過去の日記を見る
ヨナス・ヴィンゲゴーの記事まとめを見る
2月18日(火)
S君が、私が嫉妬を感じる対象として、「木乃より可愛くて性格が良いと町内で評判のシーズーを3匹飼っている隣人」を捏造してくる。確かに羨ましい。
トランプが自らをナポレオンになぞらえている、という話にロシアに負けるのか…というレスがついてた。
2月17日(月)
ピリピリしている受験生が、いきなり「お母様って私が受かると思ってるよね?」と言ってきた。「うん」と言ったものの、ちょっと遅れたかなと思い、「思ってるよ」と付け足したら「2回言わないでくれる?」と言われた。難しい。
ウォルダー『脱線した革命』を読み終わった。毛沢東の話で、中国共産党がいかに幹部を批判させる党だったかとか、フルシチョフのスターリン批判が社会主義諸国にいかに衝撃を与えたか(モスクワの病院に肺炎で入院していたポーランドの書記長ビェルトは、スターリン批判を聞いて心臓発作で死んだらしい)、大躍進で多大な死者が出たのは政治的意図が原因なども語られるが、なんといっても文化大革命の混乱っぷりの解説が凄い。
文革は大学生から始まり、周恩来が紅衛兵の暴力を抑えようと別グループを結成させる一方、毛沢東は偉いさん相手に暴力行為を働いた紅衛兵を称賛。大学生が派閥に分かれて何が何だか分からなくなると、毛沢東は今度は労働者を投入。しかし労働者があちこちで賃上げ要求やストをはじめて国中大混乱になったため、抑えるために軍を動員。造反派に武器を与えたりもしたため、各地で死者が激増、軍政下に置かれた地方も出てくる。北京の大学では二派が武器を使って陣地争いをし、捕虜を拷問したりしたので、毛沢東語録のみで武装した三万人を突撃させて抗争を止めたとか。
結局、事態を収拾するために紅衛兵は下放され、教員は再教育キャンプに送られ、高校から直接大学には行けなくなり(高校生は卒業したらすぐ下放)大学に行く人は職場から政治的評価のみで選ばれるように。しかし、文革はこれからが本番、文革による死者の半数以上はこの後、権力を掌握した革命委員会(各派の寄せ集めなので相互不信が強いのと、やらなければ自分がやられることを知っている)による粛清で生じたのだった。その後も相争う派閥が復権したり粛清されたりを繰り返し、中国の発展は大幅に遅れる。専門知識や科学教育を嫌い続けた毛沢東だが、口絵の若い頃の写真はその辺にいるおっさんで、テカテカの肖像画を見慣れた身にはなかなか衝撃的。
2月16日(日)
午後過ぎまで家から出られないデー。
もぐがオンライン部活(読み合わせ)をやっていたが、かなりうるさい。
受験生が紅茶を淹れてくれた。
私「娘に紅茶を淹れてもらうのが夢なんだよね」
いかなご「安い夢だな」
そうでもないぞ。まず娘を産んで、育ててだな。
2月15日(土)
木曜日の外来が多過ぎて肩が硬くなっていたところに、今日下を向いて生地を数時間切ったら、覿面に頸を痛めた。しばらく前から右腰も痛いので三重苦。
そういえば、いかなごの卒業式の時に、同じく卒業式に来ていた私の同級生と少し喋ったが、娘の受験先について愚痴ると「昔から悲観的だったもんね」、息子の部活について話すと「誰に似たん?」と言われて面白かった。
2月14日(金)
R.I.P.英明父さん。
ヴァレンタインはセリアの今年の新製品の型で、チョコプリン作った。どうしても端の方が綺麗に抜けないが、出土物系なので御愛嬌ってことで。ピラミッド&お棺チョコプリンをもらった中2男子は喜んでくれた。
2月13日(木)
そうそう、男の赤子って硬いよね。男女差凄過ぎ。
サイクス『イヴの七人の娘たち』を読み終わった。ベストセラーになっただけのことはあって、説明はなるべく省いて(翻訳でさらに簡略化したらしいが)超分かりやすくしているのが凄い。バスク人がRH−が多いとか、人類学者はポリネシア人の起源はアジアだと考えていたので、南アメリカ起源説を唱えたヘイエルダール(&コンティキ号)に憎悪の念を抱いていたとか、ヨーロッパ人のうち、中東から後から来た人は20〜25%とか、氷河期が緩んでカナダの内陸湖の水が海に注いだ時に一晩で50cm水位が上がったと考えられている(大洪水伝説の元かも)、というのが面白かった。
2月12日(水)
いかなごの卒業式に行った。校長達お偉方のお話が超絶くだらなくて(後援会長さんの話だけが唯一意味通ってた)長時間立たされてた卒業生からは複数倒れる人が出て、最後までさすがという感じだった。これが我が母校で、これでも以前よりはかなりマシなことを知っていなければ(なんせ私の時は国立二次の前日に卒業式やったからな)キレるでほんま。私の前に座っていたお母さんは、スマホでずっと韓国ドラマ→ライン→最終的には服を物色していた。ちなみにいかなごは立ったまま寝ていて、周囲の子に倒れないか見守られ、別室で卒業式を見ていたS君は爆睡していたらしい。
その後はクラスでホームルーム(推薦の話ばかりするという、イケてない担任を初めて見た。いかなごが卒業証書を筒に収めるのに苦労していて、大丈夫かこの子、と思ったが、周りの同級生達もオール苦労していた)→いかなごが部活の後輩達に挨拶に行くのを見物(というか、寒過ぎたので、暖房効いた教室内に入れてもらった)→校門周囲で写真撮って帰宅。もう学校来ない人は、靴箱のそばの箱に上靴入れて帰っていいです、という素晴らしいアナウンスがあり、いかなごも捨てて帰ったが、段ボール箱に上靴が山積みになっていて、靴フェチの人が見たら喜びそうだと思った。
1年分の愛を仕込んだ。材料をコレモ(この辺では品質が悪いことで有名なスーパー)で買ったので気が引けた。チョコレート、倍ぐらいに値上がりしてるね。
2月11日(火)
腹痛と眠気で一回休み。
2月10日(月)
連休に挟まれた日ってほんと最悪。
うちのJKがKKKを知らないと言い出した。何度か説明したと思うのだが…嘆かわしい。
2月9日(日)
ローザンヌ見た。スタイル凄過ぎな韓国の男の子が1位で、物凄い足の長さの男の子が2位で、小さいけど踊りの能力高過ぎな日本の男の子が3位&観客賞だった。あと、クラシックはなんか間違えた感じだったけど、コンテが凄かった男の子がウェブ観客賞とコンテ賞獲ってた。女の子もみんな上手だった。
もぐの部活の発表見てきた。今回は人がたくさん出てた。女の子の方が多くて男役の子もいるのに、女装した男子が一人いてナゾだったが、後でもぐに聞いたら、一週間前に飛んだ子の代役だったんだって。大変だな。
公地公民は失敗した土地改革だという知見を得た。当たり前か。
2月8日(土)
玄関先に雪を見に行ったいかなごが私のブーツを履いて出た(怒)。「ブーツに雪ついたら濡れるでしょ!」と言いながら、私はS君の靴履いて出た。
もぐは昨夜、部活後に吹雪の中ラーメン食べに行って、朝からしんどいとコタツでうだうだしていたが、一部電車の遅延もあって、結局休校になってた。運のいいヤツ。
すぐに休校の判断して流すところが、もぐの学校は優秀なんだよな(すぐ休む感はあるが)。いかなごの学校(&我が母校)なら、土曜日だろうが、そこら中で電車遅延していようが、うんともすんとも言ってこない。
雪でテンション上がるいかなごは、過去問演習を明日に廻して、昼に雪だるまと雪うさぎ作ってた。
今までと変わらなかった、興味を持たれなかった、百点満点、凄いぞ日本政府、とみんな安堵してるのが凄い>日米首脳会談。無礼でリアクション薄くてみっともないのも、押しが強くて良いと言われてるのも凄い。
2月7日(金)
え、リアル紅衛兵、何なん>「(16〜24歳を対象の)面接官は候補者を決める採点には関与せず、面接に同席して議論の盛り上げる役割を担う」。
2月6日(木)
ハゲワシライブにハマってるんだけど、時差の関係で明るい時間が少なくて哀しい。凄い高所の巣で、常時数千人に見られるの凄いな、と思ってたら、卵抱いてた。だから中継してるのか。
自分で決められるわけではない売上で個人の業績評価し始めたら、ロクでもない病院まっしぐらだと思う。絶対ギスギスするもの。
2月5日(水)
地域枠の倍率、高過ぎじゃない?みんな地域枠の意味、分かってる??と思い、検索してみたら、こんなん出てきた。子供相手に酷くない?
CIA職員全員早期退職勧告とか、毎日毎日凄い発表ばかりだけど、破壊されたアメリカは本当に中南米みたくなって、何十年も内戦したりするのかもねえ…。
井川『このインドシナ:虐殺・難民・戦争』を読み終わった。ベトナム戦争後のインドシナのあれこれを語った本。色々偏ってそうではあったが、インドシナ難民には、農村を破壊されたために南ベトナムの都市に集まってきてアメリカの援助で暮らしていた貧民や、戦争の好景気で集まってきていた華僑もいるとか、人は芸者とか南ベトナム人とか悲劇的な主人公が好きで、そういう人々が幸せになったらキライになるとか、ベトナムがカンボジアに侵攻した原因は、実質中国がポル・ポト政権を通じてベトナムに代理戦争を仕掛けたこと、というのはなるほど、という感じ。あと、ベトナム共産党は特殊で、1930年代には世界最大のトロツキスト組織があったらしい。
2月4日(火)
手作りの餃子の皮のもとが余ったと、S君が鍋に入れたが、固いちくわぶみたいで大層美味。
シービンガー『奴隷たちの秘密の薬』を読み終わった。大西洋奴隷貿易中に、知識がどのように伝わったのか、伝わらなかったのかを廻りくどく語った本。西インドに連れて来られたアフリカ人の薬物知識は、アフリカ由来なのか、アメリカ先住民由来なのか、西インドを支配していたフランス人由来なのか、その後支配したイギリス人由来なのかって、結局記載が少過ぎて特定できないし、その薬物が有効なものかも分からないし、だから何なんだ、という感じだったが、S君によれば大事なことかどうかはどうでもいいらしい。そもそも身一つで地元から連れ去り、言葉が通じない同士でまとめておいて、知識って言われても、とも思う。
黒人の皮膚色の理由を研究していたとか、医学実験は基本死刑囚にするものだったとか、発熱してる人に冷水浴びせるのが人体実験として行われていたとか、効果判定適当過ぎとか、フランベジアは基本黒人の病気とされていたので、感染した白人男性は恥扱いだったとか、1845年に膀胱腟瘻のオペしていたとかは興味深かった。あと、ちらっと書かれていた無知学という考え方は面白そう。
2月3日(月)
ザッハトルテって、ホテル・ザッハーで供されるザッハーさんが創り出したチョコレートケーキで、表面にザッハーって書いてあるらしい。
2月2日(日)
部活帰りのもぐを待って、昼に家族で王将行ったら、もぐ、中華丼とこってりラーメンを完食していた。
西南西を見て無言で海苔巻きを食し(人類って、意味ないと分かってる風習でも律儀に守るよなあ、と我ながら感心しながら)、鬼(のお面をかぶって玄関から入って来るS君)に豆(うちの父親が突然送りつけてきた乾燥納豆。不味い)を投げつけ、歳の数(だと大変なので、一の位と十の位を足した数)の炒り豆を食べた(木乃にも1つあげたら目を輝かせていた)。うちの家って、すごく風習に忠実な気がする。
2月1日(土)
カナダ、琵琶湖の水止めたろか、するのか?
池森『ニューヨークのミステコ族』を読み終わった。1990年代から911の後ぐらいのニューヨークで、不法入国して働くメキシコの少数民族のレポ。著者はミステコ族の村にも行き、教育はほぼゼロ、上下水道なしの村から、若者がニューヨークに行き、最低賃金より低い時給で長時間労働することにより、村に残る家族全員が飢えずに、テレビやビデオを手に入れ、村に立派な教会が立つ状況をレポートする。
教育を受けていないため、先のことはあまり考えられず、村や民族固有の文化というものもなく、酒に溺れる若者もでたりするようだが、出稼ぎ以前の飢える生活よりはいいんだろうなあ。野生のかぼちゃはそのままスープに、野生の食用ホオズキはサルサにすると決まっている、というのが面白かった。今もアメリカの大都市にいるであろうこういう人々が、トランプに国に帰されるのか。
1月31日(金)
バトン爺亡くなったか。菅原さんも亡くなられたとは。
夜カレーうどん食べたら、それから2時間以上記憶がない。
1月30日(木)
あまりに処置が多過ぎて、ここは外科か?と看護師さんに言われた(しくしく。
60年以上前の悲劇が繰り返されるとは…。シシコワ&ナウモフって、ヴェリコワさんのところのペアだったのね。
1月29日(水)
小林『中共革命根拠地ドキュメント』を読み終わった。共産主義にシンパシーを持ち(「ロシア革命のモスクワ、パリ・コミューンのパリ、そして瑞金、光り輝く革命の都」)スターリンが何をしたか知っていながら金日成に好意を持っていたという著者が、国共合作が崩れた後の中国共産党の革命根拠地時代に粛清の嵐が吹き荒れていたことを知り、中国側の資料を基に、どこで誰がどれだけ粛清されたかを詳しくまとめた書。
もともと農民運動という形であちこちで暴動が起きていたところに、水滸伝の英雄的な地元の共産主義革命英雄が出現。一方で、ソ連に留学した中国人学生達は、トロツキー派の粛清を目の当たりにする(中国人留学生が赤の広場でスターリン打倒トロツキー擁護のスローガンを掲げて上層部をビビらせたらしい)。1930年代はじめに、モスクワ帰りの党員が地方に送られ、あちこちでスターリン式粛清を見せつけて、大量に地元幹部(ほぼ全滅のところも)や人民(反抗すると住民ごと皆殺し)を殺しまくった、という経緯らしい。
ちなみにモスクワ留学には行っていない毛沢東は、この粛清の嵐の前に独自で粛清を行い(富田事変)、これが党中央から推奨されたというのも一因になったようだが、毛沢東以外の党員達もせっせと初期から粛清していた、というのはなかなか衝撃。
毛沢東は革命根拠地時代から独裁主義で、誰が敵で誰が味方か分からないようにして、混沌の中で味方の中の敵を襲う、というのが常套手段。平行して土地改革(大地主を殺すか追放して財産を奪い軍資金にしたものの、兵を養う資金が足らず、次に富農から奪った)もやっていた。革命根拠地が客家(ユダヤ人みたいな一派)が多い場所ばかりだったのも、粛清が起きやすかった一因じゃないかと著者は述べている。
富田事変やAB団粛清については、胡耀邦が寛容だったこともあり、1980年代から犠牲者の名誉回復運動が起こり、2000年に発表された論文で実情が詳しく明らかにされたのだとか(ただし、毛沢東の名前はなるべく出さないようにしている)。
共産党は中国で多発した邪教(白蓮教とか拝上帝会とか)に似ている、「うらみ、つらみ、そねみ等の復讐心、暴力崇拝の精神が共産党によって聖なる暴力に価値転換された」というのも分かりやすい。
あと、最後の事項索引が凄い。「は…一00人を誤って殺しても、一人のAB団を逃がさない」「や…容赦のない公開処刑」「ら…劉士奇の独裁者ぶり」。
(97)「自分がツール・ド・フランスで2年連続優勝したと理解するのはまだ困難です」
「5年前に誰かにそんなことを言われても、信じられなかったですし、間違いなく信じませんでした」
「昨年は自分を信じる信念を持っていましたが、今年のツールでは、その信念が試されました。僕たちにとっては、厳しい戦いでした。ポガチャルに次々とタイムを奪われた時期もありました」
ジュニア選手として特に成功していないヴィンゲゴーは、市庁舎で子供たち向けにもメッセージを伝えた。
「自分自身を信じ続けなければなりません」
7月27日、地元グリンゴールで祝賀会が開かれ、26000人が集まった。帰る前にヴィンゲゴーは、後片づけをしていた警備員達のもとに行き、成功の陰で働いていた人々に感謝し、一緒に写真を撮った。
警備会社のマネージャー、セガードさん「素晴らしい経験でした。こんなことが起きるとは思っていませんでした」
1月28日(火)
土曜日のもぐ。学校→部活→大阪まで一人で演劇見に行って、帰宅23時過ぎ。
日曜日のもぐ。朝7時前に家を出て、演劇部の合同練習。
月曜日のもぐ。学校→ナゾのダンス講習。帰宅21時過ぎ。
今日のもぐ。学校で実力テスト→部活→塾。
活動的過ぎるやろ。誰に似たんだ、この子。
母は一定時間寒風にさらされると、活動停止して寒いしか言わない動かないイキモノになる。
(96)ツール・ド・フランスのメインスポンサー、シュコダ社のデンマーク支社ディレクター、トーマス・ブルーン
「2年連続で、ヨナスは私たちに決して忘れられない経験を与えてくれました。当然のことながら、彼はデンマークで祝福されるに値します。20回目の誇り高いスポンサーとして、私たちはもちろんヨナスのためにさらに努力します」
シュコダ社はヴィンゲゴーを専用機に乗せてデンマークに送り、その後特別車でコペンハーゲン市庁舎まで運んだ。
ツール・ド・フランスの記者会見で「(ツール後に)ドゥルムを食べる」と言ったため、ヴィンゲゴーは空港でデンマーク国営放送TV2から、市庁舎ではコペンハーゲン市長からもドゥルムを渡されるはめになった。
1月27日(月)
なんというか…疲れてる状態でバックフリップやるのはやめた方が…。
いかなごが「ひとりかくれんぼ」なる遊びの話をはじめて、両親が知らないことに衝撃を受けていた。テレビの砂嵐を表現するために、スマホからyoutubeの砂嵐の動画を流すんだって。
へえ、フジテレビの遠藤氏って、遠藤周作の息子なんだ。
(95)第17ステージ終了後、ワウト・ファン・アールトは第2子の出産に立ち会うため、ツールをリタイアした。7月23日、ユンボ・ヴィスマの選手達がチーム賞の表彰台に上がった時、ヴィンゲゴーはファン・アールトの背番号6のゼッケンを手にしていた。
「彼がいなければ僕たちは何もできませんが、彼なしで続けなければなりませんでした」
キャンピングカーでフランスを廻り、ツールを観戦していたヴィンゲゴーの両親は、息子がシャンゼリゼ通りの表彰台の頂点に立つ姿をこの年初めて見た。
ツール終了翌日、ヴィンゲゴーはベルギーのファン・アールトのもとを訪れた。
「ワウトに会って、すぐに様子を聞くことができて、とても嬉しかったです。子供が生まれたばかりだったので、どうだったか聞きたかったのです」小さな黄色いジャージをプレゼントしたヴィンゲゴーはこう語った。
1月26日(日)
特に誰も応援していない巴戦って、身体にいいな(はるか昔の苦しい思い出が)。豊昇龍、強い&叔父に似てる。王鵬がやる気なさそうな顔なのも面白い。
コルバン『人喰いの村』を読み終わった。19世紀フランスの田舎の村で、市にやって来た貴族の青年が突然村人達に暴行されて焼かれた事件の背景をつらつらと書いた本。フランスの農民は、貴族と司祭と共和制が敵で、基本的に皇帝支持っぽい。フランス革命で散々野蛮なことが横行していたが(緊張を和らげ、苦難の時期の後で集団の調和を回復することも虐殺の機能)、19世紀に入ると、虐殺の際に作動する理解できない盲目的な諸力を解放することは許容し難いこと、淫らなことになった、らしい。
(94)ユンボ・ヴィスマの密着本を書いたオランダ人ジャーナリスト、ナンド・ボアースは、ヴィンゲゴーは厳しい言葉を使ったり、腕を振ったりすることなく、チームメンバーの尊敬を勝ち取ったと述べた。
「ヨナスが無線やチームメイトに向かって叫んだり、傲慢な態度をとったりするのは聞いたことがありません。彼は彼らを信頼しており、彼らもヨナスを信頼しています。しかし、明らかにヨナスは、自分が何を望んでいるのかを分かっています」
「レース中のチームとのコミュニケーションから、ヨナスが大きな自信を持っていることは明らかです。その自信が、チームメイトと話す時の助けになっています。ヨナスは自分ができること、そして勝つためには彼らの助けが必要であることを分かっています」
「もちろん、一番大事なことは、ヨナスが優れたアスリートであることです。つまり、能力があると同時に、より良くなりたいという強い意欲も持っています。ヨナスは信じられないほど勉強熱心です。それがおそらく最も重要なことだと思います」
「ヨナスは自分に厳しく、自分に大きな信頼を寄せています。それは見せて回るようなものではないかもしれませんが、ツール・ド・フランスで優勝できるだけの実力があることを分かっています」
1月25日(土)
セバレンジ『ルワンダ・ジェノサイド生存者の証言』を読み終わった。生まれてすぐの1960年代と1973年のツチ虐殺を生き延びた著者は(近所の人がいきなり襲ってくるが、突然終了のお知らせが流れて、元の生活に戻るのが怖過ぎる)、家族でただ一人コンゴに送られて教育を受け、一旦ルワンダに戻るが、1994年の虐殺の直前に国外に逃れ、生き残る(家族はほぼ殺害される)。
その後、野党の政治家になり(軍がすべてツチに押さえられ、立場が逆転してフツが恐怖を感じるようになる)、国会議長になり、RPFのカガメが徐々に独裁を強める様子が描かれるのだが、これが非常に恐い。60年代の虐殺で難民となり、ウガンダの情報機関のトップからRPFのリーダーになったカガメは、表面上は人当たりが良いが、自分の独裁を邪魔する人は次々と粛清していく。まさにプーチンそのもの。自分がパージされるという噂が流れ、周囲の人ははっきり言わず、カガメに確認したらそんなことないよ、と言われるが…最後に愛想の良いカガメの顔が突然変わる話とか、多くの亡命者を出しているカガメ独裁の詳しい話は少ないので貴重。
