12月11日(月)

 今朝は、空調が復活して研究室の大掃除、の予定だったので、珍しく午前中に全員集合。ところが、施設課が相変わらずどーのこーの言って、結局空調復活は明日に持ち越し。明日とて確実に復活する保障があるわけじゃない。いい加減にしてくれよ。
 早くから集合したのに、実験もできないし手持ち無沙汰。お昼はS先輩製作のシチューを、給食のごとくみんなでぞろぞろ食べる。

 午後からは、プリントの整理などをしていた。実験を詰めてするのはもうあきらめモード。

 で、朝はショートプログラムをほんの一瞬見ただけで大学に行ったので、禁断症状が。ううう…。
 大学から帰るときも、「寒いっ。この冬一番の寒さかも。…しかしロシアはもっと寒いはず」などと思ってしまう自分が悲しい。

 しかしなぜこんなにビデオが見たいのかと考えると、要するにうちの家にあるビデオのプルシェンコの演技にミスがないからだと気付く。もしこれが4回転転んだり3回転すっぽ抜けたりしている演技なら、何度も見るのは悲しいし飽きてもくるだろう。なんか幸せのようなそうでないような(麻薬のようだ)。

12月12日(火)

 昨日の轍を踏まぬため、早起きして演技を3種類見てからバイト先へ。さすがに外来中に禁断症状で苦しむのは避けたい。
 その甲斐あって、無難に外来を終える。今日は無茶苦茶寒かったので、患者数も少なめ。

 大学に帰ってきて、今日こそ本当に大掃除。試薬会社の人が、えらい早い大掃除ですね〜とあきれていたが、それにはカビ事件という深い理由が…。
 大量に研究室の人が動員され、わりと大掛かりな掃除に。見かけもかなりすっきりした。

 夜、私のあまりのうるささに辟易した先輩が、プルシェンコの画像をプリントアウトしてくれた(これを見て大人しくしてろ、俺の実験を邪魔しに来るんじゃねえっ、つうこと)。それを手帳に入れる私……。いかん、これは完全に壊れている。私はいったい何をしているんだ。誰か助けて〜

 今日の教訓:朝ビデオをしっかり見ると、夜まで平静な心で実験ができる。

12月13日(水)

 大学では比較的大人しく実験をしていた。

 この頃どうもイライラしている。本は読めないし、同じサイトを再読み込みしたり、ヒーターをつけたり消したりしてばかり。
 何か間違った世界に足を突っ込みかけている気がする…。

 カウンタが14000をまわった。

12月14日(木)

 朝、大学に行く途中で交通事故。原付で直進中、大学病院の正面ロータリーに右折して入ってくる車に引っ掛けられた。
 双方減速してはいたものの、斜めから追突されて原付大破、私は右脇腹を下に地面に転がり落ちた。しばらくじっとしてから立ち上がると、運転していた女の人が駆け寄ってきて「大丈夫ですか??どうしたらいいですか?言って下さい、どうしたらいいですか?」
 いやどうしたら、と言われても…。私しゃ全身打撲直後だし、聞くのはちょっと待ってくれ…まず事故処理だろうが。

 幸いそこは事故多発地帯なので、警備員さんも車の処理は慣れたもの。しかも病院の正面入り口ということは、救急がすぐそこにあるわけで…。
 いやだなあ、と思いながらも、強制的に救急室に連れて行かれる。救急室に入っていくと、3人の看護婦さんが次々と「えと、事故に遭われた方は、この方ですか?」。いえ、違います、その人は加害者の同乗者です、被害者は私だ(笑)。確かに加害者の姉妹らしいその女の人は動転していたが、それにしてもなあ…。
 そして不幸にも私の嫌な予感は的中し、呼ばれてやってきた整形外科と脳外科の医者2人のうち、1人は私の同級生だった。そ知らぬ振りで診察を受け、そこら中のレントゲンを取りに行く。ここで、右手が全く上がらないことに気付く。あと、両手両足に擦り傷、右膝に巨大皮下血腫。やめてくれよ全く、今日当直なのに。

 撮影後、診察室で同級生(後で知り合いに聞いたら、どこではぐれたのか全く覚えていないのだが、彼は同級ではなく、元同級生らしい。1留1浪(医師国家試験浪人)で2年下。よくある話だ)の問診を受け、そういえば顔見たことありますねえ、と思い出される。幸い右肩が上がらないのは、骨折のためではないことが判明。
 次に脳外科の診察。右頬骨を強打していたので、念のためCTを取りましょう、と言われる。どーせレントゲンじゃよくわかんないんだから、最初っからCT撮れよ、と思っていたのは秘密だ。実は前から頭部CTを撮ってもらいたかったので(慢性副鼻腔炎かどうか確認したかった)ちょっと嬉しい。
 こちらも幸い頬骨に骨折はない模様だった。脳外科の先生はCT写真を見て副鼻腔に出血がないかどうか確認していたわけだが、その間私は必死に副鼻腔に膿がたまっていないかどうか確認していた。これでもう、ちょっと鼻をぐずぐず言わせただけで「お前は慢性副鼻腔炎なんだから手術しなければ」などと親に言われずにすむぞ。子供の時に耳鼻科でそんな診断をされて以来、何度この言葉に怯えたことか。勝った!

