円で買えるらしい。そんなに安けりゃみんな買うわな。

 午後はモスクワ川クルーズなるものをした後(あまり意味があるとは思えない行事だった。どぶ川だし寒いし)、クレムリン見学。巨大鐘とかフレスコ画とかを見た後、武器庫(というか宝物庫)の見学。いやあ凄かったです。オール銀糸のドレス、胡散臭さ満点の2人用玉座(皇帝が知的障害者と年少者の2人だったため、並んで座らせて後ろから大人が操ってたんだと。ほんとか?)、宝石嵌めまくり&浮き彫りしまくり&金塗りまくりの馬車(と橇)、エトセトラ、エトセトラ。

 次に、警戒厳重なダイヤモンド庫に案内される。出るわ出るわ、ダイヤ、エメラルド、アメジスト、オパールその他貴石の数々。巨大ダイヤのついた王勺と麦の意匠の首飾りが素敵だったな(うっとり)。

 この日は見物はこれで終わり。渋滞にはまりつつ、6時前にはホテル到着。ということで、ネットで(S君が)調べた本屋目指して、モスクワ探検に出歩くことにする。ホテルの最寄地下鉄駅から中心部のルビャンカ駅へ。話に聞いていた通り、モスクワの地下鉄は深く、エスカレーターが異常に速い。駅の表示が思ったより親切で、きっちり書いてあるため、とりあえず迷うことはなかった。

 そして着いた駅はルビャンカですよ、ルビャンカ。地下から上ると、そこはKGBの真ん前。ということは、この地下にかのルビャンカ監獄があったのか、と思うと、薄暗い夕暮れにルビャンカ監獄の眼の前にいるという事実に感銘を覚えたが、この出口は目指すものではない。再び地下にもぐり、案内表示を頼りに別の出口に出て、2階建ての本屋に入る。

 フロアの広さは、まあ京都丸善の2倍ぐらい。全く読めない本が延々と並ぶ書店にいる、というのがなかなかシュールな感覚で楽しかった。ファンタスチカのコーナーは広めにとってあって、認知度は高そうな感じ。あまり時間がなかったので十分見る余裕はなく、土産に表紙を見てえいっと選んだ全く何かわからない本を一冊だけ買って引き上げる。S君は外国語コーナーで英語の本を買っていた。

 で、最寄り駅に戻るまではよかったが、周りが暗かったため、最寄り駅を上ってからホテルに着くまで迷う迷う。ガラの悪そうな道をさんざん歩く羽目に;あれはなかなか恐かったな。
 ギリギリでホテルの夕食バイキングの時間に間に合い、残っていた食べ物を集める。と、紅茶だと思って飲んだものが何とも珍妙な味が。よく見るとティーバッグにはアールグレイグリーンティと…これはゲゲボ系かも。。

9月13日(土)

 地下鉄の周囲には雑誌を売る露店がたくさんある。初めは古雑誌屋かと思っていたが(種類が多く、かつ雑誌の状態があまりよくなかったため)普通の雑誌屋らしい。昨日、ホテル周囲の露店で、プルが彼女と一緒に写っている例の雑誌を見つけたのだが、ボロボロだったので、他の露店でも売っているかと思い、買わなかった。ところが、あの雑誌はおそらく週刊で、問題の号は3週前のものだったらしく、他の露店ではどこにも売っていなかった。要するに私が見た店では、売れ残っていたわけか;
 ということで、朝ホテルを出発する前に店まで走り、無事ゲット。10ルーブルのタブロイド誌でありました。

 バスに乗り(そういえば、ツアー旅行の悪い点は、タバコを吸う人と一緒に行動せねばならないことだと思う。バスの中で吸う人がいたのには心底参った)国内線の空港へ。そういえば、ロシアの空港は、どこでもバス移動なのよね。子供の時に行った海外旅行(ギリシャ・ユーゴ)ではそうだったから、何となく懐かしい。で、プルコヴォのツポレフに乗って、今度はサンクトへ移動。

 サンクトの空港でまた別のガイドさんにピックアップされ、バスで一歩空港の外に出ると…まあなんて綺麗な。モスクワとは大違い。だんだん近づいてくる街は、建物が揃っていて、道は広いし、道行く犬もモスクワより立派(モスクワの犬は、西原理恵子の漫画に出てきそうな犬ばかりだった)。この美しさのどれくらいが、300年記念プーチン命令大掃除の成果なのやら。