ギリギリで暗殺を逃れ、アメリカで生活している著者もやはりガチャチャには批判的で、法の支配、民主主義、赦し、和解、カウンセリングの重要性を語る。ツチとフツの割合に差があり過ぎるので、どのみち民主主義への移行は難しそうだし、カガメが死んだら何か起こりそうなところがまた恐い。
それはそうと、あとがきにISISに殺された後藤さんの母、石堂順子さんの発言が引用されているのが…引っかかるところが「憎悪の連鎖となってはならない」なのか。
(93)優勝記者会見で、今年完璧だったのは、完璧な準備のおかげだ、とヴィンゲゴーは述べた。
「昨年は春に多くの怪我や病気に見舞われましたが、今年はそれがありませんでした」
「僕は成長し、どんどん良くなっています。突然20%向上したわけではありません。少しだけです」
「僕が結果を出し始めたのは2年前からです。以前は悪い選手ではありませんでしたが、プレッシャーに対処する方法を分かっていませんでした。実のところ、そのほとんどは、自分が自分に課したプレッシャーでした」
「対処法を学ぶと、その瞬間から勝ちはじめ、表彰台に立つようになりました。すべてにおいて、より自信を持つようになりました」
「チームとしても、もっと自信を持つようになりました。僕達は自分達の強みをよく知っており、それを最大限に活かす方法を知っています」
1月24日(金)
ACジャパンのCMが見たくて関テレをつけた我が家。CMまだかなあ、と待ち望み、おおおこれが噂の決めつけデカか、なかやまきんに君か、と満足した。
(92)7月22日、最後の山岳ステージとなる第20ステージは、復活したポガチャルが最後のスプリントでステージを制したが、タイム差はつかず、ヴィンゲゴーは2年連続の総合優勝を決めた。
このステージでは、ヴォージュ山でユンボ・ヴィスマのチームカーが、ティボー・ピノ(グルパマ・FDJ所属)のファンに包囲され、ブーイングを受ける、という事件が起きた。ジェネラルマネージャー、リチャード・プルッへの発言が原因だった。
ありきたりの定型解答しかしないと評判が悪く、「この面倒なことがどれだけ嫌いなのかを正確に説明してもらいたくなる」と記者に言わしめた毎日のマイヨ・ジョーヌ記者会見で、この日ヴィンゲゴーは「ツールの後は何をするつもりか」という質問に、笑みをこぼしながら「ドゥルムを食べる」と答えた。
ドゥルムとは、ケバブ肉と野菜をトルティーヤで巻いたトルコ料理である。
また、ヴィンゲゴーはデンマークのフレデリク皇太子から電話がかかってきたことも明かした。
「妻のトリーネに電話をかけて、ツールで2連覇したのは感動的だと言ってくれました。とても喜んでいました」
1月23日(木)
疲れた。毎日歳の数以上外来来るのやめて欲しい。
(91)リチャード・プルッへは「17日の休息日に、フランスチームと同じホテルに宿泊しましたが、ビールを飲んでいる選手を見ました」とも語り、グルパマ・FDJの名物監督マーク・マディオを激怒させた。
マーク・マディオ「非常に卑劣な攻撃だ。黙ってろ。私は彼のレベルに身を落とすつもりはない。情けない」
これはメディアのドーピング疑惑をそらすためにプルッへが起こした騒動だと言われている。
ヴィンゲゴーとポガチャルの関係について「ツアーのタイトルを賭けた死闘を戦っているとき以外は、かなり良好な関係を保っているが、友人関係には発展していない」と報じられた。
本人「同じチームにいたら間違いなく友達になれると思います。タデイはとても良い人です」
「プライベートで友達なわけではありませんが、時々お互いに話はします」
1月22日(水)
ポガチャル母インタビュー、ポガチャルの兄弟が僕なんて…と言い出すのを、あなたも同じように素晴らしい、と言ってるって、4人もいると大変そうやな。
77羽殺害って怖過ぎ。あの写真家の人が捕まえてくれたらしい。
(90)監督グリーシャ・ニアマンは、ヴィンゲゴーが禁止薬物を摂取していなことを保証できるか、と質問された。
「私は医者ではありませんし、ヨナスでもありませんが、彼は許可されていないものは摂取していない、と10万回も言っています。そのことには100%責任を負います」
「ヨナスは3日間で10回も検査を受けました」
7月19日の朝、第17ステージの前に、ヴィンゲゴーとポガチャルのチームは検査官の訪問を受けていた。両チームの選手は血液検査を受けた。
ユンボ・ヴィスマのジェネラルマネージャー、リチャード・プルッへは、チームは喜んで従ったと語った。
「このことで、我々はドーピングとの戦いに新たな一歩を踏み出しています。ヨナスは過去48時間に4回も血液検査を受けました」
1月21日(火)
WHO脱退ねえ…。
いかなご「よその家では、親が急に歌い出したり、合いの手入れたりはしないらしいよ」
そうかな。
(89)一方、前日のヴィンゲゴーのタイムトライアルは、新たな騒ぎを引き起こしていた。7月19日のフランスのスポーツ紙レキップは1面に「D'une autre planete」(別の惑星から来た人)という見出しを掲げた。この言葉は1999年のツール・ド・フランスでランス・アームストロングに使われたのと同じセリフだった。「彼はどうやって成し遂げたのか」と疑問を呈した新聞もあった。
記者会見でヴィンゲゴーは、ドーピング疑惑を払拭するために何を言えばよいかと尋ねられた。
「これ以上何を言えばいいのか分かりません」「過去の経験から、サイクリングを信頼するのが難しいことは理解していますが、今は20年前とは違います」「心の底から断言しますが、僕は何も摂取していません」
「僕は娘にあげられないものは摂取しません。そして僕は娘に薬物は与えません」
1月20日(月)
財布を忘れて、初スマホ電子決済。ちなみに、買ったものは4号帆布30cm。
帰宅後、おやつにビール飲んで、「食べなくていいし、カロリーも取れるし、甘くないし、ビールいいかも」と言ったら、アル中への道、とS君に言われた。
(88)フランス・マーセンとグリーシャ・ニアマンは笑顔を見せた。「不運がなければ、ヨナスは優勝するでしょう」
「この日は、ルートが発表された時、私たちが目標としていた日でした。でも、こうなるとは予想していませんでした」
ステージ5位のダヴィド・ゴデュ(グルパマ・FDJ所属)
「彼は最強でした。間違いなく2回目のツール・ド・フランスチャンピオンになるでしょう」
地に足をつけていたのは、ヴィンゲゴー自身だけだった。
「いいえ、まだ勝ったとは言えません。ホッとしています。7分差は素晴らしいですが、まだパリには着いていません。落車やバッド・デイの可能性があります。まだ難しいステージが残っているので、全力で頑張ります」
「タデイは残り3ステージで何かを試みるでしょう。彼は決して諦めない。それに応える準備はできています」
「タデイと僕はずっと戦ってきました。もちろん、彼があんな風に倒れたのは、クールではないですが、僕たちは自分たちのことだけを考えているので、もう1日イエロー・ジャージを着続けることができて満足しています」
1月19日(日)
いかなご共通テスト。両親の結論→浪人するなら、来年はドイツ語やる方がいい。
(87)翌7月19日、獲得標高5000mを越えるクイーンステージの第17ステージ。最後の超級ロズ峠に入ると、ポガチャルが崩れた。この年、チーム無線の一部が放送されるようになり、ここでポガチャルが無線で話した“I'm gone, I'm dead”は有名になった。ヴィンゲゴーはアシストの牽引を次々に乗り継いで4位でゴールし、ポガチャルとの差を7分35秒まで拡大した。
ロズ峠の狭い道で、ケルデルマンに牽引されたヴィンゲゴーは、熱狂したファンの群れとバイクと車に囲まれ、進めなくなった。バイクが17パーセントの勾配でエンストし、バイクに阻まれて車がコーナーを曲がれなくなったためだった。
「何が起こったのか正確には分かりません。しばらく立ち止まらなければなりませんでしたが、ウィルコと僕は、幸い乗り越えることができました」
1月18日(土)
いかなごが共通テスト、もぐが部活の発表を見に行ったのをいいことに、S君とパフェ食べに行った。甘かった。
もぐが、共通テストで大変そうだから、といかなごにお菓子を買ってきてあげていた。優しい。ボンタンアメとココアシガレットとヤングドーナツと甘栗むいちゃいましたが入ってた。
フィンケルスタイン『ホロコースト産業』を読み終わった。両親共にホロコースト生還者の著者が、それまで見向きもせず、アイヒマン拉致を批判していたアメリカが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルが勝った途端、イスラエル支持に変わったこと、アメリカではホロコーストが南北戦争より有名なこと、1990年代にアメリカのユダヤ人組織が突如ホロコースト補償を求めはじめ、スイスの銀行を強請って、それほど多いとは思えない二次大戦当時のユダヤ人の口座額より相当多い金額をせしめ(アメリカやイスラエルの銀行は払っていないのに)、しかもホロコースト被害者には分配せず、組織の企画などに使ったことなどを語っている。
確かに、以前からなぜあんなにアメリカにはホロコースト記念館があるのか、というのはナゾだったし(ワシントンのホロコースト博物館は、予算の6割を連邦政府が出してるらしい)、この本に書かれているエリ・ヴィーゼルの発言(「われわれはすべてにおいて違う」「ユダヤ人は存在論的に例外的」)はヤバ過ぎてドン引きだが(ユダヤ人は優れているから、非合理に嫌われ、ホロコーストは唯一無二だという例のやつ)、実際の被害者には金を渡さず、ナゾの組織が中抜きしまくるとか、でっち上げホロコースト文学・被害者が多発するとかは、それこそユダヤ人だけでなく、どこの国でもよくあることだし、著者が攻撃的過ぎて、ちょっとまともには読めないレベル。ゴールドハーゲンはともかく、リップシュタットまでボロクソなのは、さすがにどうかと思った。
まあでも、イスラエルとトルコが同盟国だから、アルメニア人虐殺は無視かとか、やたらホロコースト取り上げるけど、ネイティブアメリカンと黒人奴隷は無視かとかは、確かに言いたくなるよね。
(86)「これまで自転車に乗ってきた中で、最高の1日の一つだったと思います。途中でパワーメーターが壊れているのではないかと思いました」
「僕たちはこのために長い間準備してきました。自分が本当に良い状態にあることは分かっていました。今日、すべての努力が報われました」
トム・デュムラン「本当に前例のないことで、言葉を失いました。ヨナスはワウト・ファン・アールトに対して3分、ポガチャルに対して1分半以上の差をつけました。誰一人として、こんなことは予想していませんでした。私も、ユンボ・ヴィスマも、ポガチャルも。ツアーも決まったようです」
メディアは、ヴィンゲゴーはレースは数秒で決まらないと常に主張していたが、どうやらその通りだったようだ、と報じた。
1月17日(金)
姉がいる男子って、女子に対する咄嗟の返しが適切で、生下時からサバイバルで身に着けた能力は伊達じゃない、ともぐを見ると思う。
(85)「時差については一度も教えてくれませんでした。でも、最後には、よくやった、タデイのチームカーが見えている、と言われました。僕が本当にうまくやっているということです。さらにモチベーションが高まりました」
「ただ自分自身を信じていました。良いタイムトライアルを走れたと信じていました」
「どこかのスクリーンで、自分がタデイより1分前にいるのが見えました。それで自分が本当にうまくやれていることを知りました。でも、ゴールラインについた時、自分がはるかに先を行っていたことに驚きました」
監督グリーシャ・ニアマン「数字はまだ見ていませんが、非常に速かったし、間違いなくヨナス史上最高のタイムトライアルでした。私たちは彼の能力が分かっていました」
1月16日(木)
すでに石丸氏と斎藤氏の区別がつかなくなっている…。
最近のもぐ、色々な演劇を見に行きまくっていて(中高生だとかなり安く見られたりするらしい)、変なことに誘われたり、悪い仲間ができたりしないかと不安。
(84)そして迎えた7月18日第16ステージ個人タイムトライアル。最後から2人目に出走したポガチャルは、第1計測地点でトップタイムを25秒更新した。しかし、2分後にスタートした最終出走のヴィンゲゴーは、第1計測地点でさらに16秒更新し、第2計測地点では、その差は31秒に拡大した。
2分前にスタートしたカルロス・ロドリゲスを捕らえながら、ポガチャルは暫定1位のファン・アールトを1分13秒上回ってゴールしたが、その直後、ヴィンゲゴーは1分38秒差をつけてゴール。全世界を驚愕させた。
ステージ3位のワウト・ファン・アールト「人間の中では私が一番速かった」
しかし、ヴィンゲゴー自身は、ポガチャルとの差が何秒かは正確に把握していなかった。チームカーから中間タイムについて聞かされていなかったのだ。
1月15日(水)
無課金のゲームで進路に悩むことになろうとは…。
(83)デンマーク人記者は、ジュー・プラーヌの登りで、ヴィンゲゴーはデンマーク人の観客の前を通るたびに、ドリンクボトルを投げている、とリポートした。「ツールで最も急な登りを登っているというのに、デンマーク人を見つけてはドリンクボトルを渡す彼は、あまりにも優しい」
ちなみに、このステージでヴィンゲゴーは「公共の場での放尿」により、200スイスフランの罰金を科されている。
翌日の1級山岳3つを含む山頂フィニッシュの第15ステージでは、タイム差はつかなかった。第5ステージでポガチャルに対してつけた1分4秒のタイム差は、第6、第9、第13ステージで少しずつ削られ、今や10秒になっていた。
1月14日(火)
ジロ出ないのちょっと落ち込んだけど(単なるジロ好き)大量に動画出たのと、息子lovelyらしいからまあいいか。…でもこれ、鉄は熱いうちに打て、って発想だよね。相変わらず強気。
あと、ヨルゲンソン被り過ぎじゃない?
1月13日(月)
フーズ『ナチスに挑戦した少年たち』を読み終わった。ナチスにあっさり占領されて保護領化したデンマークで、大人がノルウェーのように抵抗しなかったことに腹を立て(ノルウェーは126年ぶりの戦争だったらしい。怖過ぎ)、中高生が集まってドイツ軍から武器を盗んだり、爆弾仕掛けたりしていた話。やっていることは子供のイタズラレベルで実に危なっかしく、当然捕まって主人公はたまたまデンマークの刑務所に収監されたが、別の街で同じようなことをやってドイツに送られた子は死んでいたり。主人公達が拘置所の窓の鉄格子を切り、後にその部屋に移されたレジスタンスが夜な夜な窓から外に出て破壊工作していた、というのと、主人公が1944年に釈放されたら、逮捕された時は誰も抵抗していなかったのに、そこら中レジスタンスだらけになっていた、という話が凄い。
(82)7月15日第14ステージ。最後の超級山岳ジュー・プラーヌの登り。ワウト・ファン・アールトの牽きで先頭グループの人数が減少したところで、UAEのラファウ・マイカが牽きはじめ、一旦ワウトが脱落したように見えた。しかし、ワウトは集団後方から再度前に上がってきて牽引し、マイカを振り落とした。
残り15kmでポガチャルがアタックし、一旦は差がついたが、ヴィンゲゴーは追いついた。山頂まで数百メートルのところで、ポガチャルが再度アタックしたが、観客に前を塞がれたバイクが加速できず、アタックを阻まれた。その後ヴィンゲゴーがアタックして、頂上をトップ通過。ゴールまでの下りでは差がつかなかったが、頂上通過時のボーナスポイントで1秒をゲットした。
記者会見でバイクの件について聞かれたヴィンゲゴーは「いいえ、歴史が示しているように、ツールが数秒で決まることはほとんどありません。長くてハードなステージでは常に何かが起こります」と述べた。
1月12日(日)
いかなごが「お母様どうしたの、ブラウザのタブ開き過ぎだよ」と言うので「夫唱婦随」と言ったら、「何ソレ、見たことも聞いたこともない」と言われた。さすが令和キッズ。
(81)7月14日の第13ステージは137.8kmと短く、最後の超級グラン・コロンビエールまでは平坦なステージだった。残り500mでアタックしたポガチャルは、ヴィンゲゴーに4秒差をつけてゴール。ボーナスタイムと合わせて、差を8秒縮め、総合での秒差は9秒となった。
本人「自分に全く合わないステージだったので、タイムロスがそこまででなくて、本当に良かったです」
「勝てなかったとしても、それはそれでいいのです。ただ最善を尽くして、どうなるか見るだけです」
「気分はとても良いです。体調も良く、日に日に良くなっているように感じます。自分とチームの走りに満足しています」
「僕は自分を、自分の強みだと思うものを常に信じています。今後数日をとても楽しみにしています」
1月11日(土)
図書館本のてにをはの誤植を訂正(それもボールペンで)する人のモチベーションが謎。
(80)「メディア関係でヨナスを十分に助けていますか?ヴィンゲゴーが実際どのような人物なのかを人々に十分理解させようとしていますか?」と問われた監督メリイン・ジーマンはこう答えた。
「マイヨ・ジョーヌを着てゴールしたら、表彰式後に報道陣の前を通らなければなりません。他の選手たちは帰りますが、ヨナスは今も現場にいて、少なくとも30分は待機し、世界中のメディアからの質問に対応しています」
「私たちはNetflixシリーズを制作し、アマゾンのドキュメンタリーを制作し、本を出版しました。 私たちのチームほど透明性の高いチームはないと思います」
1月10日(金)
職場に着いた途端吹雪になって、仕事中にヘリの音がした。たぶん金閣寺撮りに行ったんやろ言われてた。
(79)「ヨナスは我々に何も与えてくれません。クリス・フルームの時のように、日に日に状況が悪化することを私は本当に恐れています。彼にそのようなことが起こって欲しくないのです」
「例えば、ポガチャルの様子はどうですか、とヨナスに聞く時、もちろん我々は彼がタデイの様子や気持ちを正確に知っているとは期待していません。でも、失礼にならずに返答する方法はあります。ヨナスは2日連続で『タデイに聞いてください』とだけ答えました。 人々がメディアを通じて彼を認識する、ということを彼は理解しなければなりません」
「ヨナスは素晴らしいサイクリストですが、自分の行動を変える必要があります」とマーシャル=ベルは結論づけた。
デンマーク人の元選手・監督ビャルネ・リースは「ヨナスが誤解され、より優れた天性のコミュニケーション能力を持つポガチャルと絶えず対立している責任の大部分は、ユンボ・ヴィスマにある」と述べた。
1月9日(木)
普段の2倍ぐらい来て、外来最高人数を更新した。患者さんに「先生、今日混んでるねえ。身体に気をつけてね」と言われた。
丸山『女性ホームレスとして生きる』を読み終わった。聞き取り調査の例は、普段仕事で見聞きしているのと同じで、あるあるだなあ、と思ったが、ホームレスの定義には野外生活者だけでなく、施設の居住者も含まれる、女性ホームレスは少数だが、夫婦あるいはその場で得たパートナーと生活している人が多い、廃品回収などで働くことなく、家事労働だけしている人もいる、売春をする恐れのある女性を売春させないようにする目的の施設があった、など知らないことも。他人のケアをすることが多いため、自分の自立ができにくい、他者の要求に従ったり、支援者との関係を考慮することが多い、というのが女性の特徴だそうで、それはそうだと思うが、自分の意思で合理的な選択を行わない、のは男女同じな気がする。評価の高そうな本だが、今いち評価高いポイントがピンと来なかった。
(78)「これまで以上にひどい状況です」ツアーで義務づけられているマイヨ・ジョーヌの記者会見に、ヴィンゲゴーは毎日出席していたが、質問に対する答えが「刺激がなく、短い」ことで、記者たちは不満を感じはじめた。
4月のイツリア・バスク・カントリーでヴィンゲゴーを取材したイギリス人記者マーシャル=ベルはこう懸念を表明した。
「イツリア・バスク・カントリーでは、英語を話す記者はおそらく私だけだったので、ヨナスとかなり話しました。私が見た彼の中では、最もリラックスしていました。少し冗談を言ったり、一言以上のことを教えてくれました。自分がこう書いたのを覚えています。『この男は変わった』と」
「それなのに、ツールになるとヨナスのコミュニケーションはこれまで以上に悪化しました」
「今年のツールで彼が大きなプレッシャーにさらされていることはよく分かっています。でも、世間の印象が傷ついたのではないかと心配です」
1月8日(水)
いかなごが「根拠地」ってどういう意味?と言い出した。拠点とか、陣地なら使うけどって、もしかして「根拠地」は死語なのか??
