3月1日(水)

 仕事の方は、クイントンカテーテルを患者さんに入れる。このカテは太く、入れてる最中に血が怒涛のように出る瞬間があるので、いつもちょっと恐い。
 来週のカンファレンスのために、夕方から英語の論文を読む。英語は割と簡単だが、量が多い。めんどくさいよう。

 家ではこの頃、ダンボールに詰め込んでおいた不要な資料などを半分に削減するべく、選別する作業をやっている。ガラクタの入っているダンボールが多すぎて置く場所がないのだ。ほとんどは、大学時代の試験資料やノートや授業でもらったプリント類。ところがこれが侮れない。働き出してから初めて聞いた、と確信していた最新検査なども、すでに大学時代のプリントに載っていて、詳しい説明が書いてあり、しかも線が引いてあったりする。今から見ればとても勉強になることが他にもいろいろ書いてあるのだが、当時理解していたとは思えない。全然身についてないぞ。これを全部自分で書いたのかと驚くほどたくさんの自筆のノートもあるが、内容はやはり頭に入っていない。ある程度は仕方ないとは思うのだが、もう少し勉強していたらよかったかも。でもそしたら、遊ぶ暇なかったしな(←反省の色がない)。

 寡聞にして知らなかったが、梅原克文氏は今度はクラーク諸悪の根源説を唱えているのね。「人類はこれ以上進化しない」という定説を無視して『幼年期の終わり』をさもあり得る話のように書いたのが、イデア主義の台頭を招いたらしい。大変だ。

3月2日(木)

 今日は午後から救急当番なので、午前中に仕事に片を付けようとしゃかしゃか仕事していたら、1時3分に呼ばれてから5時15分の当直時間帯開始まで、救急室から一歩も出られなかった。ダイセク(大動脈解離)の神がついてしまったのか、先週に引き続きまたしてもダイセクくさい患者が来たり(今度は違った)、ダイセクの既往がある患者が痛いと言って来たり。看護婦さんに「先生の顔を見るとダイセクじゃないかと思う」とまで言われ…。しかも午後からなぜか腰が痛い。

3月3日(金)

 昨日来たダイセクの既往があった患者さんは、ダイセクが進行していたらしい。やはりダイセクの神がついているようだ。

 今日は循環器科の当直。何か来るとしたら、ダイセクだな、と思いながら当直開始。
 循環器病棟は大繁盛であった。20時過ぎに、小児科から全身管理のために循環器病棟に来ている子供のCTをとるということでお手伝い。人工呼吸器がついているし、状態も悪いし、CT室までの移送が大変なのだ。

 騒ぎが落ち着いて、23時ごろからご飯を食べながら、今日の外科当直の麻酔科の先生と控え室で雑談していると、外科当直のベルが鳴る。ICU(集中治療室)からである。点滴の依頼だろ、と話しながら電話をかけにいく麻酔科の先生。と、私のベルもなる。見るとICUからである。これはただ事ではない、と立ち上がると「VTだって」と麻酔科の先生。VTというのは不整脈の1種で、この状態だと心臓はほとんど働いていないので、5分も続けば死んでしまう。二人してICUまでダッシュしながらも、行ったらもう治ってたりして、と希望的観測。しかし、全然治っていなかった。
 すぐにDC(一般に言うところの電気ショック)をかけ、2回でなんとか戻ったが、挿管したり後がいろいろと大変だった。挿管というのは、呼吸状態が悪かったり、全身麻酔をかける時にやることなのだが、これが結構難しい。私など、落ち着いた状況ではやったことがないので(大概救急室で、呼吸状態が急速に悪化している患者さんに無理矢理やる)まともにできない。ところが今回は麻酔科の先生がそばにいるので、じっくり教えてもらった。
 実はICUに入るのは初めてだったので(手術後の患者さんが入るところなので、内科系にはあまり縁がない)、周りをキョトキョト。こんなに広いとは知らなかった。

3月4日(土)

 だいたい落ち着いて、当直室に戻ったのが3時半。寝ようかと思ったら、循環器病棟の看護婦さんが、4時に静脈注射があるのだという。しくしく。
 4時過ぎに注射を済ませて寝ると、7時前に起こされる。救急病棟からで、呼吸状態が急に悪化した患者さんがいる、と。まだ目が開かないまま救急病棟に走ると、この患者さんも挿管が必要なほど状態が悪い。今日の日直が主治医だったので、とりあえず主治医が来るまで応急処置をして、8時半に主治医に引き渡す。
 その後自分の担当患者の仕事を済ませ、普段なら帰るところだが、昨日のVTの患者のことで居残り。当時の状況を知っているのは、当直の麻酔科の先生と私だけなので、とりあえず循環器科の専門の先生が来るまではいよう、と思っていたら、患者さんが昼前に再びVTを起こし大騒ぎ。もともと基礎疾患がある患者さんだったので、いろいろな科の先生が見に来ていたが、循環器科の先生がいないので誰もリーダーシップを取らない。その上今までの状況をすべて知っている人は誰もいない、という状態で、なぜ私が、と思いながら白衣も着ずにIVHを入れたり。もう大変。
 患者さんを循環器病棟に搬送して落ち着いてから、土砂降りの中4時過ぎに家に帰り着く。