 昼御飯を食べてホテルに荷物を置くと、まずはピョートル大帝の銅像広場に連れて行かれる。この日は青空が広がっていて、実にすがすがしい天気。ピョートル像前には、ウェディングドレス姿の花嫁と花婿がわらわらわらわら。そこら中で写真を撮っている。ロシアの結婚式は、こうやって市内の名所を廻るのがしきたりだそうで、集団結婚式開催か?というぐらい、本当に次から次へとカップルがやってくる。実は花嫁好きだったらしい(?)S君は大喜び。

 なぜかナポレオン時代っぽい(推定)格好をしたナゾの男女がいたり(この人達の正体は後に明らかになった)、馬が何匹もいたり、数人からなる楽団がいたり。この楽団は、我々の集団が来たと見るなり、君が代を演奏。後から中国人観光客がバスから降りてくると、中国国歌も演奏していた。よく顔を見分けてるな。はたして韓国人と日本人の区別はつくのであろうか(笑)。

 さて、花嫁を堪能した後は、ペトロバヴロフスク要塞を遠眼に見ながら、血の教会へ。皇帝が暗殺された場所に立ってるから血の教会というらしいが、これがとてつもなくゴテゴテしていて綺麗な建物。ソ連時代はジャガイモ貯蔵庫だったりして、実際に教会として使われた期間はとても短いそうだが、凄まじいまでにモザイクだの浮き彫りだのをしまくっていて、ロシア人の根性の凄さに恐れ入った(恐れ入るのがまだ早いことは、後に気付く)。

 一通り見物が終わるとホテルへ。スイカとメロンの季節らしく、スイカが内部に山積みされた檻(遊牧民のテントのような形)が道端のあちこちにあった。この檻売店といい、駅の傍にある売店といい、あまり売れてなさそうで、かつ単利益が低そうな店がやたらたくさんあるのよね。人件費がとてつもなく安いのであろうか…。

 さて、手違いにより夕御飯が食べられなくなるというおまけ付きで、夜はアレクサンドリンスキー劇場へ。有名バレエ団主力メンバーが出稼ぎに行っている夏の間、集まった二軍・留守居部隊により上演されているという噂の白鳥の湖を見に行く。私にわかるほど下手なのだろうか、と内心楽しみにしていたのだが(おい)、王子が踊り終わった後、余りにもはあはあ言っていたのと、黒鳥32回転がよろめいていたくらいで(いや、私が昔日本で見たときのプリマもよろめいていたが)、素人にはやはり、さして違いが分からなかったのであった。

 いやそんなことより何より、席が一列目の真ん中寄りで、オケ見放題、踊り手の顔も衣装も見放題、舞台装置見放題だったのだ。王子、何探してんだよ、その腹と頭の飾りが豪華なのがオデットだよ、と声かけたくなるくらい(嘘)。
 セット踊り(何たる言い方)の男の人はロマン君似でひょろひょろだった。王子は体力はなさそうだったが、もう見るからに「王子様」という顔とスタイルでちょっとびっくり。トウ突くと王子よりも背が高い大柄なプリマは、どう見てもオディールの時の方が生き生きとしていて素敵だった(悪女系?)。

 そして、今回私が一番感動したのは、ロットバルト。今までは途中で踊りの邪魔しにくるうっとおしい奴、としか思っていなかったが;あんな羽つけた珍妙な衣装に、あんな珍妙な表情で、真面目に踊り狂っているとは。もう私はロットバルトに夢中ですよ。私もS君も、折角盛り上がるんだから、3幕で終わっちゃえばいいのに、そしたら「愚かな王子は騙されました。ロットバルト&生き生き黒鳥万歳!」で終わるのに、と思ったぐらい素晴らしゅうございました。

 その他にも、私の持っている全曲版2種には入ってなかった曲が演奏されていたり、群舞の人の顔が見分けられたため、ああやっぱり大事なところでは4羽の白鳥が前に来るのね、とわかったり、とそれなりに楽しい時が過ごせたのであった。何でも生で観るのは楽しいね。

9月14日(日)

 サンクトの朝は霧に包まれていた。この日は昼前には晴れたが、昼まで暗いという冬は、かなり陰鬱な感じになるのではないか。
 このホテルでも朝御飯はバイキング。席を取って食べはじめると、相席の外国人ツアー客が知らない言葉で話しかけてくる。どうやらイタリア人らしい。こちらが英語で答えても聴く耳持たず、我々が全く理解していないのもお構いなし。ロシアで日本人にイタリア語で声をかけて、会話が成り立つと思ってるのか〜。