おばさんになったおかげか、日頃やっている仕事のせいか、息をするように赤の他人にいきなりその服装を褒めることができるようになった。
(77)キャリアの大部分をデンマーク人のビャルネ・リースが監督を務めるチームで過ごしたアンディ・シュレクは、発言を訂正した。
「ヨナスは出てきて帽子にサインをしますし、傲慢とは正反対といえます。私はそんなことは全く言っていません」「私の心は今でも半分デンマーク人です」「タデイ・ポガチャルと比べると、ヨナスは内気なようだと言いました。ポガチャルは登りで攻撃する許可を求めませんが、ヴィンゲゴーは計画を持っていると思われるチームに囲まれています」
7月9日、第9ステージの超級ピュイ・ド・ドーム山頂ゴールで、ヴィンゲゴーは残り1.5kmでアタックしたポガチャルに8秒の差をつけられたが、マイヨ・ジョーヌは17秒差で維持した。この後、メリイン・ジーマンがヴィンゲゴーを励ます様子を、アマゾンのドキュメンタリーAll-In: The Trilogyで見ることができる。
1月7日(火)
インフルヤバすぎ。職場の受付前が満員電車みたいだし、往診行く人行く人発熱して隔離されてるし、昨日横に並んでカルテカチャカチャして、一緒に処置する約束してた人が今日熱出して休んでる。
世の中、親切な人がいるもんやねえ。
(76)この頃、アンディ・シュレク(2010年ツール・ド・フランス優勝者)の発言がデンマークで炎上した。
「ヨナスはとてもシャイで、多くを語らず、自分をあまり出さない。一種の傲慢さを感じさせる」
「タデイはジョークを言ったり、笑ったりしている。ツール・ド・フランスの優勝候補の中で、これほど対照的な2人は記憶にない」
7月8日の記者会見でアンディ・シュレクの発言をどう思うかと聞かれたヴィンゲゴーはこう答えた。
「彼には自分の考えを言う権利がありますし、僕は彼が何を考えているかは気にしません。傲慢と言われるとは、全く予想していませんでした」
「僕は内気ではないと思いますし、現場ではみんなと話しています。でも、一番大きな声を出すのは僕ではないかもしれません」
1月6日(月)
往診21人とか訳分かんない。
この1812年でも見よう。
(75)翌7月6日、山頂フィニッシュの第6ステージ。ユンボ・ヴィスマの高速牽引により先頭はヴィンゲゴーとポガチャルの2人に絞られたが、ラスト2.7kmでポガチャルが飛び出し、そのまま逃げ切った。24秒の差がついたが、ヴィンゲゴーはここでマイヨ・ジョーヌを手にした。
本人「イエロージャージをまた手にできて、本当に嬉しいです。でも、もちろん、タデイについて行きたかったです。最後の登りの彼は本当に強くて、優勝にふさわしいです」
「ええ、僕たちは......えっと、よく覚えていません」ステージ後の記者会見で、見に来ていたマクロン大統領と何を話したかを聞かれたヴィンゲゴーは、世界の報道陣を笑わせた。「また会えて良かったと言ってくれました。去年のツール・ド・フランスの17か18ステージで会ったことを覚えていてくれたんだと思います。残りのレースも頑張って、と言ってくれました」
1月5日(日)
楊『モンゴル帝国』を読み終わった。遊牧民の世界では、女性の地位は高かったんだよ、独自の文化があって野蛮じゃなかったよ、と著者が言いながらモンゴルの歴史を語る本。遊牧民だけが特に野蛮とは全く思わないけど、この話を読んで「女性の地位が高かった」はさすがに無理あり過ぎ。「本人の意向をいっさい問わずに新しい権力者と再婚させられるのは、遊牧民世界の女性たちが経済的、政治的力を擁していたから」という文が、そもそも意味が分からない。
一般的な生産活動は女の仕事で、家は女のもので、嫁いだ後も実家は女を気にかける、男はすべてマザコン、てのが女性の地位が高いことになるらしいが、嫁ぐために移動している女の放尿の痕を見て、勢いが強いから良い子を産むだろうと追いかけて略奪とか、悪夢を見たから妻を部下に下げ渡すとか、敵を殺してすべてを奪い、泣く妻と娘の柔らかい腹の上に乗り、乳首を吸うのが男の人生の最大の楽しみ(by チンギス・ハーン)とか…モンゴルの女自身、「女は身分が低い」って詩の中で言ってますけど。
まあ、それはともかく、元は兄弟での暗殺し合いばかりとか、モンゴルの美人皇妃、オール顔が丸いのは面白かった。
(74)2023年7月1日、ヴィンゲゴーはディフェンディング・チャンピオンとしてツール・ド・フランスに臨んだ。
「ゼッケン1番でスタートすることは、自分に一定のプレッシャーを与えることになることは分かっています。でも気にはしていません。自分を信じて頑張らなければいけません。それがチーム内での私の役目です」
翌日の第2ステージでワウト・ファン・アールトがステージ勝利を逃し、ファン・アールトの牽引に加わらなかったことで、ヴィンゲゴーに批判が向けられた。
7月5日、最初の山岳ステージとなる第5ステージ。1級山岳マリー・ブランクで、ヴィンゲゴーは試しにアタックし、ポガチャルに対して約40秒の差をつけ、その後の下りと平坦でリードを1分4秒に広げた。
ゴール後、彼女のウルシュカ・ジガートがジロ・デ・イタリア・ドンネで転倒したことを聞いたポガチャル「脳震盪を起こした可能性があります。ヨナスに1分を失うことより悲しいです」
1月4日(土)
いかなごがAI画像を作り始めたので、私もやってみたが「シーズーが強盗する画像を出して」と頼んでも、柴犬が出てくる。といかなごに言ったら、何度もAIに指示し直して「シーズーがコンビニ強盗する画像」を出してくれた。AI、銃口を銃を持ってる人に向けたがるのはなぜ。
松本や中居が非難されてるのって、時代が変わったというのもあるけど、基本的に光源氏と同じ理由、おっさんになったからではないか、とよく思う。若者の時に今と同じことをやったとしても、その時はそれほど嫌がられなかった、というのもあるんだろうなあ、と。
(73)2017年にジロ・デ・イタリアを優勝した後、外界が自分に何かを求めるチャンピオンという地位は、自分には全く合わない、と述べたトム・デュムランと比較すると、ヴィンゲゴーには特に問題はなさそうだ、とメディアは述べた。
本人「去年の冬は、頼まれごとを断らなければいけないことが多かったです。人を失望させなければならないことを、以前は難しいと感じていましたが、それに対処する方法を学びました。物事を断ることで、自分を守らなければいけないことは分かっています。 2021年のツール2位がそれを教えてくれていました。僕が何かを断ったために、人が僕について意見を抱くことは構いません。今では簡単に気にしないようにできます」
2022年のツールについて聞かれたヴィンゲゴーは、ログリッチがリタイアした後の第15ステージが一番難しかった、と答えた。
「3年前から彼はチーム内での僕の指導者でした。 彼がチームに、僕がツールで優勝できる可能性がある、と伝えた時、僕自身はそれを信じていませんでした」
1月3日(金)
もぐ、暴言は寸止めすることにしているらしく、いかなごは「ババ」「抜きが上手そうだね、いかなご」とか「大根」「を踏み潰せそうな足だね」とか日々言われているらしい。私も「藪医者」「って世の中にたくさんいるよね」と言われたことがあるが、クソババァって言われるより、藪医者の方が腹立つな。
ちなみに昨夜は、寝なさいと何度も言ってるのにスマホいじっているので、だんだん私の声が険悪になってるのを察知したもぐ「機嫌悪そうだから、機嫌が良くなる言葉をかけておこう。『お肌がツルツルだね』」と決め顔をしてから、二階に上がっていった。
(72)グリーシャ・ニアマンは、プリモシュ・ログリッチとワウト・ファン・アールトがヴィンゲゴーの助けになったと指摘し、こう述べた。
「ヨナスはレース中に無線でコミュニケーションをとるのがずっと上手になりました。以前は何も言いませんでしたが、今はもっと率直になりました」
「自分がポジションにいなくて、誰かが彼を待たなければならない場合、恥ずかしがらずにそう言います。チームメイトが自分のために頑張ってくれた時に褒めるのも上手です」
「ヨナスの妻は、彼に自信を与え、世界最高の自転車選手になれるし、世界最大の自転車レースで優勝できる、と信じさせる上で、大きな役割を果たしています」とニアマンは説明する。「今のヨナスはとても自信を持っていて、自分が何を達成できるかを知っています」
一方、二アマンは、ヴィンゲゴーは他の選手と比べると、やや変わっているとも述べた。「ヨナスはツール・ド・フランスで注目が自分に集中している中で、靴下が綺麗な白でなくなっていても、ビルケンシュトックのサンダル姿でも気にしません」
「ヨナスには少し注意散漫なところがあります。シャツを忘れても心配しないし、いつもちゃんと足の毛を剃るよう、注意しなければなりません」
1月2日(木)
成『北朝鮮はるかなり』を読み終わった。著者の祖母、母、著者三代の一代記で、日本統治時代から朝鮮戦争、その後の金王朝時代が描かれていて、凄い本だった。朝鮮戦争の体験記ってあんまり読んだことない気がする。珍しく学問をさせてもらった祖母は、嫁いだ相手が酒乱DV夫で、子供3人を連れて逃亡。珍しく一番下の女の子だけを学校にやる。貧しい中で育った母は、反対されながら地主の金持ちに嫁ぐが(とはいっても、家の写真を見ると小さい)2人とも共産党に傾倒し(父は土地をすべて小作人に譲り)政権(韓国)から弾圧される。父は投獄され、同じく共産党に傾倒した従兄弟達には死刑になった人もおり、母は子供達を祖母に預けて北朝鮮へ入国。その後、朝鮮戦争が起こり、北朝鮮軍がソウルに侵攻してきて、父は解放、著者と妹は侵攻してきた母と合流して北朝鮮へ。
父は、母やご飯に文句しか言わないタイプの男。母は党の機関紙で働くが、韓国出身かつ地主階級出身とのことで、後に職を奪われる。母方の従兄弟には、韓国で拷問されて死刑寸前で助けられたのに、結局北朝鮮の山中で40年間豚飼いをさせられた人もいたとか。母が新聞の主筆として寝る暇もなく働いていた時や、著者が大学で農作業を頑張っていた時期の描写を見ると、カルト宗教感がバリバリ。
大学を卒業した著者は結婚するが、当時の北朝鮮ではみんなそれぞれの仕事(&時間外に会議があって、自己批判や他人の批判をしないといけない)で忙しく、ほとんど一緒に過ごすこともないまま、子供2人を残して夫は死亡。著者によると、(個人崇拝が強化されるまでの)60年代までは暮らしは悪くなかった、あらゆる本が細かく検閲されていた、知性と教養、文化がないのが革命的で、粗野で下品なのが革命的とされた、恐ろしげに脅しあげないと命令は実行されないため、何かを命令する時は脅すのが北朝鮮の風習なんだとか。
一方、著者の妹は割とお金持ちと結婚し、子供を産んだ後、演劇大学に入学。そこから映画に出るようになり、金正日に見初められる。この妹さん、著者によれば絶世の美人とのことだが、国によって美人の基準にはだいぶ違いがあるよね。妹が産んだ金正日との子が金正男だが、当時は金日成の後妻が権力を握っていたので、金正日の別邸からほぼ一歩も出ず、友達もおらず、こっそり著者の母に育てられたらしい。皇后から隠されて育つ側室腹の皇子そのもの。
著者は金正男の家庭教師として別邸入りし、著者の子供達も遊び相手として別邸で暮らす。大きくなった後はジュネーブの学校に行くが、そこで著者の長男は失踪(のちに韓国にいることが明らかになり、14年後に暗殺される。わりとドラ息子)、金正男も小さい頃は金正日に溺愛されていたが、父親の次の恋人(金正恩の母)に子供ができると飼い殺しに。
金正日は王子として育ち、突然癇癪を起こすため、周りは常にこわごわと接していた、副食費にいたるまで金正日のサインが必要で、衣食住は保証されるものの、外出は許されず、完全に籠の鳥の生活で、逆鱗に触れると子供でも炭鉱送りにされると脅された、って昔の日本でも権力のある父親ってこんな感じだったよね。著者の母が金正日の別宅の図書を管理していて、国外からも取り寄せていたため、それを原本にして子供たちに児童書を配ったとか、金正日は自国のインフラのどうしようもない貧しさを知っていて諦めていたとか、孫の金正男を何とか学校に通わせようと、著者の母がモスクワで学校に通わせたら、トイレが汚過ぎて1日で行かなくなったとか、北朝鮮では自叙伝を書くのは禁止されているとか、色々興味深かった。この本、書かれたのは1999年だが、金正男のディズニーランド事件が2001年で、毒殺されたのが2017年。
市販のおせちは味が濃すぎて気分が悪い、といかなごは2日目にしてギブアップ。
ふと思い立って、昔のベープマットの本体画像をいかなごに見せてみたが、もちろん何か分からなかった。何ならソバージュも「漫画で見た」と言われた。
(71)6月8日、クリテリウム・デュ・ドーフィネの第5ステージで優勝したヴィンゲゴーは、ゴールラインを越える時に指輪にキスをしたことで、メディアに結婚したのかと問われ、「結婚しています、はい」と答えた。しかし、お互いにいつイエスと言ったかについては、言いたくない、と語らなかった。
一方でヴィンゲゴーは、記者会見で「起きたことに衝撃を受けています」と涙を浮かべた。その日の朝、近くの町アヌシーで、男が大人2人と幼児4人をナイフで刺す事件が起きた。
「僕にも娘がいて、アヌシーにいることもあります。今日のような日には、サイクリングや勝負には何の意味もありません」
同じ頃、デンマークの元選手、監督のビャルネ・リースはこう述べた。
「ヨナスは今年、ツール・ド・フランスで優勝しなければならないことを、誰にも証明する必要はありません。彼がエースであることは誰もが知っています。このことはヨナスにとって非常に重要なことだと思います。基本的に一人の男を倒すことだけに集中すればいいので、ストレスが少ないからです」
デンマークのヴィンゲゴーに対する大きな期待について聞かれたメリイン・ジーマン「問題ではありません。昨年ヨナスは大きく成長し、今年はますます良くなっています」
1月1日(水)
寝てたので紅白はチラ見ぐらいだが、75歳ばっかりだったような。さすが団塊。
東急ジルベスターはまたアイーダか、という感じだったが(3回めらしい。ボレロも多いよね)、いつぞやのイタリア人と違って(あのズレっぷりは忘れられないよな)ピッタリで良かった。アイーダトランペット、人がたくさん要るよなあ、あ、一人OBみたいな人いる、と思ったら、レジェンドのトランペット吹きの人だったらしい。
ヘビで思い出したけど、ジェーニャが国内戦のキスクラでヘビのぬいぐるみグルグル巻いてたのって、24年前なのか。。
読書メーターによると、昨年読んだ本は112冊。一昨年は60冊だったから激増したが、この理由は明らかで、1日100ページ読むのを目標にしたんだよね。自力で数えるなんて面倒過ぎてできないが、読書メーターが計算してくれるし、何冊読む、とかより実現しやすい。ちなみに、読んだページ数は37231ページで、1日平均102ページ。
ヴィスマの今年のジャージ、去年からスポンサーロゴが一部変わっただけで、間違い探し言われてる。
(70)ユンボ・ヴィスマのメカニック、ジャンカルロ・ブランドの証言
「ヨナスは何も特別なことや特別扱いを必要としません。彼はとても気楽な性格で、必要なのは速くて軽いバイクだけです。正確なのはセッティングだけです」
「ヨナスは後ろにいることが多いですが、必要なときは前に出ます。それ以外の時は、単なる選手の一人です」
「私達には明確な取り決めがあります。あなたは何もしなくていいのよ」
トリーネは、ツール・ド・フランスでのワウト・ファン・アールトのように、ヴィンゲゴーを外界から守るつもりだと、インタビューで語った。
「ヨナスは『ノー』と言うべきではないんです。彼はそれを悪いと思っていますから」
「私は『そういうものだ』と思います。だから引き受けます。そうすれば、ヨナスは他のことに集中できます」
「人には意見を言う権利があります。私はそれに対しては何もできません。選択肢は2つ、人の言うことに耳を傾けるか、傾けないか。100のうち99で、私は聞かないことにしています」
「他の人のことは考慮しません。それではツール・ド・フランスで勝つことはできませんから」
12月31日(火)
毎年年末は掃除に追われて忙しくて何もできないのを、毎年忘れる。
テープ起こし文字起こしって面倒くさいのに、1時間以上のインタビューを起こして英訳までしてくれるという親切の化身みたいな人がいたおかげで、夫婦インタビューが読めた。トリーネが13歳の時に、突然父を失っている、というのが…そりゃ娘を同じ目に合わせたら、と思うよねえ。あと、ツールに間に合うかどうかは心配したけど、ツール中は勝てる可能性はある、とずっと思っていたよう。『今年のポガチャルだったら、たとえ落車がなくても倒すのは難しかっただろうから、そう思うと2位なのもある意味受け入れやすかった』てのも凄い。
今年も家族全員大きな病気や事件には見舞われず1年を過ごすことができた。私は日々寄る年波しか感じないが、いかなごは成人年齢に達し、もぐは10cm以上身長が伸びて暴言を吐かなくなった。
お世話になった皆様、ありがとうございました。どうぞ良いお年をお迎えください。
12月30日(月)
昼にもぐに一人でインスタントラーメンを作らせる会が行われた。両親、姉が口だけゴチャゴチャ出す中で、大騒ぎしながら無事に出来上がり、初めて自分で火を使った、とドヤっていた。鍋に出して温めるだけやけどな。
飛行機事故があったし、今のうちに遺言言っとこうと、子供らに「2人仲良くするんだよ」と言ったら、もぐがママの遺産は年齢の逆比で分ける、と言い出した(どういう発想だよ)。私が長生きすればするほど、どんどん等分に近づくので(もぐが不利になるが)なかなか良いシステムかもしれない。
2人目妊娠中に3歳児かかえて、外国のどこにあるかも知らない病院目指して、即座に航空券の予約に動く妻、体力凄過ぎやろ。比べるのもおこがましいが、私なら絶対できない。家で電話でIC聞くの待つ。これだから、not able to do this without my familyなんだろうな。
(69)フランス・マーセン「26歳の彼には、まだ改善の余地があります。他の23歳や24歳は既にピークに達していますが、ヨナスははるかに新鮮です。10代の頃にハードなトレーニングをしていないので、進化が遅かったのです」
「彼は、自分が自転車競技に特別な才能を持っていることを分かっています」
「ヨナスは昨年ツールで優勝した時に新たなレベルに到達しました。彼は今年もそれをやってのけました」
「以前より完成度が高く、下りも上手になっています。スプリントではポガチャルほど速くはありませんが、それでも速く、優れたクライマーです。そして、エースとしても成長しています」
昨年のツール・ド・フランス以前は、2019年にプロに転向して以来、7つのレースでしか優勝していなかったヴィンゲゴーは、2023年は2月のグラン・カミーニョ、3月のパリ〜ニース、4月のイツリア・バスク・カントリーの計17日間のレースで、チームTTを含め、9つのレースで優勝した。
12月29日(日)
S君とコメダの「のむ桔梗信玄餅」を食べに行ってきた(ついでに子供らにテイクアウトでトーストやカツサンド)。まさに筑紫餅食べてる感じで美味しかった(満足)。
風呂と玄関他を掃除。腰が痛い。
いい加減草臥れてきた木乃のハーネスの新しいのも注文。今までがPUPPIAなので同じものにしたが、マジックテープで止めるヤツとか(強度が不安)冬用素材が主になっていて(チベット原産のうちは、冬でも涼しい方がいいのだ)選択肢が少なかった。
(68)2023年4月18日、ヴィンゲゴーは2024年までのユンボ・ヴィスマとの契約を3年延長した。
本人「契約の延長は心の平安と、自分の目標にさらに集中する機会を与えてくれました」
昨年7月にマイヨ・ジョーヌを獲得して以来、ヴィンゲゴーの静かで人目を避ける性格の変化にチームは気付いた。
「ツールで優勝した時、ヨナスの肩から何かが落ちたと思います」監督フランス・マーセンは述べた。「以前は緊張して安定を保つのに苦労することもありましたが、今では自分が世界最高の選手の一人だと自覚しています。レベルが非常に高いため、レースがしやすく、そのため自分が最高のクライマーだと分かっているのです」
マーセンは、ヴィンゲゴーの成長を辛抱強く待っていた、と語る。
「私達はヨナスを素晴らしい才能の持ち主だと見ていました。彼は多くの犠牲を払い、文句を言わず、たゆまぬ努力家です」
「彼にとってツールで優勝したことは本当に重要でした。今はもっと楽になり、レースを楽しんでいます」
12月28日(土)
年末なので木乃を風呂に入れて、大掃除開始。ここ数年、正月休みが少なくてできなかった本棚の掃除と整理がやっとできた。
いきなり息子に「泥棒バンダナ」を要求される年の瀬。部活で使うらしいが、何のことかと思ったら、緑の唐草模様ってことね。ウチにある唐草模様の布は、9年前に作ったコマさんのスモックだが…と引き出してきてもぐに渡したら、衣装係に「家にあるとは思わんかった」と言われたらしい。てことで、スモックを切り貼りして大体正方形に改造。フェルトのコマさんついたままだけど、まあええやろ。
事故が起きた時、妊娠中の妻と娘が自分なしで生きていくことを考えた、って。ファン・ホーイドンクのこともあったしねえ。
(67)2023年3月、パリ〜ニースに出場したヴィンゲゴーは、初めてジャージにゼッケン1番をつけた(前年のパリ〜ニースを制したのがログリッチだった)。
監督グリーシャ・二アマンは、意図していたことではなかった、と述べた。
「スタート前のチームミーティングでは、エドアルド・アッフィニをゼッケン1番にしていました」
「でもその1時間後、スタートゼッケンを受け取ると、ASO(ツール・ド・フランスやパリ〜ニースの主催者)はヨナスを1番にして欲しくて、変更していました」
