2月19日(土)

 6時半に起きて、引っ越し準備の仕上げ。9時に不動産屋に鍵を取りに行って、10時に引越し屋さんが来た。引越し屋さんは2人で、何かと親切な人達だった。うちの家には男手がなかったので、引越しのたびに感動するのだが、男の人って力持ちなのね。私には持つことなど到底不可能に思えるなんかすごく重いものをひょいひょい運ぶ人を見ると、もうそれだけで惚れそうになる。この世の中で1番人に感謝される職業というのは、引越し屋さんじゃないだろうかと思う。その引越し屋さんに、こんだけ本棚が多いってことは、つまり本のダンボールが多いってことなんだよな、とか呟かれていて、申し訳ない。

 3時間ちょいで引越しは完了。しかし、新しい下宿は荷物だらけで足の踏み場もない。奥に進むにも道がなく、ダンボールの山を乗り越えやっとという有り様。全く身動きとれない。
 嫌気がさして、『王の眠る丘』を読んだり。
 お風呂に入り、22時過ぎには寝る。

2月20日(日)

 8時半に起きて、とりあえず病院へ。それから前の下宿を不動産屋に引き渡して、午後からは家の片づけ。
 身動きできるようにするためには、ダンボールの箱を減らすしかなく、つまり本を本棚に入れるしかなく、そのためにはまず本棚の配置を決めなければいけない。ということで家具の配置を決め、青背を並べにかかる。問題は並べる途中で思わず読み返してしまうこと。『銀河市民』とか『タンジェント』とか。
 青背は作者名のあいうえお順で並べているので、うちの本棚で1番最初にくるのは『飛翔せよ、閃光の虚空へ!』なのであった。アシモフの前にくるとはふてえ野郎だ、キャサリン・アサロ。
 並べていると、どう思い返しても内容が全く思い出せない本があることに気付く。『プロジェクト・ライフライン』だの『デクストロU接触』だの。いったい本当に読んだのだろうか。
 青背を並べ終わると、あとは大変になってきて、他の本はとりあえず本棚に置くだけにすることにする。

 夜「アリー・myラブ」を見ながら寝てしまう。妊娠して陣痛が起きる夢を見た。おかげで小学校低学年の頃、みんないかに子供を産むということに恐怖心を持っていたかを思い出した。痛いから絶対子供は産まない、とか言ってた友達いたな。

2月21日(月)

 親に頼んで昼間家に来て居てもらい、NTTに電話の配線をしてもらう。全くどうして土日はやってくれないんだよ。
 家に帰って来てみると、花が飾ってあり、炊き込みご飯が炊いてあり、魚やら野菜やらパンやらが置いてある。恐るべし、うちの親。長い間没交渉だったので、こういう人であったことを忘れていた。菜の花だのブロッコリーだの湯がいて置いてあるが、まだ鍋は出していないはず。どうしたんだと思ったら、やかんで湯がいたらしい。さすが。

 今日はパソコンの配置を決め、復帰。
 結局本棚を1つの壁一面に置くことになったので、図書館みたいである。阪神大震災のときに住んでた下宿でもそういう間取りだったが、あの時と違って2部屋あるので、本棚のすぐ横に寝て、地震で揺れた瞬間に飛び起きて布団から飛びすさるということはしなくてもよいが。

2月22日(火)

 こないだ戦争体験を語られた患者さんに、その当時の軍服着てでっかい日本刀持って立っている写真を見せてもらう。実際にあの日本刀使ってたんだろうな。

 夜ご飯に豚汁を作りながら台所用品のダンボールを開ける。食事でも作らないと台所用品を片付ける気にならない。大根と人参とえのきと豚とねぎだけの簡易豚汁。10分もかからなかったけど。
 TA君が復活して、ついに通信可能に。
 流行っているのかどうか知らないが、元素占い。私はウランらしい。気になる悪の森さんは、モリブデンではなく、ニッケルだった。残念。