 朝からエルミタージュへ。オープンと同時にツアー客がどっと入る。芸術に造詣がない私は、絵画・工芸品よりも建物と内装に気をとられていた。でも、本物のレオナルド・ダ・ヴィンチの絵とか、エカテリーナ二世にプレゼントされたからくり時計(にわとりが動いたりするらしい←そういうのに弱い)とか、やたら細工が細かい机などには興味を惹かれた。
 ツアー客にはそれぞれ各国語のガイドさんがついているが、有名な絵にはどっと客が群がるため、ガイドさん同士で縄張り争いのような会話(ちょっとあんた、あっち先に行ってよ、こっちはうちのお客さんの!)がされていて面白かった。館内は全く狭くはないのだが、とにかく展示するものがやたらたくさんあり(それでもごく一部に過ぎないだろうが)、結構混みあっている。広い3部屋ぐらいぶっ通しの部屋に、壁にででんと巨大な絵が上下2枚ずつ架けてあったり。
 ここを2時間で駆け抜けると、出口ではぐったり。ロビーの椅子に座っていると、隣のおばあさんに何やら話しかけられる。「イタリアーノ、イタリアーノ」またイタリア人か…(疲)。

 お昼は近くのレストランで。毎回同じツアーの違う人達と相席になるが、どこかの社長さんっぽいご老人二人に、これから仕事されるんだったら、ロシア関係の仕事もいいですよ、と薦められてちょっと鬱。そんなに私、働いてないように見えますか;いや確かに正式な身分は学生だけどさ…。

 午後は、郊外にあるピョートル夏の宮殿へ。サンクトの郊外は、マンションが固まって建ち、その周りに広々とした芝生がある、という感じで、犬を散歩させている人もたくさんいた。こういう感じだから、全員マンションに住んでいても(モスクワもサンクトも市内に一戸建ては建てられないため、どんな人でもマンション暮らし)犬を飼えるのだろうか。

 ピョートル大帝が建てたという夏の宮殿は、ドイツ軍が来たときに破壊され、現在も復興工事中。寄木造りの床を守るためか(?)中に入るときは布の袋で靴を覆う。清潔操作みたいな感じ。内部は、もうなんというか金きら金。絵や陶器の一部など、軽いものは包囲される前に持ち出せたとかで本物だが、壁の装飾や天井絵は複製。よくこんなもの凄いものを作り直そうなんて思ったな…。

 一通り中を見終わって、有名な庭園を散歩。青空が広がり、盛大に噴水が並んでいる手入れされた庭を散歩するのは極楽極楽。そして、ここでまた、ピョートル像の前で見た、昔風の格好のコスプレ男女数組を発見。この人達は、一緒に写真を撮らせてあげて、お金を取る商売なのであった。1回1人1ドルか…結構繁盛していたが、雨の日もあるだろうし、男女+撮影係計3人の時給は一体いくらなんだろうと心配になる。

 この日も6時前にホテルに着いたので、地下鉄に乗って街に繰り出す。昨日の夜も地下鉄で帰ってきたが、23時近かったというのに、2分経たずに次の列車が来たりしていて、相当便利な印象(たまたまかな?)。関係ないが、ホテル最寄の駅と、その隣の駅の区間だけ、地下鉄が異様に速い。急に加速するため、昨夜は何か異常なことも起こったのかと思ったくらい。ところが、これが帰りだけで、逆に街に出るときは決して速くないのだ。ということは…もしかして下ってるから速いの?(それも何だか…)。

 で、中心部にある2階建ての書店にゴーゴー。ちなみにスポーツコーナーではフィギュアスケート関係書は見かけなかった。目につくのはプーチン大好き空手書ばかり。全く読めない書物に囲まれているのにも慣れ、おお、楽譜安いぞ、などと見て廻っていると、ファンタスチカコーナーに翻訳SFがたくさんある、とS君が教えてくれた。

 見に行くと、結構あるある。ゼラズニイ、シルバーバーグ、シマックたくさん、ディックは1冊、アシモフ、ベン・ボーヴァ、ハリスン(「ガリイ・ガリスン」になっていた)、ハインライン、イアン・バンクス、イアン・マクドナルド、ベイリー。ハインラインは結構冊数があり、夏扉や人形つかいはなかったが、月無慈やジョナサン・ホーグ氏の不愉快な職業なんかが置いてあった。クラークは見かけなかったが、マクドナルドも新しいものも翻訳されていて、割と栄えているのね、と感心。
 こうして見ている間にも、結構なロシア美人が彼氏と現れ、ハインラインがどうの、ストルガツキーがどうの、とひとくさり話して去っていった。ロシア語ができれば、お話したいところだった。