 お風呂に入り、ネットに入る。話題の生年表をみて、海野十三が1800年代生まれであることに感動。100年500人ということは、総数が500人に至った段階で締め切られるんだろうか。載せて欲しい人はいるけど……趣味に走ってもいいのだろうか。基準がよくわからないし。
 こたつに入ったらなぜか意識が遠のき、気付いたら21時過ぎ。それでも死ぬほど眠いので、いも虫のようにベッドまで移動。目覚めたら8時半だった。16時間連続睡眠というのは、あまり連続睡眠できない私としては記録的数字だ。そういや30時間くらい水分を1滴も採ってないけど、全然平気なもんだな。

3月5日(日)

 今日は温い。どれくらい温いかというと手袋なしで原付に乗れるくらい。
 午後からずっと頭が痛い。寝過ぎのせいか。紅茶を飲むと直ることが多いのだが、あまりにも痛いので全く動けず、当然紅茶は飲めない。このままでは治らん、と決心してそろそろ紅茶をいれて飲むまで3時間くらいかかった。飲んでから少しましにはなったが、間欠的に痛みが襲ってくる。これは継続的にカフェインを採れということか。
 その間、火曜日の発表のための英語の訳をしたり、『太陽の王と月の妖獣』 の上巻を読み終わったり。『太陽の王と月の妖獣』はとても面白い。SFでもファンタジーでもないとは思うが。こういう宮廷物って大好きなのよね。子供のころ学校の図書館で読み漁った記憶が。『ロンドン塔』(てな題だったと思うのだが)とか面白かった。それと、思いきしキリスト教に刃向かってるところもそそられる。

 田中邸に行こうと思ったが、頭痛のため断念。代わりに電話をして、能力はあるが働かない田中君に仕事をするようにと言って責め立てる。まあ実際に行って見張ってないと働かないとは思うのだが。
 夜ご飯に少なくとも1か月は前に買った納豆を食べようとしたが(もちろん元々腐ってるんだしという考えが頭にあった)。納豆って豆の表面に白いぶつぶつがたくさん出てるものだったっけ。

 DASACONは4月1日なのね。私が無職になる記念すべき初日ではないか。行きたいけど、濃い人達ばかりなんだろうな。こわい。

3月6日(月)

 16時間睡眠のおかげで眠くないので、「アリー・myラブ2」を見ながら英語の訳をだらだら。その後、『太陽の王と月の妖獣』の下巻を読み終わる。ああ面白かった。ごちそうさまでした。同じ女性の願望充足でも『飛翔せよ…』よりはこっちの方が納得できる。最後の方で改変世界ものだよ、って言ってるのがなんか取ってつけたようでよいけど、やっぱりSFだの何だのいう以外のところ(服だの宝石だの髪飾りだの美形の男だの)が素晴らしい。

 今日は4時間しか寝てないけど、昼間も眠くない。恐るべし、16時間睡眠。体重は普段より1kgは減っていた(この頃病棟の廊下に置いてある体重計で体重を計るのが流行っているのだ)。やっぱりまる1日以上ご飯を食べないとやせるのね。一時的なダイエットって簡単だな。
 一昨日のVTの患者さんは、復活していた。めでたい。

 3月の初めにたまたま河原町のあるゲーセンをのぞくと、たれぱんだの雛祭りぬいぐるみのUFOキャッチャーがあった。たしか、お内裏様とお雛様とあとは五人囃子の内の3人の扮装をしたたれぱんだの計5種類だったと思う。お雛様が取りやすそうだったので挑戦したが、3回くらいやって取れずにあきらめた。
 あのたれぱんだぬいぐるみは、3月3日を過ぎたらいったいどうなってしまうのだろう、と気がかりだったので、今日病院の帰りにそのゲーセンによってみた。たれぱんだぬいぐるみがあったUFOキャッチャーには、別のキャラクターのぬいぐるみが置かれていた。店内を見回すと、ルーレットで商品を取る別のゲームに、なんとお内裏様とお雛様と鼓を持った五人囃子の1人の計3匹のたれぱんだぬいぐるみがまとめて1つの商品台に載っているではないか。季節を過ぎた景品はこういう風に使われるのか、と深く感心。
 早速挑戦すると、これがビギナーズラックというものであろうか、最初に4、次に2を出し(2回で5以上を出せばよい)あっさり100円で、3匹のぬいぐるみをゲットしてしまった。嬉しさに顔がゆるみながらも、なんか3匹もかかえていると(かばんに入りきらない)泥棒のようなので、人目を避けて小走りに原付まで戻る。家に帰ると早速たんすの上に飾る(嫁き遅れそうだが)。鼓を持ったたれぱんだの方が、服を着ているお雛様やお内裏様よりでかくてえらそうなのが笑える。