「ヨナスにゼッケン1番が嬉しいか、プレッシャーを感じるか聞いてみましたが、そんなことは気にしていませんでした」
「昨年のツール以降、社交的になったとは言えませんが、彼は周りのプロトンともっと話すようになりました」この時のパリ〜ニースを制したポガチャルは、ヴィンゲゴーについてこう語った。「2年前よりも少しリラックスしています」
12月27日(金)
ブライアン・メイと小田和正は同い年(2ヶ月違い)。
もぐ「クリスマスに親にひげ剃り貰った」
友達「嘘やろ」
もぐ「ほら、動画(ひげ剃りブーン←スイッチ入れただけ」
友達「眉毛でも剃ってろ」
…両親「いや待て、剃るな」
夜、カニ食べた。
私「カニって全身ダシみたいだよね。なんでこんな美味しい生き物が絶滅しなかったんだろ」
いかなご「殻があったからじゃない?」
(66)トリーネ「私は自転車の話ばかりの会話に、少々うんざりしていました。ヨナスは大人になるべきだと思いました」
「家の周りの雑用をこなすことで、ヨナスは自分がサイクリング以外にも得意なことがあることに気づきました。ありのままの自分で十分だと信じるように、と彼に言いました」
本人「35歳や40歳までレースを続けるつもりはありません」
トリーネ「下降線を辿っていたり、自分はもう上手くない、若い選手達についていけない、と嘆いている男を引っ張り出すのは、私には難しいです」
12月26日(木)
ふと骨盤底筋を鍛えるEMSグッズが目に入り、誕生日プレゼントに欲しい、とS君に言ったら、今安くなってるから、とクリスマスプレゼントに買ってくれた。で、試してみたら、2日目にふくらはぎが攣った。両足同時に攣ったら溺れ死ぬかも(風呂で使うのだ)。でも、将来子宮脱になりそうな気がするから、続ける。
メスーディ『文化進化論』を読み終わった。生物学はミクロもマクロも進化論のもとに1940年代には統合されたのに、社会科学は未だ統合されておらず、他分野のことが分からずに、既に発見されたことを追い求めて時間を無駄にしている、文化も進化論のもとで統合しようぜ、という初版2011年の面白い本。
社会的な義務を果たすかどうかは、アメリカではどこからの移民かで度合いが違うので、文化により受け継がれている、宗教は母から受け継ぐ(父の宗教は影響しないらしい)、持参金と婚資なら、持参金が基本形態、複数人に写本(遺伝に似ている、ミスが変異に相当)をさせ、写本から系統樹を作り、実際と照らし合わせて正しいかどうかを見る実験がある、ヒトは有名人のゴシップは拡散するが、気候変動のニュースは拡散しない(社会的なネタを拡散するように進化している)、ヒトは今までの履歴を見て判断するのではなく、たった一人の個人的アドバイスで行動が変わる、ヒトは学習するよりも、真似をする(模倣の方が効果が高いので適応的)、最小限の反直感性をもつ概念が一番伝達されやすい、企業の社員は結構利他的で、報酬が少なくても働く(名声を持つトップの真似をするよう進化している)、他にも文化を持つ動物はいるが、人間だけが蓄積による文化の進化をみせる、などなど。
(65)ツール・ド・フランス優勝後、ツアー・オブ・デンマークや9月の世界選手権に出場せず、メディア露出がなかったことで、ヴィンゲゴーには精神的な問題があるという噂が流れた。
本人「自分は優先順位をつけるのが上手だと思います。僕は何よりも家族を優先してきました。他の人が何を考えているかは、本当に気にしていません」
トリーネ「最初はヨナスを指導するのが私の役目だとは思っていませんでした。でも、彼が緊張と闘い続けているのを見ていたので、私達は緊張を恐れるのではなく、受け入れる計画を立てました」
「ヨナスはとても内向的で、自分を忘れて他人を幸せにしようと常に考えている人です。長い間、彼は他人に決めさせてきました。でも、今では、チームと上手にコミュニケーションをとるようになりました」
12月25日(水)
時流に乗った再生数稼ぎのYoutuberかと思いきや、満を持したポロリなの凄過ぎる。
Twitterにぴちょん君のぬいぐるみだらけのクリスマスツリーの写真が流れていたので、喜ぶかと思って、いかなごに見せたら「ぴちょん君?何それ?」と言われた。…あんなに好きだったのに…。
今年のクリスマスプレゼントは、なぜかS君がせっせとサンタでお届けしていた。もぐには、携帯ヒゲ剃りとぷよぷよと新しいパスケース(狼の顔ダイカット)。いかなごにはジャッカロープの剥製風(いかなご曰く「ぬいぐるみ」)、私からは水晶のウサギと蜂蜜。
解剖の都市伝説といえば「壁に耳あり」が有名だが、私の時は当然「川向うの学生が退学になった」ことになっていた。東大という話もあるし、全国でどこの学生がやったことになっているか調べたら面白そう。
センプルン『なんと美しい日曜日!』を読み終わった。『ブーヘンヴァルトの日曜日』(1994年)と同じ作者だが、こちらは初版1980年。ブーヘンヴァルトのある日曜日を中心に、色々な思い出や思考が、時代を行ったり来たりしながら時に幻想的に語られる。
著者はブルジョア出身フランス育ちのスペイン共産党員で、レジスタンスとして捕まり、ブーヘンヴァルトに移送されるが、すぐに収容所内の共産党組織にピックアップされて、死なない程度の生活を保障される。ブーヘンヴァルトから解放後は、スパイみたいなことをしつつ、スぺイン共産党の幹部になるが、スターリニズム批判を理由に除名される(個人崇拝を癌と表現したら問題視され、イボということにした、とか)。収容所への移送を描いた『大いなる旅』(1963年)を書いて有名になったらしいが、その本では自分がコミュニストで思想的背景があったことを明らかにしていなかった、ということでこの本が登場。
ナチスとスターリンの強制収容所を比較し「ナチスの収容所では自分は明らかに有罪であったが、コルイマに収容された人々は何もしていない」「ブーヘンヴァルトでもコルイマでも、ロシア人は春になると突発的に逃亡する」「ゴーリキーは、ソロフキは怠け者を矯正する予備校とみなすべき、と述べた」「ロシア人はブーヘンヴァルトでは、不正行為を行い、寛いでいた。自分らの国にいたのだ」
著者は『イワン・デニーソヴィチの一日』(←今もってmy best小説の一つ)のセンカ・クレフシンに注目する。ブーヘンヴァルトで三度逃亡し、帰国後はソ連の強制収容所に入れられたクレフシンのことを考えると「最早潔白はあり得ない。いわば仲間が入ったのだから」。そして 「コミュニズムは青春だった」著者が言うのだ。「ナチスの強制収容所は、資本主義的社会の歪んだ鏡ではなく、スターリン的社会の鏡であった」
(64)この時、ツール・ド・フランスに出場した他のデンマーク人選手達も市庁舎に招かれた。
2019年にロード世界チャンピオンになった時に、市庁舎に招かれたことのあるマッズ・ピーダスン「バルコニーに出るには、世界選手権だけでは足りなかった。だからヨナスには感謝しています」
Odder Cykelklubでヴィンゲゴーと一緒に走っていたカスパー・アスグリーン「ヨナスはとてもいい子です。当時、彼と一緒でとても楽しかったし、今でもプロトンで話をしています」
母カリーナ「デンマークでは、誰もがヴィンゲゴーを、醜いアヒルの子が美しい白鳥に成長するアンデルセンのおとぎ話に例えます。今起きていることは、誰も信じられません」
「ヨナスがベストの状態でいるためには、心地よく感じる必要があります。ユンボ・ヴィスマは彼が自分自身に満足していることを確認してくれます。人々がヨナスに向かって何か叫んだり、指を向けたりしたら、うまくいかなかったでしょう」
「彼はとても繊細なんですね」と聞かれたカリーナは、はい、と答えた。
12月24日(火)
もぐが学校行事の打ち上げとやらに出かけて行った。既に大学生みたいなことしとるな。S君曰く「あの学校出身者は大学で大きな顔してた」というのも納得。そりゃ中学からやってれば慣れるよな。
ということで、もぐ抜きのクリスマス。S君が隠し芸にこっそり練習していたバイオリンを披露し、動画をS君母に送ったら、音が出てる、と喜んでいた。
テレビでやっていた昭和歌謡を見たいかなご、UFOの時に懐かしいと言っていて(@妖怪ウォッチ)面白かった。
(63)「火曜日はオランダへ、水曜日はコペンハーゲンへ、木曜日は故郷へ、金曜日からは一週間ソファで過ごす予定です」と、ヴィンゲゴーはフリーダを膝の上に座らせてインタビューに答えた。「勝てるという気持ちは常にありました。ずっとそう信じていましたが、オタカムの後は、本当に信じるようになりました」
7月27日、コペンハーゲン空港に着いたヴィンゲゴーは、市庁舎広場までオープンカーで移動した。何千人ものデンマーク人が道路に列をなし、ハイタッチを求めた。「石畳ステージの後よりも痛いぐらいでした」
コペンハーゲン市庁舎のバルコニーに立ったヴィンゲゴーは、数分間、市庁舎広場に集まったデンマーク人の拍手を楽しんだ。「見渡す限り人がいました。本当に感動しました」
12月23日(月)
獨協の美容の人の投稿はドン引きにも程がある。世代的にもあまり変わらないから余計に。
開業医は集客のためにブログ書くことを勧められるらしいが、みんな料理や医者の集合写真挙げてるの、効果あるのか。
タルト生地(足りなかった)成型して、カスタードクリームとリンゴのコンポートとキャラメリゼナッツ作ったら疲れた。
(62)7月24日、シャンゼリゼ通りのツール・ド・フランス表彰台の頂点に立ったヴィンゲゴーは、チームメイト全員の名前をあげ、「incredible」を11回使って優勝スピーチを行った。ユンボ・ヴィスマは、総合優勝と水玉ジャージ、緑ジャージ、6つのステージ優勝を勝ち取った。
「今日はデンマークの半分がここに来たような気がしました」とヴィンゲゴーは述べた。
ミッケル・オノレ「ツール・ド・フランスが始まる前、バスのそばでチームメイトと誰が優勝するか、賭けをしました。僕はヨナスに賭けたけど、誰も信じませんでした。でも、結局は僕が勝ちました」
「彼は同じデンマーク人なだけでなく、良き友人でもあります。チームメイトではないけど、ヨナスが勝つことは、僕にとって凄く大きな意味があります。彼は人として素晴らしいし、凄い才能の持ち主です」
12月22日(日)
学校行事で朝7時前から学校に行って練習し、M1ギリギリで家に駆け込んできたもぐのお気に入りはトム・ブラウンらしい。
M1は令和ロマンがとても上手いと思ったが(去年はそんなに上手だと思わなかったが)、一番面白かったのは、真空ジェシカの1回目。「NHKを見る」と「憲法撤廃」でもうダメ。
阪野『徴兵体験百人百話』を読み終わった。2002年に110人に戦争体験を聞き取り、短くまとめた書。散々聞かされた奥さんや子供に、もうその話は聞きたくない、と言われているのに、物好きだなあ、と聞かせてくれたらしいが、「行った人じゃないと分からん」「その時の話は(とてもここでは)できない」「最近の政治は…」&割とどうでもいい自慢話が挟まる、個人名だらけの話を聞かされたら、そりゃ嫌になるわ、ということがよく分かった。
それはともかく、一旦数年中国に行って、帰ってきた後、終戦間際に再徴兵されたパターンが多く、その時に南の方に送られた人はほとんど死亡、終戦近くになると、繰り上げで19歳で徴兵検査、玉音放送の時に負けるとはカケラも思っていなかった人が多かった、戦後はシベリア送りだけでなく、国共内戦に参加してた人も結構いたり、シベリアから帰ってきたら、舞鶴港で天皇とスターリンの踏み絵させられた人がいたり…。生死も苦楽も、ほんとに運次第だということも、改めてよく分かった。
(61)7月23日の最後の個人TT。3分26秒という大差がついていたものの、2年前のトラウマを抱えるユンボ・ヴィスマはピリピリしていた。
「心臓発作を起こしそうになりました」最後の下りで転倒しそうになったヴィンゲゴーは笑った。「賭け過ぎた、という感覚はなかったです。ターンに入るところでラインを間違えて、溝に落ちそうになりました。道路もかなり穴だらけでした」
監督メリイン・ジーマン「タイムトライアルで、ヨナスはワウトにどれほど感謝しているかを示しました」
最終走者のヴィンゲゴーを迎えに出て、涙を流したワウト・ファン・アールトが、このステージの勝者となった。
「去年からずっと、自分にはできると信じてきました。そして今、それが実現しました」優勝を決めたヴィンゲゴーは述べた。
「フリーダはあまり分かっていませんが、歓声と拍手とキスをするパパをスクリーンで見ることができることは分かっています」
「ヨナスには、ツール・ド・フランスの間にフリーダがパパと言えるようになると約束しました。フリーダがパパと言えるようになることと、自分がツール・ド・フランスで優勝することのどちらがヨナスにとって重要かは分かりません」トリーネは笑顔でインタビューに答えた。
本人「まだ僕には言ってくれないけど、画面の僕を見て言った動画を持っています。本当に感動だよ」
12月21日(土)
木乃と散歩していたら、ナンパされてシーズー会に招待された。10年毎日ウロウロしていても、会ったことないシーズーがいるもんだねえ。うちの近くにいる他のシーズーのことも知らないみたいだったし。
優真君のキスクラを見たS君が「右にいるのがお父さんなんでしょ、じゃあ左にいる人はお母さん?」と言い出した。マリニンじゃねえんだよ。
「え、だってさっきの人のお母さんはイギリス人なんでしょ?じゃあこの人のお母さんも」
混ざるな混ざるな。
(60)最後の超級山岳オタカムの登りで、グリーンジャージのワウト・ファン・アールトがチームメイトからヴィンゲゴーの牽引を引き継ぎ、ポガチャルを引き離した。
監督メリイン・ジーマン「ワウトは、オタカムのどこがヨナスにとって大きな価値があるかを知っており、その地点でヨナスを待ちました」
こうして「グリーンジャージが山岳でイエロージャージをひく」という珍場面が現出した。
残り4kmで単独になったヴィンゲゴーは、オタカムの頂上フィニッシュで、2位のポガチャルに1分以上の差をつけた。
「チームメイト全員に感謝しています。ワウト・ファン・アールトがタデイ・ポガチャルを倒しました。今日はみんな、信じられないくらい素晴らしかった」
「今朝、ガールフレンドと娘に、2人のために勝ちたい、と言いました。そして、勝ちました。本当に嬉しいし、誇りに思います」
ジーマン「ヨナスはあの瞬間、待つことにしました。それは彼自身の選択でした。私は進んでよいと思いました。もしヨナスが転んでいたら、ポガチャルは待ちはしなかったでしょう。振り返ってみると、ヨナスが待ったことは素晴らしく、彼の勝利にさらに輝きを与えました」
12月20日(金)
帝銀事件の恐い動画聞きながら、真っ暗な道を木乃と散歩してたら、すぐそばに立っている男がいて、ギョッとした。見たら、見覚えのある顔で、一瞬考えたが、私が産んだ息子だった。
最初に行った全日本が、今年と同じなみはやで、その時織田君、中学生で初出場。中学の学区が同じなので「地元民だースピン上手だー」と思ったよ。え?23年前?
織田君、袖引き出せないのと、ちいかわのタオルハンカチで涙拭いてるのがさすが過ぎた。
(59)7月21日山岳最終ラウンドの第18ステージ。1級山岳スパンデルで抜け出したヴィンゲゴーとポガチャルは、狭くて危険な下りを先頭で下った。ヴィンゲゴーはコーナーを抜ける際に、バイクのコントロールを失って転倒しそうになったが、何とかこらえた。その直後、ポガチャルが左コーナーで大きく外れ、砂利道に落ちて転倒した。ポガチャルが落車したことに気づいたヴィンゲゴーは「すぐに待つべきだと判断しました」。追いついたポガチャルはヴィンゲゴーに手を差し伸べ、その後再び戦いを再開した。
監督メリイン・ジーマン「最後の登りに入る前の下りで、ヨナスはポガチャルに大きなプレッシャーをかけられ、危うく転落しそうになりました。レース無線が下りのあちこちに石が落ちていると警告していた時に、ポガチャルがアタックしたので腹が立ちました。最終的にリスクを負いすぎて転倒したのはポガチャルでした」
「前日、チームUAEは突然強くなり、ヨナスは孤立し、ポガチャルがステージ優勝しました。そこで私達は、ヨナスを助けるために、ワウトを前に送り出すことにしました」
12月19日(木)
ポルーニン、どういうことなんだろ。プーチンの顔の刺青入れてる人に好感は持てないが、シクリャロフのこともあるし、イリニフもどうなるのか気になる。
昔、23時頃に職場から帰ろうとして、HCVからのHCCの70代男性、AMLの50代女性、MSの10代男子に声を揃えて挨拶された時には無常を感じたが、四半世紀経った今はHCVは治るし、AMLも型によれば治るし、MSにも薬あるし、治療は進歩してるよなあ。
(58)マイヨ・ジョーヌのヴィンゲゴーは、表彰式のため、帰りは遅くなると考えていた。「チームのみんなより、3時間は遅くホテルに着くと思っていました。でも今は幸い、毎日山から降りる時に警察のエスコートがあるので、チームの中で一番早くホテルに着くのはほとんど僕なんです」
「去年は白ジャージでしたが、黄色いジャージを着て走るのは最高にクールです。応援してくれる人も増えたし」
「小さな違いを感じます。昨日転けた後にプロトンに戻る時は、イスラエルの選手ヒューゴ・ウルが助けてくれました」
マイヨ・ジョーヌのストレスに対処する方法を問われたヴィンゲゴーはこう答えた。
「ガールフレンドに新聞を読むなと言われました。だから、もう新聞は読みません」
ユンボ・ヴィスマは2人、UAEは4人選手が減った中で続いた第16、17ステージ。ポガチャルの度重なるアタックに反応したヴィンゲゴーは、問題なくリーダージャージをキープした。
グリーシャ・二アマンが「世界最高の山岳アシストの1人」と呼ぶセップ・クスはこう語った。
「最前列で見ていると、彼らの攻撃はクレイジーです。でも、日曜日に転倒したにも関わらず、ヨナスは本当に調子が良さそうです」
「ここ数年のリーダーとしてのヨナスには感心します。チームに加わった初日から、彼が大きく成長するのを見てきました」
12月18日(水)
もぐ、五十肩のS君に代わり、夏タイヤを二階に運び上げた。あんなでかいもん、凄いな。
うちの母親、ベタベタするのは好きじゃなかったらしく、私はさっぱりと育てられたんだけど、一番嬉しくて記憶に残ってるのは、小学校低学年の時、母親が自転車で手にソフトクリームを持って帰ってきて、マンションの中庭から、すぐ取りに来て食べるように言ってくれたことだな。あれ本当にあったことかな。
(57)デンマーク人がツール・ド・フランスでマイヨ・ジョーヌを獲得したのは、2007年以来だった。
マグナス・コルト「グラノン峠を登っている時に聞いた。デンマーク人の観客が道端で熱狂していて、ヴィンゲゴーがイエローだって叫んでいたんだ。それで僕も元気が出たよ」
「彼は笑顔が素敵で、いい奴だよ。いつも軽く一言挨拶してくれる。物静かで穏やかだけど、総合争いをしてるから、僕よりストレスを感じてるだろうね」
第15ステージを前に、ログリッチは怪我の影響で棄権した。
監督フランス・マーセン「日に日に悪化していった。だから決断したんだ。数日前から話し合っていたので、こうなることは予想していたことだった」プリモシュにとって、ヨナスの助っ人を任されることは精神的に難しかったのか、と聞かれたマーセンはこう答えた。「いや、彼はヨナスにとって父親のような存在なんだ。ヨナスはツールで勝てる、と最初に言ったのはプリモシュだった。彼はヨナスの力になっていた」
7月17日第15ステージでは、ステフェン・クライスヴァイクが落車でリタイア、ヴィンゲゴーも転倒した。監督メリイン・ジーマンは、ヴィンゲゴーの怪我は大したことない、と語ったが、実際はステージ終盤はペダルを漕ぐのが困難だったという。「幸い、翌日はそれほどひどくありませんでした。まだ痛がっていましたが、休息日の練習後にはおさまっていました」
12月17日(火)
ヴィスマとUAEの違いを語るベネットインタビュー、凄いな。一緒に食卓についてmake sure they finish their breakfastしなきゃいけなかったGC guyはどなたかな。
mixi2入ってみたら、既に先輩も後輩もたくさんいた。みんなSNS好きなんだから>お前もやろ。
mixi2、多機能twitterみたいで悪くはないんだけど、チェックして日常的に書き込めるのって2つぐらいまでだよねえ。Xもfacebookもブルスコもインスタもmixi2もなんて無理やろ(Threadsとtiktokもたまに見る)。こんなことになったも、すべてイーロン・マスクのせい(専ブラ禁止と時系列表示撤廃が致命的)。
(56)「この山がヨナスに合っていることは分かっていました。彼はラスト5kmでアタックをかけるつもりだったし、自分を信じていたから5km地点ですぐに走りました」「ヨナスがこれほど時間を稼ぐとは思ってもみませんでした」監督グリーシャ・ニアマンは興奮気味に語った。「私達はレースをハードにしたかった。ガリビエでは全力を出し、それが最後の登りで実を結びました」
「ヨナスのアタックに、ポガチャルはもうついていけなくなりました。グラノンで大丈夫でも、翌日にはついていけなかったでしょう。その場合の翌日の計画も用意していました」後に監督メリイン・ジーマンは語った。
優勝後のインタビューで、ゴールした数分後には携帯電話を耳に当てていたことを聞かれたヴィンゲゴーは、満面の笑みで答えた。
「ガールフレンドに電話していました。彼女は僕のすべてです。彼女と娘なしでは、絶対にできなかったでしょう。2人は僕にとって一番重要なんです。だからまず最初に電話しました」
12月16日(月)
え、なんかクリムキンって、最早ビールマンやイナ・バウアーやサルコウな感じになってる?