2月23日(水)

 朝から仕事山積み。しかも午後から救急当番。
 こないだ来たばかりだというのに、またダイセク(大動脈解離)が来た。
 胸痛の患者さんが来て、病歴や病状からみて、思いきりダイセクくさいのだが、この病気はCTをやらないと確定診断しにくい。忙しい夕方にCTをオーダーするのは結構勇気がいる。しかも患者さんにはあまり症状がない。
 CTの技師さんから「先生、何%くらい(の確率でダイセクという自信があるの)や」などと言われつつ、でもダイセクじゃなかったら何の病気なんだよかえって診断に困るぐらいじゃねえか、と密かに思っていたら、こないだなんて目じゃないほど思いっきり(重症の)ダイセクだった。恐ろしい。

 夜は服の整理。しまいこんでいた服をハンガーにかける。1日目は本の整理、2日目にパソコンを復帰して、3日目に台所の整理、4日目に服、というのは、私の人生におけるものの重要度をはっきりあらわしてるな。

2月24日(木)

 眠い。カンファレンスは最初から最後まで熟睡。それでも眠い。
 夜は、本の並べ替え。遅々として進まない。少し読みかけて読み終えていない本がざっと20冊くらい出てくる。困ったものだ。

2月25日(金)

 私は3月一杯で今の病院をやめるのであまり関係ない(少しは関係があるところが恐い)のだが、この頃研修医の間では、4月から研修医たちの誰がどこの科を何ヶ月まわるかというローテーション表の作成熱が吹き荒れている。この表が死ぬ程作成困難なもので、しかもそもそも研修医の人数が足りないかもしれない。3年前、人数の補充がどうしてもできないということで、やめるはずだった研修医を新年度を過ぎても2か月居残らせたことがある。それもやめる1週間前に突然命じられたのだ。だからこのローテーション表が完成しなければ、私が居残らされる可能性だってあるので、実際には関係のない私までローテーション表作りに参加したりして、ちょっと必死。作ること自体はゲームみたいで面白かったりするんだけど。

 明日はSF研の追いコンだが、当直に当たっていて、代わることが可能な人がいないので、参加できない。しくしく。
 会長加藤君から、追いコンの参加表明者リストが送られてきた。リストはSF研在年数で分けられているらしく、私は8らしい。回生ともなんとも打たずに、ただの8。しかし8のくせに5人もいる。

 夜田中邸に電話して、珍しい人が来たら連絡してくれと頼んでいたら、山口さんが来たと連絡があった。山口さんは現10回生相当で新入4回生としてSF研に入ってきた人だ。ちょっと珍しいかも。しかし、今の山口さんって、私がSF研に入った時の志村さんと同じ学年なんだよな。なんだかな。

2月26日(土)

 12時に目が覚め、それから寝床の中で遅れ馳せながら『王の眠る丘』を読み終わる。面白かった。帯の文章を見る限りでは、私が読んで面白いと思う本とはとても思えなかったので(「臆病者は男になる。女戦士は恋をする。」とか)買うのをやめようかと思ったのだが、でも牧野修だしなと思って買ったのは正解だった。御都合主義の展開が気になるものの、貨虫やら奇血鉱やら楽しいものが出てくるし、オチも楽しい。今のところ作品が出るのを待ち望んでいる日本人のSF作家は牧野修だけなんだから、躊躇せずに買うべきだったと反省。
 夕方、遅刻すれすれに病院に到着。今日は救急外来を診る当直。風邪とか腹痛とか小物がぽつぽつ来る。呼ばれて当直室から救急室へ行く道がとても寒い。パジャマ(オペ着だが、こう呼ばれる)に白衣1枚の格好のせいもあるが。

2月27日(日)

