5月11日(土)

 学会1日目、今日は受付。何が嫌って、内容が内容なことと、気疲れすることだな。ま、それはみんな同じ思いなので、仲良くなれるのが利点かも。
 早く明日終わらんかいな。

 合間に、鍼灸師見習の知合いに肩を揉んでもらった。ああ、腕を楽に動かせるぞ。ついでに、その人を含め、周囲の東洋医学系の人に色々診察される。あちこち触られるツボの一つ一つが、私は悲鳴をあげるほど痛いのだが、どうやら他の人はそうではないらしい(驚)。
 で、やはり虚弱体質だとさんざん言われる。何でも東洋医学では典型的な症状・診察結果らしく、これから私は東洋医学を学ぶ先輩達の実験台にされるらしい(まじかよ)。
 しかし問題は、たとえ典型的な症状であろうとも、治療手段が確立されているわけではないことだな。治るかどうかもわからないのに、1日3回散剤飲むなんて、面倒くさがりの私にできるわけが。

5月12日(日)

 午前中は照明係とウグイス。ほーほけきょ、けきょけけけけっ。内容に関しては、何も言いますまい。来ない演者とかいたしな(頭痛)。
 午後からは雑用&後片付け。終わってくれて幸せです。

 疲れたときはウィリアム・テルとハバ・ナギラを見るに限るな。
 
5月13日(月)

 体が盛大にしんどい。毒気に当てられたか。

 夕方から夜診当直。
 ところで、当直室につきものと言えば、ゴルゴ13。どこへ当直に行こうと、たとえ枕はなくともゴルゴ13は積んであるもの。これは局地的現象か?
 それはともかく、今日の当直室はゴルゴが1冊だけで、代わりにマスターキートンがあったので嬉しかった、と。ただそれだけ。忘れてたよ、考古学者だったこと。

5月14日(火)

 今までで最も埃っぽい当直室だな、と思っていたら、案の定起きたら目が腫れていた。しくしく。

 午後からバイト。眠くて眠くて。

 夜、周りが楽しそうに野球の話をしていたので、いいなあ、私も「お、今日はプルが3番か。1番は誰だ?え、セロフ?」なんて会話がしてみたい、と言ったところ、先輩&同期の子は「ヤグディンがピッチャーだったりするんやろ。んで、地面にキスしたり、ボールにキスしてから投げて三振取ったり」…そ、そういう認識なんすか。

 ABC版の去年のロシア杯のプルを見た。うう、なんかえらい可愛く見えるぞ。髪の長さがちょうどいいせいか、ヒゲが目立たないのも手伝って、最も女の子っぽく見える。これはマーマも大満足に違いない。
 んなことはともかく、最初の4回転を2回転けた後、半ばヤケクソ気味で腕を振り回して滑っているのがなかなかイケている。それにこの時の腰振りの表情が素晴らしい。いつものように口を突き出すだけでなく、目を見開いて流し目。そうだよ、これなら合ってるよ!できるやん、直視できる腰振り!ワンスってこんなに楽しめるプログラムだったっけ?

5月15日(水)

 葵祭トラップにひっかかって、銀行その他に行けず。

 夜は親の愚痴の相手など。ターミナルな重病の叔父のことで話をされたのだが、親は叔父の入院先の病院に不信感を抱いている様子。しかし、話を聞いている限りでは、病院は適切な対応をしているとしか思えない。再入院までの期間も予想通りだったでしょうが。
 親の不満は、叔父とその妻が両親の世話をしていないこと、その状態で叔父が死ぬことを受け入れられないこと、叔父の妻が叔父の面倒を見ていないことによるもので、病院を責めるのはおかど違いというもの。

 今度、医者からの説明を聞きにいくと言うので、気になることは全て医者に聞いてくるようにと念を押しておいた。医者の機嫌を損ねるんじゃないかと質問するのを躊躇う向きもあるようだが、一部にはそんな人もいるかもしれないが、普通はそんなことで機嫌を損ねる医者はいないと思う。だってそれが仕事なんだから。

 忙しいんだから、毎晩寝る前に1時間も電子ピアノで遊ぶのはやめろ>自分。それにしても、私にピアノを習わせた母には感謝しているが、せめてもう少し上手くなるまで練習を強制していてくれれば、今もっと楽しめたのにな(勝手な言い草)。

5月16日(木)

 新しい保健証をもらってきた。ついに国保になっちまったよ。保健証黄色いよー。

 ヤグのインタビューを読み直して、暗い気分に。じゃあ、読み直すなよ…。

5月17日(金)

 ちゃんと寝ているのに、一日中倒れそうなほど眠かった。これはおかしい。ツェツェ蝿だよ。

 昼にオンライン新聞を眺めて、「ああ、やっぱりサッカーの話ばっかりやねえ」と呟いたところ、一斉に部屋中の人が、「え?もう代表発表された?」と色めきたってびびる。す、すいません、私が見ていたのはロシアのスポーツ新聞…。
 そもそも発表されてからも、何がどうなのかさっぱりわからんし>日本代表。