って動画見直したら、五輪のこととか、ルサコフ先生のこととか思い出してしまった。
(55)そして迎えた7月13日。標高が高く、大会最難関との前評判のグラノン峠頂上フィニッシュの第11ステージ。
ユンボ・ヴィスマは最初の1級山岳テレグラフ峠からペースを上げ、次の超級ガリビエで、ログリッチとヴィンゲゴーが交互に波状攻撃を繰り返した。
監督メリイン・ジーマン「テレグラフ峠の登りで、プリモシュとティシュがアタックした。その結果、ポガチャルのチームメイトはついていけなくなった。ガリビエの平坦区間で、ヨナスとプリモシュが交代でアタックした。ポガチャルは何度も反応しなければならなかった」
ヴィンゲゴーは最後の登り、超級グラノン峠の残り4.5キロ地点からアタックした。それまですべてのアタックに元気に反応していたポガチャルは反応できなかった。独走したヴィンゲゴーは先行する選手達を追い抜き、初のツール・ド・フランスステージ優勝と、リーダージャージを獲得した。調子を崩したポガチャルは、最後の5キロで3分弱を失った。
12月15日(日)
もぐが週2で夕方からのワークショップみたいなのに行きたいと言い出して、S君に「行く前にお腹が空いてなくても何か食べること」という条件をつけられていた。このままだと、食べなさ過ぎて背が伸びない気がする(危機感)。
吉田『消滅した国々』を読み終わった。第二次世界大戦後になくなった183カ国をひたすら紹介していく本。範囲が広過ぎるのに、読みやすくまとめてあるので、どこまで正しいのか疑問だが、特に注の小ネタが面白かった。
シンガポールは朝起きたらいきなり独立してたとか、ミロシェビッチの兄はモンテネグロ人(モンテネグロかセルビアかは自己申告)、ヨルダンとイラクは王様が兄弟で、連邦になろうとしていた、今のチベット仏教が確立する前は宗派争いが盛んで、古くからあるボン教はお参りする方向や卍が逆、クルド人は複数の国にまたがって居住しているが、政府は自国のクルド人勢力を弾圧して、他国のクルド人勢力を支援するので、クルド人同士で争うことになる、ホームランド政策は、荒れ地に黒人を居住させて独立国とし、実際は白人居住地に来させて労働させるが、出稼ぎ労働者という形で権利を制限する鬼畜政策、宗主国のオランダに逃げたまま暮らしているモルッカ諸島出身者が10万人いる、アフリカの王様にアメリカに亡命して看護助手として働いていた人がいる、バヌアツのカーゴ・カルトでは、蔓で巻いた櫓を電波塔にして神と交信しようとしたり、エジンバラ公を神と崇めている、などなど。
基本的に民主化すると、民族主義に走って争うし、資源が出ると、利権の分配方法で国内で揉める。そして何より凄いのが、これだけ各国の事情を読んだ後の、10年ぶりに日本にもどってみたら、故郷の大宮市が合併して、浦和の植民地と化していた、という著者あとがき。旧大宮市と旧浦和市は人口50万弱程度であまり変わらないのに、小学校の副読本では浦和中心の偏向教育って、この本では2万人だの5000人だので国作って争っているところもあるのに。私も高槻市と枚方市と茨木市が合併して、枚方偏向教育が行われたら怒るかも。
(54)7月8日第7ステージ。ヴィンゲゴーはプランシュ・デ・ベル・フィーユの24%の激坂でアタックしたが、最後の数メートルでポガチャルのスプリントに敗れた。
この結果にユンボ・ヴィスマには楽観論が広がった。
監督グリーシャ・ニアマン「優勝できなかったのは残念だが、ポガチャルが勝つと確信していた。彼にとって完璧な登りだからね」
セップ・クス「ポガチャルの方がはるかに有利なフィニッシュで、ヨナスはポガチャルに迫ることができた」
本人「残り100メートルで勝てると思って頑張ったけど、最後の20メートルで彼が来て、応えられなかった。後悔はしていない」
この結果、ヴィンゲゴーはポガチャルとは35秒差の総合2位に浮上した。
12月14日(土)
久しぶりにインスタで演技みたら、サーニャ上手になってるねえ。年明けたら、もう12歳か。
S君がもぐに買ったクリスマスプレゼントを収納する袋を作ったら、と言うので、布買いに行って選んで、10cmぐらいの巾着袋をめっちゃ真剣に作ったら疲れた。S君「あんなに家に布たくさんあるのに、わざわざ買いに行くのか」しかしまあ、中身が壊れにくいように分厚い内布つけて(S君の古いシャツだが)、モノに合わせてピッタリサイズの巾着作るの、それなりに面倒い。
トーゴヴニク『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を読み終わった。ルワンダ虐殺の時に強姦された女性30人にインタビューし、フツ民兵に強姦されて生まれた子供との写真を載せた本。2006〜9年のインタビューだから、子供は中学生ぐらい。中途半端な大判で、端っこまで文字があり、読みにくいのが難点だが、写真展してたというだけあって、写真は綺麗。インタビューは1人1ページなのに、殺されるより悲惨な話ばかりで(自分の子供とはぐれたり、目の前で殺されたり、自分を長期間輪姦したり、性器に異物突っ込んだり、尿を飲ませたりした相手の子を妊娠したり、HIV感染して治療を受けられなかったり)、読みにくいがもっと読まれるべき本だと思った。
(53)マイヨ・ジョーヌを着ていたワウト・ファン・アールトを含むアシスト陣は、必死にヴィンゲゴーをメイン集団まで引き上げ、ポガチャルとのタイム差を約1分から13秒まで縮めてゴールした。しかし、ログリッチは1分55秒のタイムロスとなり、総合7位から44位まで沈んだ。
監督フランス・マーセン「正しい判断ではなかった。セップ・クスのバイクに乗るべきだった。でも、ここぞというときに正しい判断ができるとは限らない」
後にヴィンゲゴーは、この時のバイク交換騒動について、当時は笑うどころじゃなかったが、「見たことないなら、YouTubeで検索したほうがいいよ、今年一番の笑い話だから」とゲラント・トーマスにオススメしている。
また、その後のアシスト陣による引き上げについて「ワウトはイエロージャージを犠牲にしたんだ。もちろん、実際はその後もキープしたけど、あの時はどうなるか分からなかったんだから」と語っている。
12月13日(金)
もぐって、マジうざ可愛いだけ(返答しようもないギャグを延々と仕掛けてくる)のイキモノなんだけど、この先大丈夫か。
エドヴァルドソン『ユダヤの星を背負いて』を読み終わった。私生児の娘として生まれた半ユダヤ人のエキセントリックな作家の母のもとに、私生児として生まれた著者は、幼い頃から他の人とは違うと感じながら育つ。母は4分の3ユダヤ人の娘に、移送を逃れるためにスペイン国籍を用意するが、役人にスペイン国籍を用意した母の違法性を問う、と言われて頓挫。14歳の時にテレージエンシュタット→アウシュヴィッツに移送され、著者は生き延びたが、母に捨てられたという蟠りがずっと残る。異父兄弟もいて、半ユダヤ人の母には動きようがないんだけど、まあ、そうなるよねえ…。
(52)7月6日、試合前から注目されていた石畳区間を含む第5ステージ。
「最悪の1日だった」とヴィンゲゴーは言った。「プリモシュはもっとひどくて、転倒してしまった。僕もアンラッキーだった」
ヴィンゲゴーのバイクのチェーンが外れ、それを見た身長193cmのチームメイト、ナータン・ファン・ホーイドンクは「ヨナスのバイクを急いで修理しようとしましたが、代わりにヨナスが自転車に飛び乗ったんです」監督グリーシャ・ニアマンは説明した。ヴィンゲゴーはサドルに座ってペダルを踏むことすらできなかった。再度ステフェン・クライスヴァイクのバイクに乗り換えたところにチームカーが到着、自分のスペアバイクに乗り換えた。「ちょっとパニックになってしまった。一日中緊張していました。今思えば、もっと違うやり方をするべきでした」
その後、ログリッチがコース内に飛んできた緩衝材を避けきれず落車。左肩を脱臼し、自分で元に戻したが、腰と背中も痛めた。
12月12日(木)
患者さんのお母さんが、オペ来年って聞いたんですけど、信用できないんで、先生に確認してもいいですか、と外来にやってきた。気持ちはよく分かるけど、30越えても何言ってるか分からんのか男子は…(絶望)。
(51)2022年7月、25歳のヴィンゲゴーは、地元デンマークの首都コペンハーゲンで開かれたツール・ド・フランスのプレゼンテーションに臨み、大喝采を浴びた。昨年とは違い、ログリッチとのダブルエースとしての出場だったが、デンマークメディアは結局は譲らされるのでは、と例によって噴き上がっていた。
ユンボ・ヴィスマの監督メリイン・ジーマン「私達は年間計画を色で示しています。緑色の選手はアシストです。黄色は自由な役割があり、赤はリーダーの役割です。ヨナスのレースカレンダーには赤しかありません」
本人「もちろん、今年は去年よりプレッシャーがかかっています。世界最大のレースで、エースの一人ですから」
インタビューに答えたヴィンゲゴーには、新たな地位や大きな注目に苦しむ様子は見受けられない、とメディアは語った。「プレッシャーはそれほど気にしていません。以前は問題を抱えていましたが、もう大丈夫です。ストレスに関しては問題ないと思います」
12月11日(水)
もぐ「これ、ひろゆきでも知らないよ」Z世代にとってはひろゆきは全知全能の神的存在らしい。
自分が受験生だった時は、友達が推薦で受かっても、別に羨ましくも何ともなかったが、娘の同学年が推薦で受かると、何となく羨ましい>悠仁さま。
(50)「私はヨナスのサイクリング以外の仕事の整理を手伝っています。私は少し年上なので、彼が集中する必要のない分野で、責任を負うことができます」とトリーネは言う。「ヨナスは自分の感情を隠す傾向があります。私達は一緒に、彼が態度や感情について、もっとオープンになるように取り組んできました。そうすれば、常に私が決めることもなくなります」
「ヨナスが他の人の良い模範となることが、家族にとって重要です」
2022年3月、監督メリイン・ジーマンはこう述べた。
「ヨナスがどれほど真剣か、どれほどプロフェッショナルかを見ると、一歩前進したことが分かります。昨年、私達は彼を少し守ろうとしましたが、今は、彼が自分自身や他人の期待に対処できるように助けることが大事です。多くの面で、成熟が必要です。特に、必要な時に実行できること。プリモシュ・ログリッチとワウト・ファン・アールトにはそれができます。私達は今、ヨナスにも同じことをして欲しいと思っています」
12月10日(火)
サイドナヤ、いきなり首都陥落したから、証拠隠滅する時間がかなり少ない強制収容所になりそう。というか、なっていて欲しい。
Z世代にウケる昭和の歌とかいって、歌手の後ろで正装した若い男性達が踊ってたけど、昭和だと後ろで踊ってるのは、露出度が高い服着てフワフワしたものを手に持ってる女だったよな。
もぐ、コップを見て「ノンタン、これの名前ノンタンだったよな!」。あんなにお世話になったのに、名前忘れてたのかよ…。
ヴィンゲゴーさんは誕生日だけど、トレーニングキャンプ初日なのね。
(49)ツール・ド・フランス後、ヴィンゲゴーにはさまざまな依頼が殺到した。
「テレビ番組をいくつか断りました。僕のガールフレンドに依頼が来るのですが、彼女はたいてい僕に聞かずに断ります」
トリーネは、ヨナスは他人を喜ばせようとする人間であり、それが時には自身を傷つけることになる、と述べ、すべての人を喜ばせることはできないし、そうするべきではない、と彼に教えたという。
「チームのエースになりたいのであれば、目立つ必要があり、自分の立場をはっきりさせないといけません。そうでなければ、誰もついてこないでしょう。サイクリストとしても、彼氏としても、父親としても」
「私は最初から言っていました。いつもみんなを喜ばせるような人とは一緒にいられないって」
12月9日(月)
兎用段ボールに引っかかった木乃を見て、いかなご「君、ねずみ返しを登れないタイプの犬だね」。1回の試行でそんなこと言わなくても…。
S君母に私といかなごのツーショを送ったら、「姉妹みたいね」という衝撃の返事が返ってきて、すべてを好意的に捉えるS君母の凄さを改めて思い知った。
いかなごさん「ハゲはいいんだけど、白髪と黒髪が中途半端に混じってるのは許せない」と力説していて、S君に白髪染めシャンプー勧めといて良かった、と思った。
(48)ツール・ド・フランスの2位はヴィンゲゴーに必要な自信をもたらした。
「彼は以前はライバルに対して、もっと恐怖心を抱いていたと思います。今ヨナスは、自分自身をもっと見つめ、何が得意なのか、勝つために何ができるのかを考えています。自分自身を100パーセント信じています」とトリーネは言った。
「プロとしてキャリアをはじめて数年が経ち、失敗するのが恐くてたまらず、自分にプレッシャーをかけ過ぎて、それに対処するのに苦労しました」
「以前は、人々が僕について書いたり、考えたりすることが、とても衝撃でした。緊張して、さらに自分にプレッシャーをかけてしまいました。だからニュースを読まず、人々が僕が間違ったことをしたと考えていることを知らないようにしています。他の人が何を考えているかを気にしないことを学んだのです」
「僕が応えないといけない相手は、家族とチームだけです。他には何もありません」
12月8日(日)
イリア、すべてクワドで、すべて刺さってるプロトコール凄過ぎ。
シリア、良かった。今後、より酷いことにならないことを祈るばかり。
政治犯が続々と解放されていて、40年拘束されていた人とかもいるらしい。監房から幼児が出てきた動画には慄いた。
診察で患者さんが質問に答えてくれないのは想定内だけど(むしろ答えてくれると驚く)、「去年化学療法行った時に」て言われて本人の話だと思ってせっせと病歴聞いてたら「去年(愛犬を)化学療法(に他県まて往復数時間かけて連れて)行った時に」だった時は崩れ落ちそうになった。
(47)2021年冬、ヴィンゲゴー一家は家を購入した。家について何をどうするかという問いに、いつも通り「何でもいい」と答えたヨナスに腹を立てたトリーネは「自信をつけさせるために」家を改装させることにした。
「最初は、そんなこと無理、と言っていましたが、結局、壁を壊してキッチンを取り付け、床も敷きました。それでヨナスは、自転車以外にもできることがあると自信をつけたのです」
そんな自信のつけさせ方もあるのか。
彼氏に「大人の男になって欲しかった」トリーネは「自転車レース以外の話もできるように、新聞も読むように言いました」。
12月7日(土)
職場の忘年会で賞状もらって、筒も(久しぶりに見た)もらったら、もぐが喜んで何かに使うと筒を引き取ってくれた。
(46)この「クレイジーな」1年から何を持ち帰ったかを問われたヴィンゲゴーは「自分を信じること」と答えた。「僕はここ数年で精神的に大きく成長しましたが、まだまだ成長する必要があります。特に、エースになることを考えています」
観戦に来ていたヴィンゲゴーの両親もインタビューを受けている。「私達はヨナスがプロになるのを助けました。そこからトリーネとフリーダが今の彼を作りました」
表彰式を見た母カリーナは、祖母として孫とともに表彰台に上がる息子を見るのは、とても幸せだと述べた。「(フリーダが)表彰式で着る、小さなユンボ・ヴィスマのドレスを縫ったんですよ」
12月6日(金)
医局に激震が走った>中山美穂。
遠藤『チャーズ 中国建国の残火』を読み終わった。元々米相場を動かしていたのを、米価高騰で庶民を苦しめるのを嫌ってやめて、金光教に入り、麻薬中毒に効く薬ギフトールを開発し、中国には麻薬中毒に苦しむ人がたくさんいるから、と満州国に渡り、薬品工場を作って大儲けし、そのお金を関東軍に寄付して飛行機を献納したりしていた父親の元に生まれたのが著者。敗戦で長春に流れるが、有用な薬を作れる著者の父は帰国させてもらえず、最初は国民党、次に八路軍、そしてまた国民党のもとで薬を作り続ける。
こうして国共内戦の長春包囲戦に巻き込まれた著者一家は飢えに苦しみ、国民党支配地から脱出したものの、包囲側の八路軍の支配地には入れてもらえず、餓死した死体で埋まった境界地の荒れ地で時を過ごすことになる。この時の関所のことをチャーズというらしい。薬を作れるということで、何とか解放区に入れてもらえた一家は延吉に脱出できたが、この時7歳の著者は結核に侵され、死ぬ寸前のところを親が借金して手に入れたストマイで助かる。
その後、一家は天津に移動して暮らし向きもましになるが、著者は朝鮮戦争で再武装した日本に対する反目や、目の前で溺れ死んだ人を複数回見たこと、餓死死体の上に寝ていたチャーズで目撃したことのPTSDで苦しみ続ける。著者の言語表現が豊か過ぎて、餓死寸前になると体がどうなるかとか、死体の様子を細かく描写しているのが恐い。1941年生まれでもこんな体験している日本人がいる。
(45)7月17日、ヴィンゲゴーは個人TTを3位で終え、無事に表彰台の2位を確保した。
記者会見で彼は、問題は他人が自分に期待していることではなく、自分が期待していることだと述べた。
「チームの反応を恐れていたわけではありません。自分の期待が大きくて、やりたいことができるか不安になりました」
「大きなプレッシャーがかかりましたが、自分に対する期待に対処する方法を学んだように思います」
「ツール・ド・フランスは、最もストレスがかかる場所ですが、そのストレスに対処できることを示すことができて嬉しいです。ここよりもひどいところはありませんから」
「以前は練習でいい走りをしても、すぐに結果が出なかったら失敗だと思っていました。今はこう思います。『分かった、全力を尽くして結果がどうなるか見てみよう』」
12月5日(木)
夜の間、居間に放たれている柑兎は、朝私と一緒に木乃が居間に出てくると、木乃の周りをグルグル廻って、低音を響かせるのだが、いかなごによると、喜んでいるらしい。
疲れた。
(44)もちろんユンボ・ヴィスマはヴィンゲゴーのメンタル面に細心の注意を払っていた。なにせわずか2年前には「これまで見たことがないほどの不安」を示していた選手である。
監督メリイン・ジーマンは、ログリッチがリタイアした後、チームはヴィンゲゴーをエースにすると決めていたが、本人には決して告げず、「ステージ前のチームブリーフィングでは、選手一人一人に目標やアドバイスを与えましたが、ヨナスには何も言いませんでした」と語った。
本人「実際、チームはツール・ド・フランス前に、僕が表彰台に上がれると信じている、と言っていました。でも、僕にプレッシャーをかけることはありませんでした」
監督グリーシャ・ニアマンも、セップ・クスに、ヴィンゲゴーが考え込まないよう注意するように釘を刺しており、ジーマンは「最終日前日の個人TTの前夜になって初めて、目標は2位になることだとヨナスに伝えました」と述べた。
12月4日(水)
凄いなあ韓国。さすが30数年前まで軍政下の国は違うというか、隣の国だし好きじゃなかったけど(滋賀県みたいなもん)尊敬の念が。戒厳令が解除されたこと以外はいいことない、って言ってるのが気の毒。
(43)Odder Cykelklubの元監督クリスチャン・モバーグと、コロクイックの元監督クリスチャン・アンデルセンも心配していた。
「私はグリーシャ(・ニアマン)に、冷静にこれまでと同じように行動し、ヨナスのために何も変えないようにするべきだと言いました。起こり得る最悪の事態は、周囲で騒音が起こり、彼を緊張させてしまうことでしょう」
「ヨナスは他の多くの選手よりも成長が遅れており、もっと良くできる事がまだたくさんあります。最近では、ツール前のトレーニングキャンプで膝に問題を抱え、少し自信をなくしていました」
7月14日、第17ステージを終えて、ヴィンゲゴーは総合2位に浮上した。ヴィンゲゴーの様子を聞かれたマイク・テウニッセン「すごく静かで、時々ぼーっとしている。誰かのシャツをとったりする」「でも、とても勉強熱心で、とにかくよくやっている」
先輩フォローを怠らない。
12月3日(火)
姉と違い、もぐは木乃を可愛がってはいるが、木乃の顔のそばでオペラ歌ったり、うざがらみして、その後謝罪と称して目の前で土下座したり…怒らない木乃がさすがだわ。
(42)ユンボ・ヴィスマの監督メリイン・ジーマンは、ヴィンゲゴーはポガチャルに挑む希望なのか、という問いにノーと言い、ヨナスがスロベニア人を引き離したのは「とても嬉しいサプライズ」だったと述べた。
後にヴィンゲゴーは「あの瞬間は、僕のキャリアにおける重要なポイントでした。あの時から大きなステージに足を踏み入れたのだと思います」と語っている。
7月11日の第15ステージはセップ・クスが優勝したが、ユンボ・ヴィスマの5人中3人が逃げに乗ったことで「メイン集団にヨナスは取り残された」「オランダ人はデンマーク人を守ることに興味はないのか」とデンマークメディアは噴き上がった。
監督メリイン・ジーマン「私達にとって、ヨナスが最終的にどの位置につくかは重要ではありません。彼はプレッシャーを感じずに走る必要があります。これをしなければいけないとか、何か特別なことを達成しなければならないとは言われません。ヨナスは若い選手です。彼が成長に喜びを感じられるようにしたいと思っています」
「ヨナスと私達は計画を立てており、2、3年以内に彼をチームの最も重要なエースの一人にしたいと考えています。私達は一歩ずつ進めています」とジーマンは述べた。「私達をもう少し認めて、信じて下さい」
ユンボ・ヴィスマも大変である。
12月2日(月)
12月に入ると、患者さんの「良いお年を」がはじまる。
唐突にクーポンが来たので、ガラス細工を置くミニチュア壁掛け階段を買った。
いかなごの同級生が遭遇した、制服を着た高校生に次々と凸して、内情と合格方法を探ろうとする、遠方在住の中受生の母が恐い。
(41)アタックは計画していたものではなく、即興だったとヴィンゲゴーは述べた。「世界最高の選手の一人を引き離したことは、確かにある程度の自信を与えてくれます。でも、これは僕にとって、まだ2回目のグランツールに過ぎません。もしかしたら3週目には完全にダウンしてしまうかもしれません」「僕はサイクリストとしての自分のことを、あまり良く分かっていません。うまくいったことに驚いています」
「チームがこのツール・ド・フランス中、ヨナスを隠そうとしていたことは疑いの余地がありません。しかし、もうそれはできません。予想以上に早く、注目を浴びるようになったからです」Odder Cykelklubの元監督、クリスチャン・モバーグは語った。「しかし、ヨナスは非常にうまく管理しています。彼は外の世界を遮断するのがとても上手です。メディアを見ないし、トリーネと話をして、それで終わりです」
「私はユンボ・ヴィスマが彼を信じていると、いつも感じていました。ヨナスが初めからログリッチのバックアップだったことは間違いありません。誰もそれを言わなかっただけです。彼を守るために」
12月1日(日)
アレッポ陥落って、反政府勢力も何がなんだか分からないし…。
(40)7月7日、モン・ヴァントゥを2度登るという頭のおかしい第11ステージ。ヴィンゲゴーは、2回目のモン・ヴァントゥの登りでアタックし、マイヨ・ジョーヌのポガチャルを引き離した。下りで集団で追いつかれ、同タイムフィニッシュとなったものの、総合3位に浮上した。
この山岳ステージでは独走したワウト・ファン・アールトが優勝、一方でトニー・マルティンが落車により途中リタイアし、チーム3人目のリタイア者が出るなど、ユンボ・ヴィスマは悲喜こもごもだった。
魔の山モン・ヴァントゥで、登りでポガチャルを上回った初の選手になったことで、ご褒美出場したログリッチの影のデンマーク人アシストは、俄然注目を集めることになる。
11月30日(土)
もぐ、休んだ日のノートを、同じ部活の友達にねだって、ラインで写真送ってもらってた。便利過ぎる。
いかなごの担任、この期に及んで、どうでもいい校内ルールをきちんと実行することの大切さについて延々と語ったらしく、「あの先生、頑張る方向が間違ってるんだよね」「もちろん(その話)聞いてなかったけど」と言っていた。大人だな。
もぐの足の指の怪我、家だとギャーギャーうるさいので、病院まで来させて処置したが(ギャラリーがいると静かだった)、その後は数日であっさり治って、さすが子供は違うと感心。
記事まとめ、長いので、最初の方はこちらにまとめた。まだまだ続く。
(39)「近づいてきて『よくやった』と言ってくれる人がかなりいます。特にデンマーク人です。みんなが応援してくれている気がして最高です。彼らはあまり期待はしていないようですが、僕が順調なことを喜んでくれます」
記者達は、謙虚で内気という言葉がよく似合うヴィンゲゴーは、質問に丁寧かつ気持ち良く時間をかけて答えてはくれるものの、取材は避けたいと考えており、自分のことを話すのがあまり好きではないようだ、と評した。
「びっくりしました。もちろんツールで良い成績を残したいとは思っていましたが、初の休息日に4位というのはかなりクレイジーだと思います。それは認めざるを得ません」とヴィンゲゴーは述べた。
11月29日(金)
たぶん今日が最後のいかなご弁当。
最近、木乃は受験生のストレス発散に使われており「何もしないで寝てばかりいやがって」だの「汚らわしい」だの言われているが、S君が「(犬を)目に入れたら負け」と言っていることを職場で言ったら、どんな家庭やねん、と心配された。
シャー『人類五〇万年の闘い』を読み終わった。失敗の歴史を繰り返し、根絶に至っていないマラリア対策の話。戦争(兵士の移動でマラリア原虫が持ち込まれ、塹壕に水が溜まって蚊が増殖)、奴隷貿易(熱帯熱マラリアを持ったアフリカ人がアメリカに移動)、人口増、旅行、気候変動に開発など、さまざまな要因でマラリアは突発的に増える。
初期のサウスカロライナ州で生まれたヨーロッパ系アメリカ人は20歳になるまでに86%が死んでいたとか、キニーネはイエズス会によってヨーロッパにもたらされたので、当初は馬鹿にされていた、キナはもともと高地に生えるので、栽培が大変で貴重、効能にはムラがあり、当初の使用容量は少な過ぎた、DDTは昆虫の数を劇的に減らし、一時スリランカの平均寿命が12歳伸び、インドネシアの米生産量が10倍になった、クロロキン添加食卓塩が供給されていた、アフリカに薬剤添付蚊帳を配布したが、使用すると不妊になるとか子供が死ぬとかいう噂が流れ、実際に使われたのは17%以下だった(蚊帳だろうがワクチンだろうが一緒なのねえ)、ビル&メリンダ財団が効果の薄いマラリア対策を金の力で実行しようとして大変など、色々興味深かったが、一番驚いたのは、パナマ地峡のかの蚊対策は(マラリア耐性のない黒人労働者もいるのに)白人労働者のみが対象だった、という話。
(38)「僕はログリッチのアシストとして、ツールに参加しました。学ぶために参加したので、アシストとして走りきることを望んでいました。でも、今チャンスが来ました。それを掴むように努めなければなりません」第8ステージ前にヴィンゲゴーは言った。
第9ステージから繰り下げで新人賞ジャージを着用するようになったヴィンゲゴーは、ツール最初の休息日の時点で総合4位に上がっていた。
「僕はプリモシュの陰にいました。常にその方が好きでした。でも、今はそれは不可能です」
「今、自分が受けている注目については、考えないようにしています。同じ理由でニュースも読みません。デンマーク人が大きな期待を寄せていることを知っているからです」
「僕が表彰台に上がれる、あるいは良い結果を出せる、と考えている人がいると知ると、精神に何か影響を与えるかもしれません。僕は自分のレースに集中する方が良いことを学びました。ソーシャルメディアに関することはすべて避けています」
11月28日(木)
「◯◯のわからず屋」って死語じゃない?