 などと勝利に酔っている暇もなく、加害者側とその家族とともに最寄の警察署に出頭。何だかんだと調書を取られた後病院に戻り、物損事故にするか、人身事故にするかで相手方と揉める。いえ、それを決める権利があるのは被害者の私なんですけど…と思いつつも、向こうは3人こっちは1人で何となく言い出しにくく、なぜか人身事故にするように加害者を説得している私。
 そんなこんなで処理が終わると4時過ぎ。おかげで実験はほとんどできず。まあ右手が自力では全く上がらないので(他動的には上がる)実験も禄にできないからいいけど。

 研究室で、最近交通事故に遭った同期の子から、怪我をした場合慰謝料がもらえると聞き、元気を取り戻す。ということは、今日1日の面倒くさい手続き&全身の痛みが現金で報われるのね。
 しかし、当たり屋の存在を知っていながら、慰謝料がもらえるものだということに気付いていなかったとは、かなり間抜けであった。

 6時前に壊れた原付で当直先へ。ここの当直室はトイレ、洗面台はないが、なぜかテレビデオがある。ということでNHK杯ビデオを持参して行ったのだが、ビデオデッキは壊れているようで、画面が大揺れで長時間はとても見ていられない。しくしく。
 全身痛い上に、夜は相変わらず眠れず。

12月15日(金)

 朝起きたら筋肉痛で左腕も上がらなくなっていた。明けて大学へ行き、その後一旦家に戻って身支度&ビデオ。それから整形外来を受診して診断書を書いてもらったりしながら、夕方の研究発表のデータを直前までかかって無理矢理出す。
 研究発表は、予想される突っ込み点をすべて突っ込まれたような感じ。

 S先輩が不要なフレームをくれたので、思わず別の先輩が印刷してくれたプルシェンコの画像を入れて、机に飾ってしまう。これはフレームが余っていたからしたことで、私自身が積極的にした訳ではないんです。ええ、決して。
 しかし明日には誰かにイタズラされていること、ほぼ確定だ。

 腕が自力で挙げられないと、ピペットも使えないし、実験もそうそう進まない。五十肩の人は大変だ。常に「小さく前へならえ」の状態で、それ以上の範囲には腕を動かせない。
 おまけに夜になると痛みがどんどん増加してきて、座っているだけでもあちこち痛いので、早退して家に帰る。当たり前だが、ボクシングの人って試合の後は全身痛いだろうなあ。顔も洗えないだろうし。

12月16日(土)

 眠いのを必死に我慢して4時まで起きておく。それからセーターを2枚重ね、マフラーを2本重ね、靴下を…とあらゆるものを2枚重ねにして、とても人には見せられない姿で、壊れた原付に乗って京都駅へ。
 何をしに行ったかというと、それは勿論フィギュアスケートグランプリファイナルのチケット取り。京都駅にはぴあステーションがあるのだ。
 4時に行ったのは、その時間から並んでいると思ったわけではなく、単に朝早く起きて行くほうが大変だと思ったから。さすがに4時半では誰もいなかったが、7時には3人、8時には4人、それからは続々と後続者が並び、結果的には4時から行っておいて正しかったと思う。
 1番だったのでそれなりの席を取れたが、2番の人は既に私より2列後ろの席だったし、予想以上に厳しいチケット争奪戦。

 同好の士が、電話でのチケット取りに挑んでくれていたが、結局そちらは取れず。家に帰ってから私も電話をかけ続ける(違う種類の席も取りたかったので)と、1時間半後につながり席を取ることができた。が、電話では席の位置が不明なので、ぴあステーションで取った分とどちらがよいのかわからない(何せ初心者なもので…)。うーん。

 帰ってきて寝て起きたら夜。部屋が散らかり放題だが、体を動かすと痛いので片付ける気にならない。

 先輩に借りていた「ムトゥ 踊るマハラジャ」を見終わった。言うまでもなく素晴らしい映画だが、あの後ムトゥとご主人様の関係は?とか、大奥様はどんな気持ちで息子を育ててきたのか?とか、どうでもよいことがとても気になる。インド人でも気になる人はいると思うのだが。
 あの最初の歌「ORUVAN ORUVAN」が気に入って、歌いたいぞと思っていたら(大学に先輩のCDがある)ここに聞き書きの歌詞を発見。でも難しい…。