 端から端まで翻訳物の作者名をしらみつぶしに確認していったのだが、そんなことをした理由は、もちろんウインダムがないかどうか調べるため。そして、最下段に見つかったのだ、「トリフィドの日」と「トリフィドの夜」の合本が。ありがとう、サイモン・クラーク。あなたが続編を書かなければ、この本が出版されることもなかったに違いない。で、自慢見て見て〜。問題は読めないということだな。「トリフィドの夜」の原作買うか…(>とっとと買えよ、ロシア語版買う前に)。

 トリフィド以外にも数冊持ってレジに並ぶ。ルーブルがあまりなかったので、クレジットカードを出すと、店員のお姉ちゃんが「パス 何ちゃら 何ちゃら何ちゃら」とおっしゃる。わからん、わからんよ。困り果てていると、お姉ちゃんも困った挙句、フォトグラフィアと振り付きで一言。パスポートか。しかし、パスポートは手続きのためにホテルが預かったまま、延々と返してくれないので、手元にない。仕方ないので運転免許を示し、サインは?という感じで見られたので、裏の改姓手続き後の手書きの名前を見せると「はっはっはっ(分かるわけないだろ〜!)」と爆笑されてしまった。そりゃそうだよな、漢字だしな(しかし、これで身分証明は通過;)。それ以前に、まさかロシア語知らない奴が、何冊もペーパーバックを買うとは思うまい(笑)すまない、姉ちゃん。

 結局9時の閉店間際まで、1時間半以上本屋でだらだらし、満足してホテルに帰る。すぐ近くに24時間開いているスーパーがあり、買い物に行ったりも。S君がビールを漁ってるので、そういえばプルが好きって言ってたビールはティンコフだったよな、とか思い出して買ってみたり。プルインタビューは、現地人情報として色々有用であった(笑)。

 夜、ネットに繋ぐことができ、まだ阪神が優勝していないことに驚く。連敗?こうなったら、あと2日待ってくれ〜。

9月15日(月)

 朝から、サンクトの隣のプーシキン市にあるエカテリーナ宮殿へ。バス移動の最中、ここまでドイツ人が来たけど、ここから中には入れなかった、というポイントを教えられる。封鎖には色々原因があったにしろ、あれだけ綺麗な町並みなら、絶対入れたらん、と思うのもわからないでもないかも。

 エカテリーナ宮殿も、ドイツ軍にこてんぱんに破壊され、現在も修復工事中。大部屋小部屋が連なり、金の彫刻と鏡だらけの謁見室、そこら中に大きな油絵が架かってる何ちゃらの間、陶器でできた暖房器具やら果物模型やらが延々と。有名な琥珀の間も復元終了とかで公開されていた(元の琥珀の間の壁の破片を持ち逃げしたドイツ人から取り返してみたら、復元したものの方がきれいだったとか。そりゃ新しいものね)。こんな感じが壁一杯に続いている。

 人海戦術で丁寧に手入れされていた庭園(強風の中、落ち葉を手作業でピックアップ)を散歩した後、サンクト中心部へ戻る。昼ご飯はレストランで。ん?ここって、プルがよく行くと言ってたクラブなのでは>「プラザ」。夜はクラブになるっぽいしな。バンドの演奏スペースとか、カジノとかもあるし。料理はここが今までで一番美味しかった。それにしても、要するに近場だからよく行ってるってことか?(ここはユビレイニーのすぐ近く)

 午後からはイサク寺院の見物。ここは凄い。外観は割と地味なドーム教会だが(地盤が悪くて建築の困難さににごまんと農奴が死んだそうだが)、内装が桁凄い。巨大な天井絵に彫刻、モザイクに金きらきんの嵐。見上げた図。いい加減、豪華絢爛なのには慣れたかと思っていたが、見るたびに開いた口が塞がらないものだ。