 5時過ぎに起こされる。木屋町周辺の飲み屋でバイトしているという若者2人が、風邪薬を欲しいということでバイト帰りに受診してきたのだ。いったいどこが救急なのかという怒りは最早湧いてこないが、診察中若者の1人が、私の白衣のポケットにさしてある、くまのプーさんのペンライトを指し、「プーさん」と幼児のように繰り返し言った時には、「こいつ高熱で頭おかしくなったんだろうか」と一瞬頭が真っ白になった。ちなみにその子は彼女の付き添いつきで受診していた。なんというか、大丈夫か、君たち。
 いつもは、6時過ぎから、早起きのお年寄りたちが起きだして調子が悪くなって受診することが多いのだが、今日は呼ばれず二度寝できたのでちょっと幸せ。

 9時前には病院を出る。12時から、山口さんのリクエストに応じて上野さん(SF研の私の1年上の先輩。でももう3年程会ってない)を呼び出して、京都駅周辺でみんなでご飯を食べる会。参加者はたぶん11人。京都駅に現れた上野さんは、全然変わっていなかった。同じ髪型、同じ指の動き、同じ服。なんか感動もの。
 ご飯の後は、喫茶店を求めてみんなでポルタをぞろぞろ。その統率性のなさはさすがSF研である。東へ帰る山口さんと三浦君を見送った後は、アバンティの本屋へ。マガジンと歴史読本の「天皇 宮家人物総覧」を買う。別に右翼なわけではなく、単に系図が好きなだけである。半分は系図で占められていてとても楽しい。神武天皇の母、玉依姫命の父親は「海童」らしい。一つ賢くなった。

 みんなで帰りに京都駅の百円ケーキ屋でケーキを30個買う。今日は田中君の誕生日。田中邸に帰って、ケーキ1個にろうそくを1本ずつ立て、四捨五入して30才の誕生日をお祝いする。入会して3年程最年少の座をほしいままにしていた田中君もそんな歳か…。
 しおしおも来ていたが、彼女は未成年なのよね。すごい。ちなみにしおしお洗脳計画は(ってまじめに計画立ててないので何を読ませたかよく覚えてないのだが)そろそろ有名所が切れてきて、著しく趣味に走りつつある。「ジェイムスン教授」か『デイワールド』か『プラクティス・エフェクト』か、なんて悩んではいかんよな。

2月28日(月)

 寒い。どうしてこう毎日毎日雪が降るんだ。2月の終わりからあったかくなるんじゃなかったのか、天気予報。もうきれそうだ。奄美大島に移住してやる。

2月29日(火)

 昼過ぎに病院を抜け出し、吹雪のなか大学へ行って、大学院の入学手続きをする。仕事は相変わらず。今日も患者から共産党員の悪口を聞かされる。

 ヒラノマドカさんのとこで、妹尾さんのキャラ萌えの定義「あるキャラクターを、そのキャラクターが本来属する世界から切り離し、ほかの場所に連れていっても楽しめるような、のめりこみかた。」を読んで納得。私は以前から自分のことを「設定萌え」だと思っていたが、どうしてそう思うのか説明できなかったのだ。確かに私はある設定を「その設定が本来属する世界から切り離し、ほかの場所で設定しても」心から楽しめる。ほかの場所で設定することを勝手に夢想してしまう。しかしキャラクターをそうできるかと言えば、あまりできないような気がする。エラリー・クイーンでも法月綸太郎でも(両方作中人物の方)どちらでも同様にキャラに入れ込むことができるというのは、やはりキャラ萌えなのではなく、設定萌えなのだと思う。
 私が萌え萌えになる設定(はっきりと言葉で表現したくないので内容は書かないが)には基本的には非常に明快な定義があると思う。だが、似たような設定でも萌え萌えになるものと、全然駄目なものとあるので、その差異に注目しておれば、いつかはすべてのつぼを突いた設定を作り出すことができるのじゃないか、と密かにたくらんでたりして。

 身の程を考えず、『どすこい(仮)』を買ってしまう。どこに置くんだ、こんな分厚い本。


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