もぐが友達と遊んでて、学校の備品を壊したらしい…。
(37)2021年6月、ヴィンゲゴーはツール・ド・フランスに初出場した。
「チームバスの中では、僕をプリモシュの影と呼んでいます」インタビューでヴィンゲゴーは述べた。「サドルの高さがプリモシュと同じなので、彼の後ろについていなければいけません。そしてプリモシュが問題を抱えた時は、僕の自転車を彼に渡さなければなりません」
6月30日、第5ステージの個人TTで、ヴィンゲゴーはワウト・ファン・アールトやデンマークチャンピオンのカスパー・アスグリーンを抑えて3位に入り、知名度を上げる。「TTの後、スター達がお祝いを言いに来てくれて嬉しかったです。リッチー・ポートが来てくれたし(1位の)ポガチャルもうまくやったと言ってくれました」
ところが、エースのログリッチが、落車と怪我により7月2日には9分遅れとなり、第8ステージを最後にリタイアした。ユンボ・ヴィスマは第7ステージ終了時点で総合11位につけていたヴィンゲゴーに賭けるか、それともステージ優勝に賭けるかの選択を迫られた。
監督フランス・マーセン「ヨナスは学ぶためにここにいますが、学習速度はとても速いです。TTは素晴らしかったし、山岳でも同じ強さを発揮してくれることを願っています」
11月27日(水)
最近、朝起きると、S君が除皮質硬直体勢で寝てるので、毎回ビビる(初めて見た時は叩き起こした)。他の寝方はできんのか。
卵を買うのを忘れて、いかなごに依頼したら、いかなごも忘れたので、オムライスの予定が錦糸卵(1個だけ卵残ってた)乗せチキンライスになった。いかなご「これはこれで新しいな。SNSに乗せたらバズるかもよ」
いかなご「どうしてお母様はそんなに犬に甘いの!いつか酷い目に遭うよ!」
私「酷い目ってどんなの?」
いかなご「一生犬に顔を舐められたり」
…別によくない?
(36)2021年4月、ヴィンゲゴーのツール・ド・フランス出場が決まった。
「ヨナスはツールで重要な役割を果たすと信じています。彼の選出は、好成績に対するご褒美です。理論的には、ヨナス自身もグランツールの候補になれます」と監督グリーシャ・ニアマンは述べた。「ヨナスはタイムトライアルも優秀です。しかし成長には時間が必要です。その点では、ステフェンやプリモシュと一緒にグランツールに参加し、彼らを助け、彼らから学ぶことほど素晴らしいことはありません」
デンマークメディアは盛り上がった。デンマーク自転車界のレジェンド、ブライアン・ホルムは、ヴィンゲゴーを「新しいフルサン」と名付けた。
「もしヴィンゲゴーが、山岳ステージのいくつかで、残り数キロまでエース達と走ることができれば、良い成績を収めたと言えるでしょう」
「毎日彼を見ることを期待すべきではありません。高山では、ヴィンゲゴーとアメリカ人のセップ・クスが、ログリッチの世話役を交互に務めることになるでしょうから」
「今のヨナスは、いつかグランツールで表彰台に上ることができる選手のように見えます。少なくとも彼には可能性がありますし、我々は夢見ることができます」
11月26日(火)
この時期よくある「喪中はがき失踪の謎」が発生(困)。
足の指の怪我の感染で学校を休んだもぐが、幼児の頃のように、どうでもいいことを延々と喋っていてうるさい。「だって今日学校行かなかったから」なるほど、学校にはそういう効果があったのか。
(35)「ヨナスはアキレス腱にちょっと問題を抱えていました。イツリア・バスク・カントリーの前は、ほとんどトレーニングをしていなかったのに6位になり、ツアーで総合優勝するチャンスさえありました」ヴィンゲゴーはポガチャルを抑え、ログリッチに次いで総合2位となった。「その時、プリモシュが『ヨナス、君ならツールに勝てる』と言ったのが印象的でした」
ちなみに、コロクイック時代のチームメイトも「ヨナスは自分達よりもずっと少ないトレーニングで済むし、より早くスピードに乗れる」と語っている。「それから彼は成長しました。結果を出すことで、自分が本当に優れた選手だと分かります。それにデータ見ると、彼の能力は信じられないほどでした。そこから大きな自信が生まれます」
デンマークの元選手クリス・アンカー・セレンセン「イツリア・バスク・カントリーは、最も過酷な1週間のステージレースだと思います。本当に嫌なレースです」「ユンボ・ヴィスマは近いうちに引き継いでくれる若い選手を必要としていますが、現時点ではヴィンゲゴーが最善の候補でしょう。3、4年すれば、あるいは2年以内にはチームは彼に賭けているかもしれません」
「ログリッチとトリーネは、ヨナスの中にツールで優勝を目指して戦える選手を見出しました。これが彼を完全に変えました」フランス・マーセンは、ヴィンゲゴーの成長と成熟の過程において、根本的な役割を果たしたのは妻だと語った。「彼にとっては、妻と娘が最も大切な存在です。もちろん、ツールで優勝するよりもずっと大切な存在です」
11月25日(月)
そういえば、小泉悠氏が言っていた、ロシアが民間人を大量殺戮するが、トップを暗殺したりしないのは、そういうことはよろしくない、という発想があるんじゃないか、という話が興味深かった。独裁者神授説的な。
(34)2021年2月、24歳になったヴィンゲゴーはUAEツアーに参加。第5ステージ、険しいジェベル・ジャイスのフィニッシュで、前年のツール・ド・フランス覇者タデイ・ポガチャルを破り、ステージ優勝を果たした。
デンマーク自転車界のレジェンド、ブライアン・ホルム「ヴィンゲゴーはチャンスを掴みました。誰が2位か、見て下さい」「ヨナスは優しい子で、みんなに好かれています」
クリスチャン・アンデルセンは、転機が訪れたのは3月のセッティマーナ・コッピ・エ・バルタリだと言う。「ヨナスは2ステージで勝ち、総合優勝しました。全員を圧倒しました」
ユンボ・ヴィスマの監督フランス・マーセンによると、ヴィンゲゴーが自信を持ってストレスを忘れ、プレッシャーを取り除くことができるようになったのは、4月のイツリア・バスク・カントリーからだという。
11月24日(日)
留め袖分解した布でサーキュラースカート作るのに、扇形に内接した二等辺三角形の底辺の長さ(S君「弦ね」…そんな言葉あったなあ)知りたくなったんだけど、ちゃんと値出してくれるサイトあるのねえ…世の中便利だわ(感謝)。
悪魔おじさんは東ドイツ出身なのか。
若宮『イランの地下世界』を読み終わった。イラン大好きな著者が語るイラン人論。イランって、アラブ人は一部なのね(イラクはアラブ人主体らしい)。一番びっくりしたのは、ホームパーティに行くと、他人がいても普通に女性が露出度の高い格好をしており、世界で最も世俗的なイスラム教徒と言われている、ということ。酒が流通しているイスラム教国は珍しいらしい(一応ムスリムだけど、元々ゾロアスターだし、みたいな)。
著者が言うように私的には「アラブの北朝鮮」というイメージだったが、イラン人は国内メディアではなく、衛星放送を見ているため、イスラム革命はオワコン、世俗主義で発展したトルコやアラブ諸国を見て、自国の没落ぶりに溜息、という感じらしい。でも、失業率が高く、経済制裁下のイスラム独裁でも、中間層が多いのはさすがオイルマネー。
イスラム独裁は崩れていないのは(最近のデモ後は、女性がベールを被っていなくても、取り締まらなくなったらしい)、信仰心はないが今の政権の既得権益で生きている人々が必死に政権を擁護しているから、らしい。検閲はしているが、たくさん本も出版されているし、美容整形も流行ってるし、統制具合も微妙なのね。
イラン人は、一時期イラン人労働者がたくさん来日していたため、基本的に親日で、人とすぐ打ち解けて親切ではあるが、嫉妬深く(チャドルをかぶったイスラム宣伝局の女性民兵が私怨で密告したり)、特に内容がなくても喋ることがマナーとされており、裏付けのない自信を持ち(ツアーガイドの説明に、自分の考えを口々に喋りだすって嫌すぎ)、みんなが個人事業主になりたがる(客よりも店の方が上)。これがイランが昔から今に至るまで独裁者に支配され、遵法精神が低く、優しくない政治や社会になっている遠因と著者は考える。
(33)この頃、デンマークでは、次期グランツール期待選手としてヴィンゲゴーの名前が挙がりはじめた。
デンマーク代表監督アンダース・ルンド「彼はデンマークの自転車界ではまだあまり知られていない存在ですが、ツール・ド・ポローニュで2年連続で上を目指して走れることを証明しています」
2020年10月、ヴィンゲゴーは初のグランツール、ブエルタ・ア・エスパーニャに参加した。3週目の第11ステージ、ファラポナ山頂フィニッシュでは、約20kmに渡って先頭を引き、翌第12ステージ、アングリルでも、無事ログリッチのアシストを務めた。
ブエルタを途中リタイアしたトム・デュムラン「ヨナスはいい奴だよ。彼はとても才能がある」
ヴィンゲゴーは2022年にこう語っている。「プリモシュは、2020年末にチーム内で、僕にツール・ド・フランスで優勝する能力があると言いました。チームは、大きな試合で僕をリーダーにすることを少し躊躇していましたが、プリモシュは常に僕を擁護し、僕を信じていると大声で言いました。それは僕にとって大きな意味がありました」
両親によると、ログリッチは常に兄のように振る舞っていたという。
11月23日(土)
20年以上前「東京三菱銀行、泥棒銀行」とシュプレヒコールを上げるおじさんが河原町今出川にいたそうだが、予言者だったか。
小泉悠氏(今は電燈さん)のNFの講演会聴いてきた。3時間弱、小休憩のみで立ったまま話しっ放しで凄かった。安定的に社会に馴染めない人を輩出するのは、東は早稲田で西は京大らしい。早稲田って私学なのに、そういう感じなのか。
ウクライナの話では「クリミア侵攻を世界は一致して止めるべきだった」というのと、兵力はある程度推定できても「政治指導者と国民の考えは読めない」「ザルジニーは、プーチンは15万人兵隊が死んだら諦めるだろう、と思っていたがそうではなかった」「プーチンはゼレンシキーの出方を、ウクライナはプーチンのロシア兵の死亡数に対する許容度を見誤った」というのが印象的。
講演後の質疑応答で出た質問は、的を射たものが多かったが、質問者がSNSいつも見てます、と言う度にドカンドカン観客がウケるのが面白かった。全体的に全裸中年男性の力というか、人徳が目立っていた感じ。
それにしても、法経の中に入ったの、たぶん麻原彰晃の講演の時以来だわ。もう30年以上前やん。今でも掲示板に色々なチラシ貼ってあって、懐かしかった。
一方、もぐも小学校の友達とNF廻っていて、コスプレイヤーのダンスを見たり、水泳部の人にお湯風船を投げたりしたらしい。
(32)2020年9月、ヴィンゲゴーにとって人生最大の事件が起きる。長女フリーダの誕生だ。娘の誕生は、本当に重要ではないことを相対化させ、ほとんど絶対的な心の平穏をヨナスにもたらしたという。
「フリーダがこの世に誕生したことは、彼にとって啓示でした。子供を持っている人なら、誰もが共感できると思います。子供が生まれたことは、ヨナスの力になりました」とクリスチャン・アンデルセンは言う。
出産のためチームを離れていたヴィンゲゴーは、エースのログリッチが個人TTで57秒差をポガチャルに逆転され、ツール・ド・フランスの優勝を逃したのをテレビで見ることになる。
11月22日(金)
いかなご「勤労感謝の日って何に感謝するの?」
私「勤労にじゃね?勤労させていただいて、ありがとうございます」
いかなご「そうはならんやろ」
「なんかジロに出ることになってるから、出るのかも」って発言から、「ジロに出る」「ジロに出ない」って両パターンの記事書かれてるのの面白い。あと、オフィスの中、走ってくれるのは楽しそう。
もう一ヶ月も↓これ書いてるのに、全然終わらない。まだグランツールに出てさえいない。
(31)クリスチャン・アンデルセン「トリーネはヨナスに穏やかな雰囲気を作り出します。ヨナスが行き着く可能性のあるさまざまな考えに対して、家族はある種の車止めとして機能するのです。最悪のシナリオが実現して、自転車に乗ることができなくなったとしても、愛する家族とともに家にいることはできます。それも悪くはありません。安全、それは彼にとってすべてを意味します」
本人「トリーネは平安を見つけるのをとても助けてくれ、その中でもっと休むことができるようになりました。何も恐れる必要はない、と彼女は言いました。それが大きな自信になりました」
トリーネは他にも彼氏にあることをやらせていた。DIYである。
本人「例えば、先週は家の一部を塗装し、今週はソファを塗りました。義理の両親の助けを借りて、新しいガレージを作っていますし、自分のジムも作っています」
11月21日(木)
87歳の患者さんと「名前は読めるのが一番」だと、またしても同意した。皆さん、子には読める名前をつけましょう(定期)。
もぐのお下がりの制服とコートが見当たらない、ということで私が探したが、当然のように見つからず、S君が探し始めたら一瞬で発見された。冬コート、去年試着した時は肩幅が合わな過ぎて1年後は無理じゃないかと思ったが、大きくはあるが全然着られた。
(30)チームはもちろん、メンタルコーチングの専門家のもとにヴィンゲゴーを通わせた。しかし、うまくはいっていないようだった。
トリーネは当初、彼氏の精神的問題に介入したくないと考えていた。しかし、ツール・ド・ポローニュの後、 試合前のストレスや緊張について2人は話しはじめた。
「ヨナスは大事な日には夜明けに起きていました。目を覚ますと、レース中に起こりうるあらゆる悪いことを頭の中で考えるのです。そして、自分を精神的に苦しめはじめます」
トリーネは音楽を聞いたり、電話で話をしたり、チームメイトやスタッフと自転車以外の話をして、悪いサイクルを止めることを提案した。「話をすることで頭の重さを軽くするのです」「ヨナスは考え事で圧倒されていました。私は少し厳しく言い過ぎたこともあります。これが世界の終わりではないのよ、と」
11月20日(水)
顔中にテープ貼ってたら(理由はお察し)
帰ってきたもぐ「…ママ、どうしたの…女の一番大事な顔が…(´・ω・`)」
姉「もぐ、なかなかいい感じに育ってるな。育てた甲斐があったわ」
昨日、S君が唐突にキャッサバを買ってきた。毒あるよね、ってみんなで検索した挙げ句、下茹でして、昨日はS君がキャッサバフライとキャッサバの煮っころがしにしたので、今日は肉ジャガキャッサバとキャッサバサラダにしてみた。繊維多めの芋で美味しいけど、固いところと柔らかいところが混在しているので、そのままでは使いにくくはある。
藤森『丸刈りにされた女たち』を読み終わった。フランスの二次大戦後の対独協力者リンチに興味を持った著者が、当時丸刈りにされた人の話を聞こうとした模様を綴ったエッセイ。「男が自国女性に対する性的支配権を取り戻したことを誇示して」笑いながら人の髪を切る映像は衝撃的で、子供の頃テレビ(『世界まるごとHOWマッチ』)で見たのを私も覚えているが、被害者でも話を聞くのは大変なのに、加害者と疑われた人の話を聞くのはそりゃ難しいにも程がある。占領地にも生命の泉協会があって、敵兵との間に生まれた人は各地に数万単位でいたらしい。ドイツ兵との性的関係の疑いがなくても、密告したと疑われたからだったり、たまたまでリンチにあった人もいたり、大した事じゃないのにそんなこと調べるなんて、という態度の退役軍人がいたりも(まあそりゃ戦闘や拷問に比べればね)。
(29)クリスチャン・アンデルセン「ヨナスはとても敏感な人間で、安心感を必要としています。彼はプレッシャーに本当に苦労してきました。特に期待のプレッシャーです」「ヨナスは本当に楽しい若者で、一緒にいて楽しいし、パーティーもできます。でも、彼には平和と安全が必要なのです」
チームもこのことはよく分かっており、「成長しやすいように、ヨナスを陰に置いておくようにした」。
Odder Cykelklubの元監督、クリスチャン・モバーグ「ユンボ・ヴィスマはヨナスの面倒を100パーセント見てくれました。彼らはヨナスを自由に行動させ、静かに成長させました」
父クラウス「ユンボ・ヴィスマは、ヨナスを締めるネジがまだたくさんあることを気に入ってくれました」。
11月19日(火)
数度温度が下がっただけで、朝、着替える気力を失うなんて、温度でオス・メス決まるカメさんワニさんを笑えないと思った。
帰宅したらS君が五十肩をおしてコタツ出してくれてた(幸)。
もぐが『冷たい方程式』を読んだ。「登場人物少ないんだね」←アレンジものを先に知ってる若人の感想。
(28)2019年8月、ツール・ド・ポローニュに出場したヴィンゲゴーは、第6ステージでパヴェル・シヴァコフとジャイ・ヒンドレーを破り、いきなりステージ初勝利を遂げる。
本人「プロになって1年目に、ワールドツアーのステージで優勝できるなんて、考えたことも願ったこともありませんでした」
このステージ優勝で、総合順位でも1位に躍り出たヴィンゲゴーだったが、また同じことが起きる。
「朝、ヨナスからの着信を見た時、何かが間違っていると分かりました」とクリスチャン・アンデルセンは語る。「彼と話すと、一晩中眠れず、朝食も食べられなかった、と打ち明けられました」
翌日のステージで彼は14分30秒遅れの81位となり、総合26位に沈んだ。
しかし、続いて出場したツアー・オブ・デンマークでは総合2位に輝き、この結果に安心したヴィンゲゴーは、ワールドツアーを続けられるとという期待を感じたという。「いつかグランツールでエースになれることを願っています」
11月18日(月)
チアン、ハリディ『マオ』を読み終わった。毛沢東が最初から最後までひたすら自分の快楽と権力を追い求め、平然と人を大量に殺したかを詳細に解説した伝記。肉体労働と語学が嫌いで、動乱を好み平和は退屈、死は素晴らしいと明言、良心を顧みなくていいのは英雄豪傑だけに許される考え方で自分もその一人だと述べ、ごろつきが権力を握って乱暴狼藉を働くのを楽しみ、残虐行為の視察報告を素晴らしいと称賛し、文革の虐待の様子を写真や動画で撮らせて鑑賞した毛沢東。