 イサク寺院の後はネヴァ川クルーズだそうだが、我々2人はツアーからリリースしてもらって自由行動。落ち合う場所のレストランの場所を聞き、いざ出発。周囲のロシア人カップルの真似をして手を繋ぎ、寒風吹きすさぶ中、ネヴァ川に架かった橋を渡ったり、ユビレイニーを見に行ったり(*1)、「俺もお前もマクドナルドを 並んで食ってる男に なるのさ」ごっこをしたいとS君が言うので、ロシアンマクドナルドに入ったり(*2)、歩いている途中に綺麗な教会に出くわしたので(聖ニコラス寺院)入ってみたら、どうも一般向けの教会らしく、洗礼受けてる人がいたり(*3)、路面電車の線路が残る壊れかけの通りを歩いたり、今朝買った地図を見たら、落ち合う場所の近くにレスガフトアカデミー(プルヤグの卒業大学)があったので行って見たり(*4)した。とりあえず、新婚旅行の人が自由行動ですべきことは一通りしたような気がするので満足(嘘)。

(*1)五輪選手がわらわら所属する、数年前に改装したリンクにしては、予想以上にこじんまりしていた。

(*2)注文するのが大変だった。上のセットメニューを指差して、「デュバ(2)」と言ったが全く無視され、結局「フタロイ(2の序数)」と言わなければならないらしいことが判明。私の「2」の発音が悪かったのか、それとも序数じゃないと許してもらえないものなのか;ちなみに、ロシアンマクドナルドは「日本よりはるかに美味しい」(S君談)。確かに結構美味しかったな。ロシア物価ではやや高めの食事だが、平日の午後にも関わらず、かなり繁盛していた。

(*3)教会の中は照明がロウソクだけで薄暗く、日本の寺に雰囲気がそっくりだった。ロウソク売ってるところまで似ている。しかも、横で僧が女の子に洗礼を受けさせているのを見ていたら、聖書を読み上げるその調子が、見事なまでにお経そっくり(驚)。

(*4)敷地は狭く体育館は窓が割れ、校舎は京大A号館並のボロボロさ。でもまあ、単科大学と思えばあんなものか。うちの大学(単科)も改装前は崩れそうだったもんな。事務棟と思われる建物に入ると、スポーツがモチーフの壁画があったりして、その辺はさすが。レスガフト氏の銅像もあった。

 レストランでツアーに合流して、晩御飯。店の人と思われる4人グループが、ロシア民謡を歌ったり踊ったりするミニショー付だった。黒い瞳は歌ってたな。ホテルに帰った後は、近くのデパートや24時間スーパーで土産物を探したり。デパートでクレジットカードを使ったが、今度は英語でパスポートを提示するように言われた(で、やっぱり運転免許で通った)。

 で、部屋に戻ってネットを見ると、阪神が優勝しておりました。あ、やっぱり間に合わなかったか。

9月16日(火)

 今朝の朝ご飯の同席者はドイツ人。ちなみに昨日はフランス人。ヨーロッパからは来やすいだろうし、いいな。

 今日はもう帰るだけ。帰りたくないと泣きながら、まずはモスクワへ。モスクワに着くと、市内を迂回し、降りた空港から別の空港に1時間半かけて移動。空港での待ち時間は、売店で新聞を漁ったり。日頃お世話になっているので、わずかなりとも金を払おうかと、スポルト・エクスプレスやコムソモーリスカヤ・プラウダを買う。空港価格ではあろうが、スポルト・エクスプレスは26ルーブルもした(他の新聞は10ルーブル台)。専門紙は高いのだろうか。ロバアベショーの記事が載っていて、イリヤやプルに関することも載っていたが、読めないものは読めない。。

 ハバロフスク行きの飛行機は定刻より遅れて出発。時間を損するので、着いたらもう朝だった。
 
9月17日(水)

 10時だというのに、ハバロフスクは寒かった。ホテルに運ばれて、日本食もどきを出された後、おそらく間を持たすために予定に入れられた日本人墓地墓参へ。抑留者の墓のお参りとは言っても、ツアーの誰一人親戚が眠っているわけでもなく、天気も良かったので、ロシア人の墓地見学ツアーのような感じ。高級そうな墓地の一角に抑留者の記念碑は立っていた。周囲のロシア人の墓は土葬で、肖像画入りの墓石が多く、なかなか面白かった。

 ハバロフスクから青森まではすぐだった。時差の2時間分でちょうど着く。青森に着いてから、やたら重い荷物(本を買ったのと、パソコンを持っていったのが諸悪の根源)を仕分けし、後は大人しく飛行機を待つ。夜、ようやく伊丹に着き、モノレールを乗り継いで家へ。荷物重かったよう。



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