5月18日(土)

 全身倦怠感により一回休み。なぜ今日も眠いんだ…助けて。用事が進まん。

 夕方、髪を切りに行った。今の美容院に変わってから、一定以上伸びるとどうしても切りにいきたくなる(本来の髪の重さに戻るので耐えられなくなるのだ)。担当のお姉さんはこちらの性格を把握したようで、長さだけ指定すると後は勝手に髪型を決めてくれるので楽々。
 久しぶりに結構短くして、パーマ気が消えたのでかけ直し(多方向にはねる癖毛なのでパーマは必須)。しかしなあ、今から思うと、髪長くしてソバージュかけてた時代があったなんて信じられん。

 夜から実験。もうマジで泣きそう。何が悪いの?何??

 よくわかりませんが、n少なそうなので反応します>のださん。女子大ならぬうちでも「女性だからという理由で会長にさせられる」ことはないように思います。
 ちなみに、私が会長にさせられたのは、セミナーに行ってしまったせいが大きいのではないかと。まあそれ以前に、2年間新入部員が入っておらず、1回生が問答無用で会長になっちまうような時だったので、荒波もへったくれもないような気もしますが(笑)。

5月19日(日)

 ということで、今日は大学に行かないことにした。というか、昨日の失敗のせいで行く必要がなくなった…。

 ビデオ流しながら、詐欺師のように京都のよいところについて勉強。

 今日はムーランルージュ(今季プルの旧フリー)の復習。いや確かにね、いいプログラムだと思う。思うけど…結果的にはやはりカルメンに変更して正解だったんだろうな。シーズン最初から滑らなかったのは、どんな理由があったにしろ絶対失敗だったと思うので、それはこの際置いとくとして、あのままムーランルージュを滑っていたらどうかと考えると、どっちみち勝つのは難しかったような気がする。
 エレメンツや振りはこの世のものとも思えないが、その合間に止まっているところが多く、隙がある感じがする。そのせいで、音楽は盛り上がっても、ブツ切れの印象を与える気もするし。これは滑り込めば改善できる点かもしれないが…圧倒的に時間がなかったわけだしな。つまり結論としては(やや飛躍)、このプログラムは、ジェーニャにとっては、滑りこなすのが難しい難易度の高いプログラムだったんじゃないかと(根拠なし)。
 ああ、いつか復活させてくれないかな。くれないだろうな…。

 それと復習して改めて思ったことは、怪我の影響は本当に大きかったんだな、ということ。シーズン中は悪いことは想像したくないので、考えないようにしていたが、これではユーロもワールドも出られなかったのも仕方がない。今となっては、五輪に出られて、あれだけ滑れただけでもよかったよ、と思えてくる。来季はどうか怪我がよくなっていますように。。

 カウンタが55000を廻った。

5月20日(月)

 バタバタと実験して、バイト行って、戻ってきて実験しただけ。こんな生活をしていては駄目だ…。

 スケートサイトを公開して今日で1年。出だしうろたえたり、最近気力が衰えたりしているが、この頃つくづく考えることは、結局覚悟が全くもって足りなかったということ。
 あちらは緊急避難のつもりで作ったので、自らファンページと明記してはいたものの、自分が「ファンサイトの管理人」なんてものであることに(←結構ナゾな響きの言葉)、最近まで全く自覚的ではなかった。

 この頃は、麻弥さんの【ファンサイトの問題(2)】を読んでしみじみ。そう、決して楽なことではないが(いやほんと、これほど戦うものがあるとは)、確かにメリットもある。本当に色々な方と知り合いになれ、「どうしてこんなに有難いのか」としおしおと驚くほど、さまざまな面で助けていただいている。
 それにしても、ここに書かれていることがわかるようになろうとは、『リンクに関するアンケート』時点では想像もつかなかったな…。規模が全く違うとはいえ、何回読んでもここの記述は胸にしみいる。

 この頃は閉鎖するということを深く考えるのも嫌になってきたので、閉鎖したらアンチの人が喜んでくれるだろう、というぐらいに考えて、いつ何時でもやめるつもりで、『できないことまでやろうとせず』、なるべく長く続けていきたいと考えている。←結局、覚悟は身についていない。
 ところで、サイト閉鎖したい病に罹患した発端の主因は、アクセス解析を行ったことだろうな。荒らしかどうか鑑別がつくなど、色々利点はあるが、知の抑制というのも大事だわ。

 だらだら書いてしまったが、やはり日記をあちらのサイトに移すつもりはありませんので、今までどおり、こちらのことはこちらの掲示板で、あちらのことはあちらの掲示板で、よろしくお願いいたします>スケート関係の方々。

 さて、プル君は一応元気でアメリカ旅暮らしをしているようで、めでたいことである。早く終ってロシアに帰れるといいね。


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