大した権力を持っていなかった中国共産党に、手下を犯罪行為に手を染めさせて共産党から逃げられなくしろ、地元民は殺し尽くせ、とモスクワは指令を出し(共産党の残虐さに土匪も服従するほど)、その通り残虐行為を働いた毛沢東はスターリンに気に入られてどんどん出世(粛清を行う方が常に正義)。
自分より兵力のある仲間の軍を次々と乗っ取り、自分に反対する勢力はAB団として拷問処刑、ソ連からの援助が受けやすい西北の根拠地への移動(=長征)が成功したのは、蒋介石がわざと逃がしたせいもあったが、それでも無理な行軍で大量に兵士が死ぬ中、毛沢東ら幹部達は横たわったまま担架で運ばせて移動(もちろん兵達から非難轟々)。国民党に負けそうな時、日本が攻めてくるが、日本に抵抗するつもりなどさらさらない毛沢東は、敵が前進してきたら逃げる、を基本戦術にして、漁夫の利を伺う。
1937年から10年間共産党の根拠地になった延安は、不平等と超重税に苦しむ。『中国の赤い星』は国内的にも絶大な効果があり、それもあって延安にやって来た若者達を集会に駆り出し、自分について何もかもを書くように強制し、整風運動で粛清の嵐。共産党支配下の農村では残酷な土地改革を行い、恐怖支配を植えつけたため、支配下に入って喜んだ民衆はいなかった。
国共内戦に勝利した毛沢東は、ソ連から原爆を含む兵器の技術移転を引き出すため&国民党から降伏してきた(始末したい)兵隊がたくさんいたため、喜んで朝鮮戦争に介入(この戦争で息子が死んだにも関わらず、事あるごとに顔を合わせ、週末も一緒に過ごしていた息子の妻に、息子の死を2年半伝えなかったというのが凄すぎる)。
軍事大国化を進めるために食糧を輸出して資金を捻出し、国内に飢饉が蔓延。その後も、他国に多額の援助をばらまいたため(しかも無理矢理貸し付けて、返済を要求せず)大躍進の後も、71〜3年は食糧不足が続いた。自国より豊かな国に援助を申し出て、相手国が喜ぶのを見て複雑な気分になった外交官の話が哀しい。まともな感覚を残していた幹部達に大躍進を非難され、復讐戦に打って出た文革では、紅衛兵には襲撃すべき著名人リストが渡されており、強盗もさせていた。北京からは1ヶ月で10万人が農村に追放されたらしい。
57年の共産主義サミットで「世界人口の半分が死んだら、残りは全部社会主義になるね」という演説をして周りをドン引きさせたり、演説では中国の名言格言をよく引用するが、外国人どころか、中国人にも意味不明とか、ハンガリー動乱に「ちゃんと反革命分子を粛清しなかったからだ」と言ったり、発言だけでもその滅茶苦茶ぶりが凄い。フルシチョフは「毛沢東を見ているとスターリンを思い出す。まるでそっくりだ」と言ったんだとか。
他にも、蒋介石の息子がソ連に留学に行ったまま帰してもらえず、長らく人質になっていたとか、林彪の息子が毛沢東の暗殺を考えていたというのも興味深かったが、誰々が実は共産党のスパイ、というのが多くて(宋慶齢とか)、信憑性はどうなんだ、と思うところもあり。
ちょっと印象が変わったのが周恩来。毛沢東と何とかうまくやりつつ、民衆から慕われた温厚な政治家、というイメージだったが、毛沢東にいたぶられ続けながら、忠実に卑屈に仕え(一晩中江青をなだめたりもし)マゾ気質があるとまで書かれるという(でも文革には積極的に参加)。初期から毛沢東のことを知ってるから、そうするしかなかったんだろうけど、抜群の外交能力がありながらこの人生は…。
(27)2019年2月、ヴィンゲゴーは移籍後初のレース、スペインのヴエルタ・ア・アンダルシア・ルタ・サイクリスタ・デル・ソルに出場した。
「ルタ・デル・ソルのレースに臨んだとき、ヨナスは緊張の塊でした。ストレスで朝起きると、熱が出ていました」ユンボ・ヴィズマの監督フランス・マーセンは語る。「レースには医師がいなかったので、スタートできるかどうかを私が判断しなければなりませんでした。ヨナスは恐怖心で力を発揮できず、最下位に終わりました(114人中109位)」「選手の多くが不安を抱えていますが、ヨナスの不安はこれまで見たことがないほどでした」
しかし、その後、非常に難しいステージでトップ10に入ったヴィンゲゴーを見たマーセンは「普通の選手ではないと思いました。できる時はできるので」
11月17日(日)
いかなご「最近デブってきた気がするんだよね。体重は変わらないんだけど」
私「受験までは体はデブるに任せて、頭だけ使ってればいいんでは」
湊『「モディ化」するインド』を読み終わった。もともとインドが民主主義国だという印象はなかったが(「民主主義の母国」と称しているらしい)、近年のインドを権威主義国家に変えているというモディ首相は、ヒンズー至上主義団体の奉仕団出身で(一人の命令にみんなが従うのに感心したらしい)、州首相時代にイスラム教徒をターゲットにした官製暴動(グジャラート暴動)を起こし(ヒトラー?)、自分の主張だけを流すテレビ局を作ったり、自らをガードマン、敵対勢力を非国民と呼び、SNSでフェイクニュースとヘイトスピーチを大量に流し(トランプ?)、記者会見では質問を全く受けず、メディアが批判的なことを言わないか24時間監視し、前政権を成長がなかったと非難し、個人支配と専門知の軽視が甚だしい(安倍?)らしい。
モディ政権下では計算対象が一部のみなのでGDPが不明で、国勢調査も最近やってないので正確な人口も分からない。雇用情勢は悪く、ニートの数が1億人、国鉄が3万5千人の募集をかけたら1250万人が応募、って桁が凄い。世界人口の6分の1がインド人と推定されているが、コロナの死亡者は3分の1がインド人らしい。あと、世界で最もインターネットの遮断が多い国だって。
(26)2019年2月、22歳のヴィンゲゴーはユンボ・ヴィスマに加入した。この時の彼は、控えめで、社交的ではなく、極度に神経質で、「怠け者だと思われており、誰も彼についてよく理解できなかった」。
「ヨナスとは同時にユンボに来て、最初のチームミーティングでホテルの部屋に一緒に泊まったのを覚えています」この時移籍した34歳のトニー・マルティンは、正直なところ彼のポテンシャルを見抜けなかった、という。しかし、マルティンはグリーシャ・ニアマンとの会話を覚えている。「ニアマンは、ヨナスは世界のサイクリング界で次のビッグスターになるだろう、と言っていました」
最初の練習合宿でルームメイトになったマイク・テウニッセン(当時26歳)の証言。
「全く喋らなかった。いつもガールフレンドと電話していて、こっちが何を言っても、聞いてはいるが、返事が返って来ない」
…そんな後輩、嫌やろ。
11月16日(土)
もぐの発表を見に行ってきた。早口過ぎて聞き取れない箇所がいくつかあったが、アクションは良かった(欲目)。他の学校の発表も見たが、脚本がイケてなさすぎた。
一方、いかなごは塾の面談を受け、あとは突っ走るだけですね、と言われたらしい。
(25)コロクイックの監督アンデルセン「山岳インターバルでキロ6.8ワットで走れば、U23レベルでは間違いなくトップです」。世界選手権に向けてヴィンゲゴーの調子は良く、期待されていた。
「レースが始まる前、ヨナスは全身が震えていて、完全に麻痺していました。いつもそうでした。良い結果が得られると分かると、彼は身動きが取れなくなるのです」ヴィンゲゴーは10分以上遅れ、63位でフィニッシュした。ちなみに、デンマークチームの最上位はミッケル・オノレで20位、優勝したのはマルク・ヒルシ(スイス)だった。
アンデルセン「ヨナスはプレッシャーに耐えられませんでした。以前から神経質で、ストレスの多い状況には対処が困難なのです。彼は、自分にはできない、と言い聞かせ始め、緊張して眠れなくなり、食事も取れなくなります」
11月15日(金)
職場のえらいさんに「まだ(勤続)10年なのか。20年ぐらいいるのかと思った」と言われた。馴染んでる?
モハメド・アリって191cmなのね。だから、細長くて蝶のように舞うのか。
(24)グリーシャ・ニアマンの証言。「ツール・ド・ロワール=エ=シェールは、本当に体を鍛えているか、レースができるかが大事になります。なので早く予約しようと思いました。すぐにヨナスにテストを受けてもらいましたが、結果は非常に良好でした。それで、メリイン(・ジーマン)にこう言ったのです『このチャンスを掴み、契約しましょう。彼がツール・ド・ラヴニールで優勝するまで待たないようにしましょう』」
こうして、21歳のヴィンゲゴーはユンボ・ヴィスマに青田買いされることが決まる。
2018年6月、ヴィンゲゴーとアンデルセンは、ベルギーの空港ホテルでユンボ・ヴィスマとの契約に臨んだ。
翌7月、落車で脳震盪を起こしたヴィンゲゴーだったが、デンマークU23代表チームの一員たる彼の次の目標は、9月にインスブルックで開催される、山岳ルートがある世界選手権での上位入賞だった。
11月14日(木)
息子の自作自演が見られると知ってドキドキ。
(23)「2017年から私達は毎週話し合っていましたが、グリーシャはユリウス・ヨハンセン(当時コロクイック所属、2017年世界ジュニアロードチャンピオン)やミッケル・オノレ(現EFエデュケーション・イージーポスト所属)に、より興味を持っていました」とアンデルセンは言う。
「ヴィスマの明確に定義された仕事のやり方が、少々抜けたところのあるヨナスには必要」「オランダ人とデンマーク人のメンタリティはそれほど変わらない」と考えていたアンデルセンは、常々ヴィンゲゴーを推していたが、ニアマンは大きな結果を出していない神経質な選手には特に興味を持っていなかった。
しかし、コル・デ・ラテスの最速登坂記録更新、同じく3月のドイツのアマチュアレース優勝、4月のフランスのレース、ツール・ド・ロワール=エ=シェールの新人賞、という結果を知ったニアマンは「あれが君がずっと言ってた選手か」となる。
11月13日(水)
ポガチャル、なんで罰ゲームみたいな髪型になってんの。
最近、もぐが少し人に通じるように話ができるようになってきた。あと、何かの引用をしたり、ニュースで話題になっている話もできるようになってきた。
(22)この頃、デンマークの研究グループがヴィンゲゴーのVo2MAXを測定した。
「私達は、彼がトレーニングの登山で記録を破ったという噂を聞いていました」とスポーツ生理学者ラース・ヨハンセンは語る。「ヨナスのデータは明らかにできませんが、他のアスリートよりも15%高かったです。アスリート間の差異は通常は小さく、2桁になることは非常にまれです。ヨナスの値は、チームデンマークでこれまでに測定された全てのアスリートの中で、トップに位置しています」
「遺伝が関係しているのは間違いありません。私達は多くのエリートアスリートを見てきましたが、ヨナスのようなレベルに到達するには、遺伝的素質と、優れたハードトレーニングを組み合わせる必要があります」
この結果はデンマークのテレビ番組でも特集された。
一方、コロクイックの監督アンデルセンは、オランダのワールドチーム、ユンボ・ヴィスマの監督グリーシャ・ニアマンに、以前からヴィンゲゴーを売り込んでいた。アンデルセンと元々知り合いだったニアマンは、後にチームカー無線の「come on Jonas, come on」で有名となったあのおじさんである。
11月12日(火)
昨日から温度が上がったので、生きる気力を取り戻した。
S君が喪中葉書を見て、85円なんて正気の沙汰ではないとうるさい。
(21)2018年3月、スペイン、アリカンテ近郊で行われたコロクイックのトレーニングキャンプで、ヴィンゲゴーはコル・デ・ラテスの最速登坂記録を更新する。それまでティジェイ・ヴァン・ガーデレン(当時BMCレーシングチーム所属)が持っていた記録を12秒上回る、13分2秒のタイムだった。
その時ヴィンゲゴーと走っていたコロクイックのチームメイト、エミル・ヴィニェボはこう語る。
「彼の潜在能力は明らかでしたが、将来チームメイトが世界最大の自転車レースで優勝するとは想像もしていませんでした」
ヴィニェボは「のんびりと、ストレスフリーな」態度を維持できたことが、彼を頂点に導いたと考えている。「ヨナスはユーモアのセンスが抜群です」
本人「精神的にも、肉体的にも強くなったと思いました。ワット数も増えましたが、精神的にも向上しました。物事のために戦うことを学びました」
後にクリスチャン・アンデルセンはこう言っている。「私達と一緒にいた時、ヨナスの進歩は直線的で、前進を止めることはありませんでした」
11月11日(月)
スタスタ歩いて、白髪もない患者さんが、カルテみたら91歳で、私も看護師さんもクラークさんも本人確認しまくり。
(20)たとえ将来を嘱望されていたとしても、この頃のヴィンゲゴーは、古い言葉でいう「三高」の正反対である。しかし、さすがは周りから面倒を見られることに長けている男、トリーネは彼の面倒を見はじめ、なんと根性を叩き直してしまうのである。
トリーネ「過保護に育てられたため、ヨナスは自立できず、自信も自尊心もほとんどありませんでした。私は難しい選択肢を提示し、彼はそこから学びました」
本人「僕は諦める傾向があり、困難な状況からは逃げていました。トリーネは、最初は嫌だった状況に僕を追い込んでくれました」
トリーネ「チームの無理な作戦にキレるのではなく、自分の意見を持つように勧めました」
「彼に自分の意見がなければ、そのうち私が轢き殺してしまうんじゃないかと思いました」
11月10日(日)
風呂掃除した。
アメリカとカナダの一部を相互交換する案、面白い。
(19)一方で、ヴィンゲゴーと付き合いはじめたトリーネは、彼の問題点にも気づいていた。
「初めて出会った時は、ヨナスはとても怠け者でした。プロ選手として、そんなことで意味があるのでしょうか?100パーセントの力を出し切るか、別の職業を選ぶかのどちらかです」
「出会った時は、彼はレースによっては簡単に諦めていました。でも、泣いても何の意味もありません。プロ選手になりたいなら、泣き言を言わずにちゃんとやらないと」
「勝つことが目的ではないのです。ベストを尽くすこと。毎回ベストを尽くせれば、たとえ勝てなくても悲しむことは何もありません。付き合いはじめた頃、よく彼とそのことを話し合いました」
そこから?そこからなの?
11月9日(土)
夕食時のもぐ「スケートと鍋。冬って感じだな」
ヴィーゼル『夜』を読み終わった。初版1958年。ユダヤ教の勉強に勤しむティーンエイジャーだったハンガリー人の著者の、ゲットー→アウシュヴィッツ→死の行進を経てブーヘンヴァルトで解放されるまでの体験記。集団銃殺を生き延びて帰って来た人の証言をみんなが無視する様子、移送されてきたハンガリー人に、44年にもなって何も知らなかったのか、と言うアウシュヴィッツの囚人、死の行進まで父とともに生き延びるも、その後病気で亡くなった父を見捨てたという罪悪感。多くの体験記と共通する部分が多い。
(18)当時32歳のトリーネの、ヴィンゲゴーの第一印象は「16歳かと思いました」
声をかけてきた彼に「私は犯罪者になりたくないと思いました」「幸い21歳でした」
「ヨナスはしばらくの間、私にちょっと夢中になっていました」年齢差もあり、最初は取り合っていなかったトリーネだったが「彼があまりにも主張し過ぎたので、数か月後に折れてしまいました」
「彼のように心優しい人に出会えることは滅多にありません。とても穏やかで、機嫌が悪くなったり、要求したりすることはありませんでした」管理職だったトリーネは、社内恋愛になるため、最初の数カ月は2人の付き合いを秘密にしていた。
「ヨナスはプロになるとは思っていませんでした。銀行員になりたいと言っていましたし、私は銀行員の妻になりたいと思っていました」
11月8日(金)
木乃が最近24時間元気過ぎる。君には至適気温なのかもしれないが、飼い主は生きる気力がなくなる温度なんだが…。
新規則で新人賞とかぶるから、UAEジャージ、オールアウトなの面白い。
(17)2017年、20歳のヴィンゲゴーは、4月に行われたワンデーレース、GPヴィボーで、カスパー・アスグリーンに次ぐ2位に入り、好スタートを切る。
しかし、5月に出場したノルウェーのレース、ツール・デ・フィヨルドで大腿骨を骨折し、しばらくベッド上で過ごすことになる。本格的に自転車に戻れたのは、9ヶ月後だった。
そろそろ怪我から復帰しつつあった2018年2月頃、大事件が起きる。ヴィンゲゴーは未来の妻に出会ったのだ。チームコロクイックの行事で出会ったトリーネ・マリー・ハンセンは、チームのスポンサー企業、牛の初乳管理機器システムの会社コロクイックに、マーケティングマネージャーとして勤めていた。
11月7日(木)
いかなごが、うちはお母様もお父様も1年家にいてもいいって感じだから(浪人も視野に入れられる)と言ってて、いいんだか、悪いんだか。。
(16)生活リズムを整えるため、という身も蓋もない理由で働きに出されたヴィンゲゴーは、ハンストルムにある水産工場で、午前6時から12時まで働いた。カーステン・ミケルセン、ミカエル・ヴァルグレンも同じ工場で働いていた。
「ヨナスはいつもとても早く来て、すぐに始めました」とミケルセンは語る。
父クラウスは言う。「普通の仕事も必要だということを彼は学ぶ必要がありました。自転車競技のキャリアがどうなるかは誰にも分からないからです」
水産工場での仕事内容は、魚の梱包、競り、事務など諸説あるが、魚の皮を剥いていたことは確かだ。
本人曰く「尻尾を持って皮を剥く機械に入れる」(その後は、女性達が手作業で切り身にする)
「朝は5時起きでしたが、水産工場で働くのは好きでした」
「何も考えなくてすむのは、本当に楽でした」
…どうなんだ、その感想は。
11月6日(水)
終身大統領や総統にならないといいけどねえ。この世の終わり感が凄いわ。北米が南米みたくなるのも恐い。
11月5日(火)
居間の照明が壊れたので、S君が古い蛍光灯を出してきてつけたら、なんと明るいこと!明るいって素晴らしい!