 林さんのところで、ハヤカワの文庫目録落ちを見て愕然。『冷たい方程式』や『愛に時間を』まで落ちているのか。これで『冷たい方程式』は、『たんぽぽ娘』みたいに、「よくベストに出てきて面白いらしいけどその辺では手に入らない作品」になってしまうのね。おいおい。

3月7日(火)

 朝病院へ行くと、患者の一人が急変していた。今日は午後から英語の論文の発表で、仕上げを病院でしようと思っていたのにそれどころではない。おまけに午前中は救急当番だった。12時前に不整脈の患者が来て呼ばれ、一段落ついたのが2時半。それから急いで発表の仕上げをして、何とか3時半からの発表には間に合った。
 5時に発表が終わり、それから急変患者の処置をする。やっと一息ついたと思ったら、今度はMT(患者さんの家族に病状の説明をすること)。ところが患者の家族の物分かりが無茶苦茶悪く、8時半まで延々2時間の長期MT。そりゃまあ受け入れにくいのはわかるけど、それにしてもねえ。その物分かりの悪い家族が、またうちの父親に物言いがそっくりで気が滅入る。やっと終わって、今日新入院の患者さんに挨拶に行くと、患者さんは寝る寸前で枕元の電気も消されていた。それから明日退院の患者さんの紹介状書きに取りかかる。くそぉ、なんで今日に限ってこんなに忙しいんだよ。そういやお昼ご飯食べてないから、またやせれたかも。ダイエットって簡単。

 京大病院で医療ミスによる死亡事故が発覚したらしい。………。

 DASACON3は関東開催になるんじゃないかと心配してたのだが、無事に大阪で開かれるようで。

3月8日(水)

 病院では朝から、昨日の京大病院の医療ミスの話で持ち切り。なぜエタノールのにおいに3日間も気付かなかったのか、というのが、みんなの一致した疑問。場所が近いこともあって関心が高い。全然他人事じゃないし。
 夕ご飯にうどんを食べたら、汁を半分ほどセーターの上にこぼした。協調運動障害でもあるんだろうか。3歳児じゃあるまいに。

 ちらっと田中邸に行く。『SFが読みたい!』が面白くないのは私だけではないことを確認。表紙につられて買ったんだし、資料的価値はあるので別にいいんだけど。
 そこで、SFを読みはじめたばかりの高校生当時の私がこの本を手に取ったとして、果たしてSFをより読むようになっただろうか?と深く考えると、基本的に私は人を疑うことを知らない間抜けな性格なので、きっと年度別ベストの1位から3位まで全部読もう、とか考えたりしたに違いない。そう思うと恐いな。
 でも今気になるのは早川書房の今年の刊行予定。やったあ《知性化》シリーズの最新作が出るんだって、と喜んだのもつかの間。続いて『エンダーのゲーム』の姉妹篇『エンダーズ・シャドー(仮題)』など続々登場と書いてあって現実に引き戻される。ぬか喜びしてはいけない。あくまで予定、今年出るかどうかなどわからない。来年かもしれず3年後かもしれない。待てば待つほど、読んだときの失望が大きくなるので、待ってはいけないのだあ。

3月9日(木)

 この頃、病院で複数の常勤の先生に、「先生いいなあ、あと1か月もたたない内に自由の身かあ。るんるん気分やろ」てなことを言われる。こっちは、仕事は普段と変わらずばたばたしてるし、残務整理(残したサマリを書き上げるとか、書類を出すとか、病院に置いてあるもの持って帰るとか)もしなきゃいけないし、来月からのことも不安だし、とてもるんるんする気分ではないのに。しかし医者になって何年経とうと、ベッドフリー(担当患者を持たないこと)は憧れなのね。悲しい商売だ。

 晩御飯に、切り干し大根と小松菜のおひたしと肉だんごもどきを作る。自分で作るとつい食べ過ぎて眠くなる。

3月10日(金)

 大学で用事があったので、5時15分に病院を出た。まだ明るい。すごい、春は近い。

 森下さんのところで、SFはタブー視されているもの(エログロとか)を書く場としても使われていた、という意見をちらっと読んで、ふと小松左京と筒井康隆ばかり読んでいた中学生の頃を思い出した。
 今から思えば、SFを読みはじめたのは小松左京からということになるのだが、あの当時は自分が読んでるものがSFというものだとは気付いてなかった。そして不思議だった。どうして面白い小説は同時にこんなにエロくてグロいのか。気分が悪くなることも多々あるが、小説とはこういうものなのか。
 「SF」に惹かれていたら、ずぶずぶとエログロに沈んでいったんだろうが、うーん。最初に読んだ作家に問題があったな。しかし、中学生が来る図書室の一番目立つところに小松左京の短編集をずらっと並べているうちの母校もどうかしてるぞ。



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