 我孫子武丸『メビウスの殺人』を読み終わる(なぜ今頃)。前半がたるくて、オチも今となってはちょっと、という感じだが、産婦人科だのピンクのロープだのが出てくるので楽しめる(なにか間違っている…)。←『九尾の猫』が出てくるのだ。

 しお組組長に借りた森奈津子『東京異端者日記』を読み終わる。ホモのすべてが……をするわけではない、というのは知らなかった。勉強になりました。

12月17日(日)

 朝9時に警察から電話がかかってくる。診断書を出せというだけだったが、ご苦労様なことで。
 昼頃に大学へ行ってちょっと実験。それから、雨の中壊れた原付で診断書を 出しに警察へ。軽症だからちょっとしんどいくらいだが、これ重症を負った一人暮らしの人はどうしてるんだろう。

 家に帰って、T邸並に散らかった部屋の片付け。しかし、MOドライブの電源コードが見つからないのでピンチ。MOが使えないと、古いパソコンのデータのバックアップが取れなくて、バックアップが取れないと古いパソコンを実家に引き取ってもらうことができなくて、そうするとパソコンを置いてある場所に本棚を入れることができなくて、目茶苦茶な並びの本棚&あふれた本と資料の整理ができないのだ。ううう。こんな統制の取れていない本棚で年を越したら、きっと貧乏神が来るよう(泣)。

 代わりにビデオの整理など。今年の全日本フィギュアを見直していたら、竹内洋輔選手が気になってきた。ぼろぼろ転んでたけど、ていって感じの滑りで気持ちがよい。
 あと、前々からイリヤ・クリムキンが誰かに似ていると思っていたのだが、それもやっと思い出した。

 夜は久しぶりに切干大根と里芋煮を作る。

12月18日(月)

 今日も8時半前に警察から電話。今度は自賠責の書類を持って来いといわれ、家を探したら見つからなかったので、控えが置いてある原付屋まで壊れた原付に乗って取りに行く。
 原付屋に行ったら、ゴールドのシーズーがいた。修理をしている土間の奥の方にいて、全身オイルのにおいがするが、毛色はきれいで愛想も良く、実に可愛らしい。

 書類を持って警察に廻り、それから家の近くの原付屋に壊れた原付を預けたり、前から欲しかった自転車をこの機会に買ったりする。近くに中古自転車屋ができたと、先日注進に及ばれたことでもあるし。買ったのはその場にあった中で1番安いやつ。この辺では、自転車は泥棒や京都市に取られる可能性が高いので、とても高いものを買う気にはなれない。

 色々済ませて大学に行った時には、もうぐったり。事故の後始末は大変だ。
 お昼はぼたん鍋だった。

 相変わらず細胞の面倒を見るのがしんどい(右腕が挙がらないので、ピペットを使うのが大変なのだ)し、どうも体調不良。ここ2、3日の疲れが出たのか、お歳暮にもらったという上等そうなクッキーの食べすぎか。

 同期の人からMOドライブを借りることができた。これで本棚の整理への第一歩を踏み出したぞ。

 あと、個人的にちょっとショックなことに気付いてしまった。

 #S先輩は本日旅立たれました。

12月19日(火)

 原付がないので、地下鉄でバイト先へ。ごたごたしていて、少し遅刻。
 どうも年末に健診を受けようと思い立つ人が多いらしく、健診&風邪&忘年会の暴飲暴食による胃腸炎の人が多数。休む暇もなかった。

 午後からはのんびり実験。「フローネ一家は最終的にどうやって無人島から脱出したのか」について、数人で議論(?)したり。私の頭の中では「無人島に船がやって来て救出される」だったのだが、同期の子は「無人島に実はアボリジニがいて、その人と一緒に船を作って島を脱出し海上で救出される」と言う。正解はこちらのよう。私は全く記憶違い。しかし同期の子とて微妙に違うような(笑)。

 夜、97年のNHK杯を見直し、やはりイリヤ・クーリックは凄い、と思い直す。スピード感があるし、演技も派手で圧倒される。衣装がキリンであろうと、長野五輪での演技が強張っていようと、やはりゴールド・メダリストなだけのことはある、とちょっと感動。

 オープンされた洋書書評サイト宇宙くじらに行ってみる。楽しみ楽しみ。

12月20日(水)

 だらだら実験していたら夜になった。どうも右肩が痛い&だるい。

 いくら毎日ビデオを見ているとはいえ、人間として『祈りの海』を買いに行く暇くらいはあるのです。まだ読んでないけど。

 #ああそれにしても……。


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