私は大学院の奨学金を返し終わったらしい。まだ返済していたとは。
(15)2016年に学校を卒業したヴィンゲゴーは、2017年からとあることをはじめる。
そう、ヴィンゲゴーといえば魚工場、fishermanという二つ名の由来となった「プロ契約の半年前までやっていたアレ」である。
しかし、巷で考えられているような「水産工場で生計を立てつつ、アマチュアとしてトレーニングに勤しみ、ついにプロ契約をゲット」的な物語とは全く無縁である。彼は生活費を稼ぐために働いていたのではなく、チームの監督に水産工場に働きに出されていたのだ。当時実家暮らしで、何なら機材代も親が出していた説のあるヴィンゲゴーは、働く必要はなかった。
コロクイックの監督、アンデルセンはこう語る。
「他に何もすることがなかったら、トレーニングに出るのが12時か13時になる可能性も十分にあります」
「毎日の生活にリズムを与え、時間管理を学ぶために、ヨナスは何か他のことをするべきだと私達は考えました」
「彼には明確に定義された毎日のスケジュールが必要だと思いました」
「それはヨナスの人としての成熟に重要でした。自分の人生に構造と規律をもたらして欲しかったのです」
「仕事をすることで、彼は時間の使い方と一定の生活リズムを身につけることができました」
11月4日(月)
昼に家族でサイゼリア行ったら、帰って来る途中でなぜか十一の話になり、いかなごが計算を始め、一年で百円が三千円超えぐらいなら、大したことなくない?そもそも十日で返さないのが悪くない?とか言い出した。そもそも返せるような人は十一で借りないよな。
(14)2016年のコロクイック加入時の記事に載ったヴィンゲゴーの写真が、2023年に話題になった。学生の頃、ギターのレッスンをかなり長い間受けていた、というのも納得の、お気楽そうな長髪の少年がそこには写っていた。
移籍したヴィンゲゴーは、9月のツアー・オブ・チャイナTで総合2位を獲得。将来ツール・ド・フランスを制することになるエガン・ベルナルが所属するイタリアのプロコンチネンタルチーム、アンドローニ・ジョカットーリ・シデルメクが、すぐに彼に興味を示した。
しかし「ヨナスのメンタリティはイタリア人の仕事のやり方とは合わない」「イタリア語かスペイン語ができないといけない」と考えたアンデルセンは、彼に断ることを勧めた。
アンデルセンは言う。「私がコロクイックで彼と一緒だった間、サイクリングの資質を向上させることはあまり目的ではありませんでした。ヨナスはすでにほとんどのことを知っていたので、人間として成長することの方が重要でした」
11月3日(日)
お誕生日おめでとうございます。戦争が続いているけど、幸せに暮らせますように。
ピンタックは思ってたより簡単だった。
(13)2016年の初め、Odder CykelklubがU23チームを設立すると、ヴィンゲゴーの成績は上がりはじめた。
4月にオールボーで開催されたレースで、ラスムス・ガルドハマーとイェスパー・オドゴーに次いで3位となり、初めて表彰台に登った。
5月には、地元の有名な丘Pot Molleを何度も上るハンメルのレースで初めて優勝した。
以前からヴィンゲゴーの存在を知っていたデンマークのコンチネンタルチーム、コロクイック・カルトの監督、クリスチャン・アンデルセン(現ウノXモビリティ監督)は「ハンメルでの勝利を見て、すぐに移籍した方がいいと考えました」。この時、ヴィンゲゴーはデンマークのコンチネンタルチームのライダーを何人も破っており、アンデルセンはヤコブ・フルサンと同じくらいの才能と可能性を彼に感じたと語る。
レースの9日後、19歳のヴィンゲゴーはコロクイック・カルトに加入し、以後クリスチャン・アンデルセンに面倒をみられることになる。
11月2日(土)
ボーヤン!ひらひらしてる!(そこ?
昨日いかなごが友達から「前髪ぱっつんの時が可愛かった」と言われたそうで、昨夜私が前髪を切った。で、やっぱり学校で評判が良かったらしい。「すべての生き物に評判いいな」
鶴田『ジェノサイド再考』を読み終わった。最新資料に基づいて、1994年の虐殺に至った経緯と、その後も含むルワンダの歴史を辿った書。植民地化される前は王国が複数あり、トゥチ・フツよりも王国への帰属意識が強かった、独立革命以前はトゥチ・フツ抗争はなかった、コンゴが独立を宣言した時点で、ベルギーはお金がかかるのでルワンダも手放したかった、カイバンダの独裁下で隣国に逃れたトゥチ難民の武装勢力がルワンダに侵入する時に、自らイニェンジ(ゴキブリ)と名乗っていた、武装勢力が侵入するたびにトゥチが国内で報復殺害され、1963年にはヒトラー以来のジェノサイドと国際的な非難を浴びていた。
1994年の虐殺後、RPFの侵攻からカガメの独裁となるが、RPFの選挙妨害も凄い、歴史教育キャンプで我々は一つの民族と教えている、RPFはタンザニアやウガンダなど英語圏で育ったので、カガメは旧主国ベルギーや、ハビャリマナと仲が良かったフランスとは手を切り、イギリスの支援を求めて、コモンウェルスにも加盟した。ジェノサイドの時はRPFに救われたが、RPFが侵攻して来なければそもそもジェノサイドもなかった、と考える人もいる、などなど。1994年以降のことも書かれているのと、章末に毎回まとめが書いてあるのがよかった。
(12)Odder Cykelklubに所属していた時、ヴィンゲゴーはVo2MAXの測定を受けた。
「チーム全員が測定を受けました」父クラウスは言う。「10人くらいいたと思います。7人測定して、何も問題はなかったのですが、ヨナスが受けると『これはおかしい。機械が壊れたようだ』と言われました。でも、その後3人の選手を測定すると、正常でした」
「つまり、機械のせいではなく、そんな値は今まで出たことがなかったのです」
父によると、この時のヨナスのVo2MAXは97位だった(世界最高値レベル)。
Vo2MAXは遺伝的要因が強いと言われている。身長も遺伝的要因が大きく関係するが、父クラウスは母カリーナより背が低く、160cmそこそこ。母もそれほど高くはないので、175cmのヴィンゲゴーは伸びた方かもしれない。平均身長172cmの日本では低いとは言えないが、デンマークの同世代男子平均身長は182cm。
11月1日(金)
クリーニング店をやっていたらしい高齢の患者さんに「先生の白衣タダでクリーニングしてあげようか」と言われた(その発想はなかった)。
野村証券の営業職が強盗、って凄いな。
(11)この頃、突然ヨナスに何かが起こった。イェスパー・オドゴーは言う。「彼は上り坂を走るのが得意でした。でも今や、平坦な道も走れるようになりました。強い西風が吹く海岸沿いの道路に彼を連れ出した時、私達はもはや彼を減速させることができませんでした。私達全員を押しのけるようになったのです」
2015年、18歳のヨナスは、ツール・ド・フランスのアルプス通過後に、地元の人々が開催するアルプ・デュエズでのヒルクライムタイムトライアルに参加した。タイムは40分52秒、アマチュア史上8位の成績だった。
「私達は彼が何か特別なものを持っていることに気づきました。しかし、何よりも、登山を終えて家に帰ってきた時、息子は幸せでした」と両親は語る。
10月31日(木)
職場のロッカーで、子の大学受験について愚痴っていたら、済の人が「あの時の事は思い出したくない」「今は借金だけが残っている」と言っていた。
ククル・ティハール可愛い。
S君が「デンマークに行くことを渡丁という」と言うので調べたら、ニュージーランドに行くことを渡乳ということを知ってしまった。
(10)17歳の時、ヴィンゲゴーはアマチュアチームのOdder Cykelklubに移籍する。ジュニア最後の年だった。同じクラブには、未来のツール・ド・フランドル優勝者、1歳年上のカスパー・アスグリーンもいた。
「ヨナスはあまり練習しませんでした。本当のプロフェッショナルの行動はしていませんでした」Odder Cykelklubの元監督、クリスチャン・モバーグは語る。「彼は年間10レース勝つような選手ではありませんでした」当初の彼はシニアカテゴリーへの移行に苦戦し、レースでは期待外れだった。
母は、自転車を楽しむために競技をする必要はない、と息子に忠告していた。しかし、10代のヴィンゲゴーと練習していた人によると、彼について一番覚えていることは、殺人本能だったという。
10月30日(水)
半休取る→カントの草採り→買い物→図書館→おでんの仕込み→塾の面談→木乃の散歩→疲労。
岩城『森のうた』を読み終わった。岩城宏之が山本直純との芸大時代の話を書いたものだが、ちょっとさすがに昭和過ぎて。そばの出前を食い逃げ、勉強する女の子はブス、ブスとコンチェルトは振りたくない、無賃乗車にコンサートへのもぐり…。学生オケで、ショスタコの『森のうた』を演奏したら、美大生達がスターリン讃歌を聞きに来た、というのも時代。で、初めて森の歌を聞いてみたけど(屈辱の曲、というイメージだった)確かに凄く聞きやすい。
(9)2013年、16歳のヨナスはAalborg Cykle Ringに移籍し、高校に入学した。高校の同級生クリステンセンによると、ハンドボールとサッカーをやり、運動能力はとても高かったという。
この時のヴィンゲゴーは父クラウスによると「すでにアルプデュエズを42〜43分で登っていました」
しかし、母カリーナは、息子が17歳になるまで一度もレースで勝ったことがなく(父曰く"Absolutely nothing")、クラブのコーチ達が息子の体重について冗談を言っていたことを覚えている。「風が強いと、飛んでいってしまうのではないかと心配だ」
10月29日(火)
あ、頭悪そうなプロフィール。早速I'm deadとか、60kmで誰かがアタックするとか言われてて、人気の高さがうかがわれる。
(8)一方、ヴィンゲゴーの学校生活は特に問題がなかったと、イカストのスポーツ中等学校のコーチ、ラーセンは語る。「物静かで穏やかだった」「彼は気安い性格で、誰とでも仲良くなれ、すぐに友達と打ち解けた」
同級生だったサッカー選手ミッケル・ドゥールン(現NECナイメヘン所属)の証言。
「ヨナスはいつも物静かで落ち着いていました」
「めちゃくちゃ優しくて、ヨナスの自転車に乗ってもいいかと尋ねると、許可してくれました」
「私は教師達が会議をしていた教室に乱入しました。そしてヨナスの自転車は1週間没収されました」
「でもヨナスは、あるよね、そういうこと(大意)と言ってくれました」
ないだろ。
10月28日(月)
私「パンツ高木、落ちたってよ」
いかなご「よかったよかった。これも仏の思し召し」
うーん、イリヤ、バックフリップは怪我の危険が危ないと思うなあ…。
R.I.P.せなけいこ。『いやだいやだ』の「それなら母さんだって いやだっていうわ」「いくらよんでも だっこしない」を何千回唱えたことか!
(7)2012年、15歳のヴィンゲゴーはイカストのスポーツ中等学校に入学し、10年生を過ごす。「入学前、ヨナスはもう自転車に乗りたくない、と言っていました」と母カリーナは明かす。「しかし、カリーナと私は、彼の成長が続くのは良いことだという点で同意したのです」スポーツ中等学校の元自転車コーチ、クヌッセンは言った。
同じくスポーツ中等学校のコーチ、ラーセン「ヨナスは身長が低く、比較的虚弱だったため、大変な思いをしていました。学校に通い始めてからの半年間は、モチベーションにかなり苦労していました」
入学後、徐々にやる気を取り戻したヴィンゲゴーは、ナショナルチーム入りし、調子を上げていった。母カリーナは言う。「彼が 『もうやりたくない 』と言ったのを聞いたのはこの時だけです」
10月27日(日)
S君「今日は選挙だし、オケも聞きに行かないといけないから忙しい」
選挙オタク以外の人は、選挙の日は選挙に行くだけで、最後の1議席決まるまで特番見たりしないから、特に忙しくないんですよ。
てことで、選挙に行って「初選挙に向かう娘」「初投票を終えた娘」「初出口調査に協力する娘」の写真をS君と撮りまくった(満足)。
いかなごさん初投票「候補者なら誰でもよかった」
もぐの服は、男女兼用だろうがXSで良いことが分かった。ちなみに、体重45kg。
大阪フィルの公演を見てきた。
・三重奏の人、上手かった。特にヴァイオリン。
・しかし、ソロ三人とオケと両方要る曲というのは面倒なのでは>ベートーヴェン。
・初の生田園、あんなにチェロが鳴ってる曲だとは。
・最近聞いている曲のせいもあるが、ベートーヴェンはさすがに古い、と思った。
(6)ヴィンゲゴーの最初のヒーローは、リカルド・リッコだった。しかし、彼が11歳の時、リッコはツール・ド・フランス中にドーピングが発覚し、チームを解雇された。
「2010年にスイスに行きましたが、ヨナスは一日中ツール・ド・フランスを見ていて、アルベルト・コンタドールと同じ山に登ってみたいと言いました」そこで両親は、息子が自転車で伝説の峠を登れるよう、翌年から毎年7月になるとアルプ・デュエズの麓にあるル・ブール=ドアザンのキャンプ場を訪れた。
最初はヨナスが14歳のとき、その後数年は彼の友人も連れて、みんなで自転車に乗った。父クラウスが頂上に到着するまでに、ヨナスは5、6回、行ったり来たりを繰り返していた。
「優秀な遺伝子の大部分は、私が由来だと思います」2023年に父クラウスは語っている。「トレーニングをしていなくても、何時間でも走り続けることができます」
実は父最強説。
10月26日(土)
祝 ”in a good place, mentally and physically”。
コーチの証言しか出てこない人もいれば、リスの尻尾振りながら歌う人もいる。
橋本・沢山編『保護と遺棄の子ども史』を読み終わった。さまざまな時代、地域をテーマにした論文集。近世では乳の確保が大変で、乳が出ないから捨て子まであるし、赤ちゃんポストに入れられた子は、田舎に分散させて乳を確保し、行政が乳代を支出。イギリスにあった捨て子院は、ほぼ未婚の母の子供なんだけど、受け入れには母が書いた申請書(要読み書き能力)と母の人格調査が必須(救済に値しないとダメ)で受け入れ率20%。オーストリアは奉公人が多く、1860年代の婚外子率27%で、捨て子院には毎年何千人も収容されていた。一方で少し大きくなった捨て子は田舎に里子に出されて、農家の児童労働の供給源に。古代ローマでも、捨て子は拾って育てて奴隷にしていた、などなど。
(5)グループライドに連れ出されていたヴィンゲゴーは、引き続き小さかった。「ヨナスが選手になるのは難しいのではないかと思っている人もいました。とても小柄で、他のライダーほどパンチがなく、苦労していました」最高標高海抜173mの平坦な国デンマークでは、山ではなく、風と戦うことになるため、身長が低く、小柄なライダーは不利だった。
レースで勝てないだけでなく、「ヨナスは16歳になるまで不安をコントロールするのに問題がありました」と母カリーナは語る。ストレスに耐えられず、レース前はよく嘔吐していた。本当に続けたいのかと尋ねる両親に、息子はレースが大好きだと答えていた。
一方で、父クラウスは息子の能力に早くから気づいていた。「12歳の夏、クロアチアで休暇を過ごしていた時に彼の登山能力に気づきました」
10月25日(金)
本日の職場での雑談(娘と息子持ち4人)「息子なんて、優しくて可愛いだけで、何の役にも立たない」
もぐが声変わりしてる。「裏声じゃないと今までの声が出なくなった」
私「今日は乾癬と大量虐殺の予防策と自転車選手とフリルカットソーの型紙について調べました」
いかなご「多趣味だね」
(4)「地元のクラブの会員は、15人か20人くらいしかいなかった。とても小さなクラブだけど、楽しかったし、よく面倒を見てくれた」ヴィンゲゴーは15歳まで在籍したThy Cykle Ringについてこう語る。
母カリーナ「ヨナスはグループで練習するのが大好きでした。当時の彼はかなり年下で、他のライダー達は彼を保護してくれました」
当時の保護者の皆さん:カーステン・ミケルセン(20歳年長)、イェスパー・オドゴー(12歳年長)、ミカエル・ヴァルグレン(4歳年長、現EFエデュケーション・イージーポスト所属)。
「サイクリングはただの娯楽」だったヴィンゲゴーは、練習には消極的だった。ミカエル・ヴァルグレンの証言。「よく彼の家に行って、ドアをノックして『ヨナス!今から行くよ』って言っていた」「昔のクラブのみんながいなかったら、彼がプロになれたかどうか分からない」
10月24日(木)
S君「玉砕の対義語は?」
私「犬死」
いかなご「完勝」
正解は「瓦全」らしい。北斉書の「大丈夫寧可玉碎不能瓦全」が由来なんだって。我々は1400年前の言葉を使ってるのか。瓦のまま生を全うするの、凄いな。
(3)「ヨナスについて最初に覚えているのは、10歳の時、クラブの練習に来て、2、3キロ走ったところで、ロータリーを回っている時に転倒したことです」ツール・ド・フランスで優勝すると、知り合いにロクでもないことを暴露される。「大声で叫んだので、みんなどこか骨折したのかと思いました。彼は父親と一緒に自転車で車に戻りました」
一方、両親が可愛い息子について覚えているのは以下。
父「雪がたくさん降った年のことです。通りは真っ白か氷で覆われていましたが、少し進むと、まだ黒い道が一部見える大通りがありました。ヨナスはその通りまで車で行き、自転車でその部分を往復して1時間半練習しました」
母「町の人々は自転車に乗っている小さな男の子を見て、気が狂ったのか、どうしてこんな天気の中、練習しているのか、と言いました」
父「息子がどれだけ自転車が好きだったか分かるでしょう」
10月23日(水)
北朝鮮兵のウクライナ戦派遣は色々転換点になりそう。ヨーロッパが大騒ぎしてるのは、モンゴル侵攻のトラウマがある説はちょっと面白かった。
こないだいかなごが買ってきた服、トップスがなぜか巨大で、S君でも着れないレベルで謎だったのだが、分解して理由が分かった。首周りはゴムが入っていて、そのゴムが劣化して伸び切っていたのだった。ずっと外に置かれていたとはいえ、新品なのにゴムが完全に伸び切るとは、何年売れていなかったのか。
(2)たぶんすくすくと育ったヴィンゲゴーは、サッカークラブに入る。しかし、小さいために年上の子供達からきつく当たられ、行くのをしぶりだす。そこで父クラウスは、2007年8月ツアー・オブ・デンマークが家の近くで開催された時に、10歳の息子を観戦に連れて行く。
その後、地元のサイクリングクラブで試乗してみたところ、褒められたので(本人曰く「会員を増やしたかったから、誰にでもそう言ったんだろうけど」)加入する。
父によると、子供達のレースで2位になり、メダルか何かをもらったヴィンゲゴーは「車で家に帰る時、ずっとメダルから目を離しませんでした」。
子供をメダルで釣ることの重要性がよく分かる。
10月22日(火)
京響の公演に行ってきた。平日はたぶん初めて。
・春の海は正直おばあちゃん(S君母)でも弾けそうな感じでどうなん、と思ったが、二曲目のオリジナル曲は今時の聞きやすい曲で、さらにアンコールのオリジナル曲琴ソロはとても良かった。オケとのコラボより、独奏の方が良さそう。
・さんざん(おばあちゃんの)琴の音を聞いているS君は、全然音が違う!と言っていた。
・珍しく前の方の席が空いていたので、オケの直下で聞いたら、音の圧が凄い。
・コンマスが客演の人で、以前シェへラの時に弾いていた人だった。
・今日はなんでこの人なんだろうと思ったら、ブラームス1番の2楽章ってバイオリンソロがあるのね。
・しかし、そもそもソロでなくても、第一バイオリン一人ソロ状態で、凄い音が出ていた。
・4楽章のクライマックスとか、いっちゃってて凄まじかった。いいもん見たわ。
・客演コンマスは石田組の組長らしい。京都にいて、この人の演奏が聞けるのは、とてもお得な気がする。
ちょっと記事を読んだら、あまりにも衝撃的な証言で溢れていたので、まとめてみることにする。
では「周りから面倒を見られまくる男」2022・2023年ツール・ド・フランスチャンピオン、ヨナス・ヴィンゲゴー・ハンセンについてみていこう。
(1)1996年12月10日、デンマーク、ユトランド半島にある人口約370人の小さな町Hillerslevに、ヨナス・ヴィンゲゴー・ラスムッセンが生まれる。父クラウス、母カリーナ、姉に約4歳年上のミシェルがいる。ちなみに父親似である。
ツール・ド・フランス優勝後、幼稚園の先生までかりだされて、インタビューされているが、ここで小中学校の同級生、ビスゴーさんの証言をみてみよう。
「小さくて虚弱だった」
「内気で控えめで、クラスの前で発表することに全く興味がなかった」
「でも、いたずら好き」
「『大きくなったら、ツール・ド・フランスに出る』と言っていた」
「嬉しい時も、悲しい時も、涙を流す傾向にあった。テレビを見ていると今も変わらない」
三つ子の魂百まで。
10月21日(月)
唐突にニコライ・コスター=ワルドー(my 最も顔が好きな俳優)がデンマーク人だと認識してビックリ。なぜかアイルランド人だと思いこんでいた。たぶん、ナショナル・シアターで教育うけて、ハムレットの舞台やってた、からの連想。
最近右五十肩に苦しんでいるS君が、左手用マウスを買っていた。
石川『写真報告 大虐殺』を読み終わった。1978年にポル・ポト政権に侵攻されて住民を虐殺されたベトナムの村、1979年5月のカンボジアの様子と、79年の中越戦争(これがメイン)のルポと写真集。著者が撮ったベトナム戦争の写真集のベトナム語版を作って寄贈したら、ベトナムで引っ張りだこだったとか、ベトナム人は色が白くて小さく、カンボジア人は色黒で骨太の傾向があるとか、ポル・ポト政権下では以前からいる華僑は悪い人だが、新しく来た中国人は良い人と言われていたとか、中越戦争での国境での捕虜交換の様子(どちらの捕虜も、今まで着ていた敵国にもらった服を脱ぎ、わざわざ持たされた土産を捨てる)が面白かった。